日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 263

2020年6月30日

初めて社会科学の考えを持つようになってから、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それからすぐ、科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや人が神を礼拝する充分な余地はなくなり、神を礼拝する好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められていった。人の心の中に神の居場所が無い世界とは、暗く、何の希望も無く、空虚である。そこで、人の心と精神を満たすために、多くの社会科学者、歴史家、政治家が現れて、社会科学の理論、人類進化の理論等、神が人を創造したという真理に反する理論を述べた。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数は増加の一途をたどっている。旧約聖書時代の神の働きや神の言葉の記録を、神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに対して、また神が存在し、万物を支配しているという教義に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや彼らにとって重要ではない。人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。神が今日どこで働きを行っているのか、あるいは、神が人の終着点をいかに支配し、定めているのか、それを自らすすんで探し求める者はほとんどいない。こうして、人間の文明は知らず知らずのうちにますます人の願望を満たすことができなくなり、多くの人々がこんな世界に生きている自分達は、亡くなった人々に比べて不幸せだと感じてさえいる。過去に高度の文明を築いた国々の人たちでさえそのような不満をあらわにしている。何故なら、神の導きなしには、支配者たちや社会学者たちが人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どんな社会学的理論も、心をむしばむ虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適な暮しは、つかの間の慰めに過ぎない。これらのものがあっても、人は必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探索したい欲求や願望を鎮めることはできない。人は神によって造られたからであり、人の無意味な犠牲や探索はさらなる苦悩につながるだけである。人は常に恐怖に怯えて存在し、人類の将来にどのように向き合うべきか、目の前にある進路にどのように対峙すべきか分からない。人は科学や知識に脅かされるほどになり、自分の中にある空虚感をそれらのもの以上に恐れるようになる。この世であなたが自由な国に住もうと、人権のない国に住もうと、人類の運命から逃れることは決してできない。あなたが支配者であろうと、支配される者であろうと、人類の運命、奥義、そして終着点を探求しようとする願望から逃れることは到底できない。ましてや、途方にくれるほどの空虚感から逃れることはできない。全人類に共通するこの現象を、社会学者は社会現象と呼んでいる。しかし、このような問題を解決できる偉大な者が現れることはない。人間は結局、人間に過ぎない。神の地位といのちに取って代われる人間はいない。人類は、誰もが食べる物に満ちたり、平等かつ自由である公平な社会だけではなく、神の救いと神によるいのちの満たしが必要なのである。神の救いといのちの満たしを受けて初めて、人間の欲求、探究心、そして霊的空虚感が解消されるのである。或る国や或る民族の人々が神の救いや配慮を得ることができなければ、そうした国や民族は暗黒に向かって、破滅への道を突き進み、神によって滅ぼされるであろう。

あなたの国は今のところ繁栄しているかもしれない。しかし、国民が神からそれることをあなたが許すなら、あなたの国はますます神の祝福から遠ざかることになるだろう。あなたの国の文明はどんどん踏み躙られ、間もなく人々は神に反対して立ち上がり、天を呪うだろう。こうして一国の運命は予期せぬうちに破滅に終わるだろう。神は神によって呪われた国々に対処するために強大な国々を興すだろう。またそうした国々を地球上から一掃することさえあり得る。一つの国や一つの民族の興亡は、その支配者たちが神を礼拝しているかどうか、その国民を神に近づけ、神を礼拝する方向に導くかどうかによって決められる。しかし、この終末の時代に、真に神を求め神を礼拝する人々はますます少なくなっているので、神はキリスト教を国教とする国々に特別な恩恵を授ける。神はそれらの国々を結集させて比較的正義である世界の陣営を形成する。一方無神論の国々、あるいは本当の神を礼拝しない国々は正義である陣営の敵対者になる。このようにして、神はその働きを行うための場所を人類の中に持つだけでなく、正義なる権力を行使できる国々を獲得し、神に抵抗する国々に制裁と制限を課す。しかしそれにも関わらず、神を礼拝するために前向きに取り組む人々がまだ増えないのは、人間が神からあまりにも遠く離れてしまい、神は人間の思考からあまりにも長いこと抜けてしまっているからである。地上にはただ正義を行使し、不正に抵抗する国々があっただけである。しかし、これは神の願望とは程遠い。どの国の支配者も神が自国民を統括することを許さず、どの政党も神を崇拝するために人々を結集させたりしないからである。神は各国、民族、与党の中心において、さらには各人の心の中においてでさえ、正当な位置を失った。確かにこの世界には義なる勢力が存在するが、人の心の中に神が正当な位置を占めていない統治は脆弱である。神の祝福がなければ、政治の舞台は混乱に陥り、攻撃を受けやすくなってしまうだろう。人類にとって神の祝福がないことは、太陽の光を受けないようなものである。どんなに熱心に支配者が国民に貢献しようが、どんなに数多く正義なる会議を人類が集まって開催しようが、どれも事態を方向転換させることはなく、人類の運命を変えることはないだろう。人々が衣食を与えられる国、平和に共に暮らす国はよい国であり、良い指導者の国だと人は考える。しかし、神はそうは思わない。神は、神を礼拝する者のいない国は滅ぼされるべき国であると考えている。人の考え方は、神の考え方とはあまりにも食い違っている。国の長が神を崇拝しなければ、その国の運命は悲劇的なものになり、国の終着点はないだろう。

神は人間の政治に参加しないが、国または民族の運命は神によって支配されている。神はこの世界と全宇宙を支配している。人の運命と神の計画は密接に関連しており、誰もどの国も民族も神の支配から免れない。人間の運命を知りたいなら神の前に来なければならない。神は神に従い、神を崇拝する人々を繫栄させ、抵抗し、拒絶する人々に衰退と絶滅をもたらす。

『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」(『言葉』第1巻)より

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