日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 177
最初に、人間の生活環境やその環境のために神が何を行い、用意し、取り扱ったことについて話し、また、神が人類のために用意したあらゆるものの関係、そして万物が人類に危害を加えるのを防ぐために、神がこれらの関係をどのように取り扱ったかについても話しました。また神は、万物がもたらす様々…
受肉というのは、神が肉の体で現れることで、神が自分の創った人間のもとで働くために人間の姿で来るのである。さて、神が受肉するというのは、まず肉の体、普通の人間性を備えた肉体でなくてはならず、少なくとも、これは本当のはずである。実際、神が受肉するということは、神が肉体において生き働くということ、その本質において肉となり、ひとりの人になるということを意味する。神の受肉した生活と働きは二つの段階に分けられる。第一は職分を始める前の生活。神は普通の人間の家族として暮らし、ごく普通の人間性をもち、人間生活の普通の道徳や法に従い、普通の人間の必要(食物、衣服、住まい、睡眠)をもち、普通の人間の弱さ、普通の人間の感情をもって暮らす。つまり、この最初の段階で、神は神ではなく完全に普通の人間として、あらゆる普通の人間的な活動を行いながら生きる。第二の段階は、職分を果たし始めた後の生活である。神はまだ普通の人間の外形で通常の人間性において暮らし、表向きには超常的なしるしは何も現さない。しかし、神は純粋にその職分のために生き、この期間の普通の人間性は、ひたすら神として普通の働きのために存在する。そのころには、普通の人間性は職分を果たせるほどに成熟していたのだから。そこで、第二の段階では普通の人間性において職分を果たすこととなり、それは通常の人間性と完全な神性を兼ね合わせる生活である。前半生で神がまったく普通の人間的な生活をする理由は、まだその人間性が神性の働きの全体と同等でないから、まだ成熟していないからである。人間性が成熟して、その職分を背負えるようになってはじめて、職分を果たし始めることができるのである。肉体をもつ者として神は成長し、成熟する必要があるので、その生涯の最初の段階は普通の人間のものである。第二段階に入ると、その人間性が働きに着手し、職分を果たせるようになっているので、職分を果たす間の受肉した神の生活は、人間性と完全な神性の二つを併せもつものである。もし受肉した神が生まれた瞬間から本格的に職分を果たし、超自然のしるしや不思議を示し始めたなら、その肉体の本質は何もないであろう。だから、受肉した神の人間性は、肉体的な本質のために存在するのである。人間性なくして肉は存在しない。また、人間性のない人は人間ではない。このように、神の肉の人間性は、受肉した肉のなくてはならない性質である。「神が人間になった時、神は完全な神で、まったく人間ではない」と言うのは瀆神行為である。なぜなら、これは受肉の原理に反する、あり得ない立場だからである。神がその職分を始めた後も、その神性は働きを行う人間の外形にまだ宿っている。ただその時、神の人間性は神性が通常の肉の体で働きを行えるようにするという目的だけを果たすのである。だから、働きをする者は、人間性に宿る神性である。働いているのは神の人間性ではなく神性だが、それは人間性の中に隠れた神性である。神の働きは、つまるところ、完全な神性が行うのであって、人間性によるのではない。しかし、働きを実践するのは神の肉である。このような神は、人間でありかつ神であると言えるだろう。神は肉の体で生きる神となり、人間の姿と人間の本質をもつが、また神の本質をも備えているからである。神の本質を備えた人間だから、被造物であるどの人間、神の働きを行うことのできるどの人間よりも上位に位置する。そこで、このような人間の姿をした者たちの中で、人間性をもつすべての者の中で、神だけが受肉した神そのものである。他はみな、被造物である人間である。彼らには人間性があるが、被造物である人間は人間でしかない。ところが、受肉した神は違う。受肉した神は、その肉体において人間性だけではなく、さらに重要なことに神性をも備えている。神の人間性は肉の体の外見や毎日の生活に見られる。しかしその神性は感知しにくい。神の神性は人間性があってはじめて現れるのだから、また、人々が想像するほど超自然なものではないから、人々がそれを見るのは極めて難しい。今日でも受肉した神の本質を理解するのは極めて難しい。実際、わたしがこれほど長い間話してきても、あなたがたの大半にとってはいまだに謎であることであろう。これはとても単純なことなのである。神が人間になると、その本質は人間性と神性の合わさったものである。この組み合わせが神そのものと呼ばれる、地上における神そのものなのである。
『神の出現と働き』「神が宿る肉の本質」(『言葉』第1巻)より
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