日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 123
受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知…
世の終わりに神は言葉を発することを主な目的として来る。神は聖霊の観点から、人間の観点から、第三者の観点から話す。神は異なった話し方をする。ある期間は一つの話し方をし、人間の見方を変え、漠然の神の姿を人間の心から除くために、様々な話し方をする。これが神のする主要な働きである。人間は神が癒やし、悪霊を追い払い、奇跡を行い、人間に物質的な幸いをもたらしに来たと考えているため、神はこの段階の働きをする──刑罰と裁きの働きを──そうした観念を人間の思考から除くために。人間が神の現実性、神の正常を知るように。そして、イエスの姿が人間の心から消え、新たな姿に置き換えられるように。人間の心の中にある神の姿が古くなるとすぐに、それは偶像になる。イエスが来てその段階での働きをしたとき、神の全体を示しはしなかった。イエスはいくつかのしるしや不思議を示し、言葉を語り、最後に磔刑に処せられ、神の一部分を示した。イエスは神の全体像を示したわけではなく、一部の働きをして神を示したのだ。これは、神があまりに偉大で、驚くべきであり、計り知れないからであり、神がそれぞれの時代にその働きの一部だけをするからだ。神がこの時代に実行した働きは、主に、人間のいのちのための言葉を与えること、人間の性質の実体と、人間の堕落した性質を明らかにし、人間の知識と文化とともに、宗教的概念、封建的な考え方、時代遅れの考えを除くことであった。これはすべて神の言葉によって露わにし、清めなければならなかった。世の終わりに、神はしるしや不思議ではなく、言葉を用いて人間を完全にする。神は言葉によって人間を露わにし、裁き、罰し、人間を完全にし、言葉の中に神の知恵と素晴らしさを見、神の性質を知り、言葉によって人間が神の働きを知るようにする。律法の時代、ヤーウェは言葉によりモーセを導いてエジプトを脱出させた。そして、イスラエル人に言葉を語った。当時、神の業の一部はわかりやすいものであったが、人間の能力が限られていて、知識を完全にすることができなかったため、神は話し、働くことを続けた。恵みの時代、人間は再び神の働きの一部分を見た。イエスはしるしや不思議を見せ、癒やし、悪魔を追い払い、十字架につけられ、三日後によみがえり、人間の前に肉の身で現れることができた。神について、人間はこれ以上のことを知らなかった。人間は、神の示されたことだけを知っているが、神がそれ以上のものを人間に見せなければ、それで、神について人間の知識はそこまでに限られる。だから、神は働きを続け、自分に関する人間の知識が深まるようにし、人間が徐々に神の実体を知るようにする。神は言葉を用いて人間を完全にする。あなたの堕落した性質は言葉によって明らかになり、その宗教的概念は神の実在性によって置き換えられる。神は終わりの日に「言葉は肉となり、言葉は肉の間に現れ、そして言葉は肉となって現れる」という言葉を成就するために受肉するが、あなた方がこのことについて完全な知識をもっていなければ、まだ堅く立つことができない。終わりの日には、神は主に言葉が人となるという働きをするつもりだが、これは、神の経営(救いの)計画の一部である。
『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」(『言葉』第1巻)より
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受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知…
わたしは悪を行う者、権力を振るう者、そして神の子らを迫害する者たちを、罰する行動を開始した。これからは誰であれ、心の中でわたしに逆らう者には、必ずわたしの行政命令の手が下るだろう。このことを知りなさい。これはわたしの裁きの始まりであり、誰かに慈悲が示されることも、誰かが容赦され…
神が裁きと刑罰の働きを行うのは、それによって人が神を知り、神を証すためである。人の堕落した性質を神が裁くことがなければ、人が犯すことのできない神の義なる性質を、人が知ることはできず、神に関する古い認識を捨てて新しい認識を得ることもない。神が証すため、そして自身の経営(救い)のため…
人が神を得ることができないのは、神が感情を持っているからでも、神が人に得られるのを好まないからでもなく、人が神を得たくないからであり、人が緊急に神を探し求めていないからである。本当に神を探し求める人がどうして神に呪われるだろうか。健全な理知と繊細な良心を持つ人がどうして神に…