日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 551
識別力を身に付け、服従し、物事を見抜く力を身に付けて霊的に鋭敏であるということは、何かに直面するとすぐに、神の言葉が内側から照らし啓くということである。これが霊的に鋭敏であるということである。神が行うことは全て人間の霊を復活させるためである。なぜ神は人間は麻痺しており愚鈍であると…
聖霊に用いられた人の言葉は全て聖霊から出た言葉であるとあえて言う者が今日いるだろうか。そんなことをあえて言う人はいるだろうか。もしあなたがそのように言うのであれば聞きたい。「なぜエズラの預言書が排除され、昔の聖人や予言者たちが書いた書物も同じようにされたのか」と。それらの全てが聖霊から出たものであるなら、どうしてそのような気まぐれなことをするのか。あなたに聖霊の働きを選ぶ資格があるのか。イスラエルから出た他の書も多く排除された。このような過去の書が全て聖霊から出たものであると信じるなら、そのような書が一部排除されたのはなぜか。聖霊から出たものであれば全て保管されて、諸教会の兄弟姉妹が読めるよう送られるべきである。それを人間の意思によって選抜したり処分したりしてはならない。そのようなことは間違っている。パウロとヨハネの経験には個人的に見たことが含まれると言われるのは、彼らの経験と認識がサタンから出たものということではなく、彼らが直接経験したり見たりしたものから得たものがあったということである。彼らの認識は当時の経験から生まれたものであり、それが全て聖霊から出ていると誰が言えるだろうか。仮に四つの福音書が全て聖霊から出たものとするなら、マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネがそれぞれイエスの働きに関して異なる記述をしているのはなぜか。異なる記述があることを信じないというのなら、聖書の中の、ペテロがイエスを三度否定する箇所を読んでみなさい。四つの書すべてが違うと同時に、それぞれ特徴を持っている。無知な人の多くは言う。「受肉した神もまた人だったのなら、そのお方の語った言葉は全て聖霊から出たものだったのか。もしパウロとヨハネの言葉が人の意思と混じっていたのなら、受肉した神の言葉は本当に人の意思が混ざっていないのだろうか」と。そんなことを言う人は盲目であり無知なのだ。四つの福音書をよく読んでほしい。イエスがした事、そしてイエスが語った事に関して何が書かれているのかを読んで欲しい。それぞれの記録が単純に違っていて、異なる視点が含まれている。これらの福音書の作者が書いたものが全て聖霊から出た言葉ならば、全て同じ内容で一致するはずだ。どうして矛盾があるのか。
『神の出現と働き』「呼び名と身分について」(『言葉』第1巻)より
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識別力を身に付け、服従し、物事を見抜く力を身に付けて霊的に鋭敏であるということは、何かに直面するとすぐに、神の言葉が内側から照らし啓くということである。これが霊的に鋭敏であるということである。神が行うことは全て人間の霊を復活させるためである。なぜ神は人間は麻痺しており愚鈍であると…
全能なる真の神、玉座の王たる神は、全宇宙を支配し、すべての国と民に向き合っており、天下のあらゆるものは神の栄光を受けて光り輝く。宇宙、そして地の隅々に暮らすすべての生物が見るだろう。山々、川、湖、陸地、海、そしてすべての生き物は、真の神の顔貌が放つ光の中で自らの幕を開けた。…
教会生活は人々が集って神の言葉を味わう生活でしかなく、人の生活のごくわずかな部分を占めるに過ぎない。もし人々の実生活も教会生活と同様で、正常な霊的生活を送り、神の言葉を正常に味わい、正常に神に祈って神へと近づき、万事が神の旨に沿って行なわれる実生活を生き、万事が真理に沿って行な…
当時、イエスの働きは全人類を贖う働きだった。イエスを信じるすべての人の罪は赦され、あなたがイエスを信じる限り、イエスはあなたを贖っただろう。イエスを信じるなら、もはや罪人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということ、信仰によって義とされるということである。しかし、…