日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 156
ビジョンに関連する物事は、おもに神自身の働きを指しており、実践に関連する物事は人間がなすべきことであり、神とは何の関係もない。神の働きは神自身により完成され、人間の実践は人間自身によって成し遂げられる。神自身によって行われるべきことを人間が行なう必要はなく、人間が実践すべきことは…
聖霊に用いられた人の言葉は全て聖霊から出た言葉であるとあえて言う者が今日いるだろうか。そんなことをあえて言う人はいるだろうか。もしあなたがそのように言うのであれば聞きたい。「なぜエズラの預言書が排除され、昔の聖人や予言者たちが書いた書物も同じようにされたのか」と。それらの全てが聖霊から出たものであるなら、どうしてそのような気まぐれなことをするのか。あなたに聖霊の働きを選ぶ資格があるのか。イスラエルから出た他の書も多く排除された。このような過去の書が全て聖霊から出たものであると信じるなら、そのような書が一部排除されたのはなぜか。聖霊から出たものであれば全て保管されて、諸教会の兄弟姉妹が読めるよう送られるべきである。それを人間の意思によって選抜したり処分したりしてはならない。そのようなことは間違っている。パウロとヨハネの経験には個人的に見たことが含まれると言われるのは、彼らの経験と認識がサタンから出たものということではなく、彼らが直接経験したり見たりしたものから得たものがあったということである。彼らの認識は当時の経験から生まれたものであり、それが全て聖霊から出ていると誰が言えるだろうか。仮に四つの福音書が全て聖霊から出たものとするなら、マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネがそれぞれイエスの働きに関して異なる記述をしているのはなぜか。異なる記述があることを信じないというのなら、聖書の中の、ペテロがイエスを三度否定する箇所を読んでみなさい。四つの書すべてが違うと同時に、それぞれ特徴を持っている。無知な人の多くは言う。「受肉した神もまた人だったのなら、そのお方の語った言葉は全て聖霊から出たものだったのか。もしパウロとヨハネの言葉が人の意思と混じっていたのなら、受肉した神の言葉は本当に人の意思が混ざっていないのだろうか」と。そんなことを言う人は盲目であり無知なのだ。四つの福音書をよく読んでほしい。イエスがした事、そしてイエスが語った事に関して何が書かれているのかを読んで欲しい。それぞれの記録が単純に違っていて、異なる視点が含まれている。これらの福音書の作者が書いたものが全て聖霊から出た言葉ならば、全て同じ内容で一致するはずだ。どうして矛盾があるのか。
『神の出現と働き』「呼び名と身分について」(『言葉』第1巻)より
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ビジョンに関連する物事は、おもに神自身の働きを指しており、実践に関連する物事は人間がなすべきことであり、神とは何の関係もない。神の働きは神自身により完成され、人間の実践は人間自身によって成し遂げられる。神自身によって行われるべきことを人間が行なう必要はなく、人間が実践すべきことは…
人々が自分の心で神に接したとき、心を完全に神に向けることができたとき、それは人間が神を愛することの第一歩である。神を愛したいなら、まず心を神に向けることができなければならない。心を神に向けるとはどういうことか。それは心の中で行うあらゆる追求が、神を愛し神を得ることを目的とするとい…
わたしはすべてを焼き尽くす火であり、背きを許さない。人間はすべてわたしが造ったのだから、わたしが何を言い何を行なおうと、人間は従わなければならず、抵抗してはならない。人はわたしの働きに干渉する権利をもたず、ましてやわたしの働きや言葉の何が正しく何が間違っているかを分析する資格…
大半の人の神に対する信仰の実質は、宗教的な信仰である。彼らは神を愛することができず、ロボットのように神に付き従うことしかできない。心から神を切望することも、慕い求めることもできないのである。このような人は黙って神に付き従っているに過ぎない。神を信じる人は多いものの、神を愛する人は…