日々の神の御言葉「祈りの実践について」抜粋418

2020年9月19日

祈りの基礎知識

1.何でも思いついた言葉をやみくもに述べてはならない。あなたは心の内に重荷を持たなければならない。つまり、あなたは、祈る時目標を持たなければならない。

2.あなたの祈りには、神の言葉が含まれていなければならない。すなわち、あなたの祈りは神の言葉に基づいていなければならない。

3.祈る時は、昔のことを蒸し返してはならない。過ぎ去った事柄を挙げてはならない。あなたは聖霊の現実の言葉を話すよう、自分を特に訓練すべきである。そうすることで初めて、神との繋がりを持つことが出来るようになる。

4.集会での祈りでは、今日の聖霊の働きを中心に据えなければならない。

5.全ての者が他人のために祈る方法を習得しなければならない。それは、神の意志に対する配慮の現れのひとつである。

個人の祈りの生活は、祈りの重要性と基礎知識を理解することを基盤としている。人間は、日常生活の中で、自分の欠点のために頻繁に祈る必要があり、また自分のいのちの性質の変化を遂げるために、神の言葉に関する認識を基礎として祈らなければならない。人間はそれぞれ独自の祈りの生活を確立すべきであり、神の言葉に基づいた認識を得るために祈り、神の業に関する認識を求めるために祈るべきである。自分の現況を神の前にさし出し、実際的になる必要があり、方法に気を取られてはならない。要は、真の認識を得ることと、神の言葉を実際に体験することである。霊的生活に入ることを追求する者は誰でも、様々な方法で祈ることが出来なければならない。それは、沈黙して祈ること、神の言葉の考察、神の業を知ることなどである。この的を絞った交わりの業は、正常な霊的生活に入ることを達成し、神の前における自分の状況をより良いものにし、自分のいのちにおいて更に大きな発展を遂げるためのものである。要するに、あなたが為すことは、それが神の言葉の食べ飲みであれ、黙って祈ることであれ、大声で宣言する時であれ、すべて神の言葉と業、そして、神があなたの中で獲得しようと願っていることを明瞭に理解するためのものである。さらに重要な事として、それは神が要求する基準に到達し、あなたのいのちを次の段階へと進めるためのものである。神が人々に要求する最低基準は、自分の心を神に開くことができることである。人が神に対して真心を捧げ、心の中にある本音を告げるならば、神はその人の内に働くことをよしとする。神は人の曲がった心ではなく、純粋で正直な心を求めている。人が神に自分の心の真実を話さないならば、神はその人の心を動かすことも、その人の中で働くことも無いであろう。したがって、祈りにおいて極めて重要なことは、自分の本心から来る言葉を話し、自分の欠点や反抗的な性質を神に告げ、ありのままの自分を神に曝け出すことである。そうして初めて、神はあなたの祈りに関心を抱くであろう。そうでなければ、神はあなたから顔を隠すであろう。祈りの最低基準として、あなたは自分の心を神の前で平静に保つことが出来なければならない。また心が神から離れてはならない。おそらくこの期間、あなたは新しい、もしくはより高い観点を得ていないかも知れないが、あなたは祈りを用いて現状を維持しなければならない。後戻りすることは許されない。これこそがあなたが果たさなければならない最小限である。それすら実現出来ないならば、それはあなたの霊的生活が正しい道に入っていない証拠である。その結果、あなたは元来のビジョンを持ち続けることが出来ず、神への信仰を失い、それに次いであなたの決意は消失するであろう。あなたが霊的生活に入ることは、あなたの祈りが正しい道に入ったかどうかにより特徴付けられる。全ての人がこの現実に対して真摯に取り組み、祈りにおいて自らを意識的に訓練しなければならない。消極的に待っているのではなく、意識的に聖霊に触れられることを求めなければならない。そうして初めて、彼らは真に神を求める人となるであろう。

あなたが祈りを始める時は、現実的でありなさい。無理をし過ぎてはならない。口を開けばすぐに聖霊により触れられ、啓き照らされ、大きな恵みを授かることを願うような大それた要求をしてはならない。それは不可能なことである。神は超自然的なことは行わない。神は、自分の時に応じて人の祈りを成就する。また、時にはあなたが神の前に忠実であるか否かを見るために、あなたの信仰を試すこともある。あなたが祈る時には、信仰、根気、決意を備えている必要がある。ほとんどの人が自分で祈りの訓練を始める時、聖霊に触れられたと感じず、失望してしまう。それではいけない。あなたは粘り強さを持たなければならない。聖霊に触れられるのを感じること、また追い求め探究することに集中しなさい。時にはあなたの行動する道が間違っていたり、あなたの動機と観念が神の前で揺るぎなく立脚できないこともある。そのために神の霊があなたを動かさない場合もある。また、神はあなたが忠実であるか否かを確かめることもある。要するに、あなたは自己訓練に一層努める必要がある。あなたが行動すべき道から逸脱していることが分かった場合は、祈り方を変えればよい。あなたが真に求め、切実に望んでいるかぎり、聖霊はあなたを必ずその現実の中へと導くだろう。時に真の心で祈るが、特に心が触れられたと感じないこともある。そうした場合、あなたは自分の信仰に依り頼み、神は、あなたが祈るのを見ていることを信頼しなければならない。あなたは、祈ることにおいて不屈の忍耐を持たねばならぬ。

あなたは正直でなければならない。また、自分の心の中の狡賢さを取り除くために祈らなければならない。あなたが必要な時にはいつでも自分を清め、神の霊に触れられるために祈りを用いるにつれて、あなたの性質は次第に変化するであろう。真の霊的生活とは祈りの生活であり、それは聖霊に触れられる生活である。聖霊に触れられる過程は、人間の性質を変える過程である。聖霊に触れられることのない生活は霊的生活ではなく、依然として宗教儀式である。聖霊により頻繁に触れられ、啓き照らされる者だけが、霊的生活に入った人々である。人の性質は、その人が祈るにつれて継続して変化し、聖霊に触れられれば触れられるほど、その人は一層積極的かつ従順になる。また、その人の心も次第に清められ、その後その人の性質は次第に変化するであろう。これこそが真の祈りの効果である。

『言葉は肉において現れる』より引用

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