日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 468

2020年10月7日

神の働きのこの段階において、人はどのように神に協力すべきか。現在、神は人々を試している。神は言葉を発しておらず、姿を隠し、人々と直接接触していない。外側からは神が何の働きも行なっていないように見えるが、実際には依然として人間の中で働きを行なっている。いのちの成長を追い求めている者はみな、いのちを追求するビジョンがあり、たとえ神の働きを完全に理解していなくても疑念を抱かない。試練を経ている間、神がどのような働きを行なおうと望んでいるか、どのような働きを完遂しようと望んでいるかを知らなくても、人間に対する神の意向は常に善であることを知るべきである。あなたが誠心誠意神を追い求めれば、神があなたのもとから去ることはなく、最後はきっとあなたを完全にし、人々を適切な終着点に連れて行く。現在、神が人々をどのように試しているかを問わず、神が人々に対し、その行ないに基づき、適切な結末と報いを与える日がいつか来る。神が人々を特定の地点まで導き、その後見捨てて無視することはない。なぜなら、神は信頼に足るからである。現段階において、聖霊は精錬の働きを行なっており、あらゆる人間を精錬している。死の試練と刑罰の試練から成る働きの段階において、精錬は言葉を通じて実行される。人々が神の働きを経験するには、まず神による現在の働きと、人がどのように協力すべきかを理解する必要がある。まさしく、これはすべての人が理解すべき事柄なのである。神が何を行なおうと、つまりそれが精錬であろうと、あるいは神が黙してさえいても、神の働きの諸段階のうち、人の観念に沿うものは一つもない。神の働きの各段階は、人間の観念をばらばらに打ち壊す。それが神の働きである。しかし、神の働きが一定の段階に達したのだから、神は何があろうと全人類を死に追いやらないのだと信じる必要がある。神は人類に約束と祝福の両方を与え、神を追い求める者はみな神の祝福を得られるが、そうしない者は神に捨て去られる。それはあなたの追求次第である。他に何があろうと、神の働きが終わりを迎えるとき、すべての人が適切な終着点を得るのだと信じなければならない。神は人類に美しい抱負を与えてきたが、追い求めずしてそれらは成就できない。あなたがいま知るべきなのは、神による人々の精錬と刑罰は神の働きであるが、人のほうも常に性質の変化を求めねばならない、ということである。あなたは自分の実際の経験において、まず神の言葉を飲み食いする方法を知り、神の言葉の中から自分が入るべき事柄と自分の欠点を見つけ、自分の実際の経験において入りを求め、神の言葉の中で実践すべき部分を挙げ、そうするように努めなければならない。神の言葉を飲み食いすることは一つの側面である。それに加えて、教会生活も維持する必要があり、あなたは正常な霊的生活を送り、自分の現状のすべてを神に委ねることができなければならない。神の働きがどのように変化するかを問わず、あなたの霊的生活は正常なままでなければならない。霊的生活は、あなたの正常な入りを維持することができる。神が何を行なおうと、あなたは妨害されることなく霊的生活を続け、自分の本分を尽くすべきである。これが人の行なうべきことである。それはすべて聖霊の働きだが、正常な状態にある者にとって、それは完全にされることである一方、正常な状態でない者にとって、それは試練である。聖霊による精錬の働きの現段階において、次のように言う人がいる。つまり、神の働きは極めて優れており、人々は絶対に精錬を必要としている、さもなければその人の霊的背丈はあまりに小さく、神の旨を成就させる術がない、というのである。しかし、状態が好ましくない者にとって、それは神を追い求めない理由、あるいは集会に参加しなかったり、神の言葉を飲み食いしなかったりする理由になる。神の働きにおいては、神が何を行なうか、どのような変化を生じさせるかを問わず、人々は最低限の正常な霊的生活を維持する必要がある。おそらくあなたは、現段階の霊的生活において気が緩んだことはないかもしれないが、それほど多くを得ることも、大きな収穫を得ることもなかった。こうした状況下でも、あなたはやはり規則に従わなければならない。自分のいのちを損なわないために、また神の旨を満たすために、それらの規則を守らなければならないのである。あなたの霊的生活が異常であれば、神による現在の働きを理解できず、それどころか、そうした働きは自分の観念にまったくそぐわないと常に感じ、神に進んで付き従っていても、内なる原動力に欠けている。したがって、神が現在何を行なっていても、人は協力しなければならない。人が協力しなければ、聖霊はその働きを行なうことができない。また人に協力する心がなければ、聖霊の働きはほとんど得られない。自分の内部で聖霊の働きを得たいと望むなら、そして神に認められたいのであれば、神の目の前で自分の本来の忠誠心を保つ必要がある。現在、あなたがより深い理解や高度な理論といったことをもつ必要はなく、必要とされるのは、本来の基礎の上で神の言葉を保つことだけである。人が神に協力せず、より深い入りを求めなければ、人が本来もっていたものを神は残らず奪うだろう。人は内面において、絶えず快適さを貪欲に求め、すでに用意されているものを享受することを好む。人間は代価を一切払うことなく、神の約束を得たいと望む。こうしたことは、人類が抱く途方もない考えである。代価を払わずいのちを得るなどと言うが、それほど容易なことがかつてあっただろうか。神を信じ、いのちへの入りと性質の変化を求めるとき、その人は代価を払い、神が何をしようといつも神に付き従う状態に達する必要がある。それが人の行なうべきことである。たとえ規則としてそのすべてに従っていたとしても、絶えずそれを守らなければならず、いかに試練が大きくても、神との正常な関係を手放してはならない。あなたは祈りを捧げ、教会生活を維持し、兄弟姉妹のもとを決して離れないでいられる必要がある。神があなたを試すとき、あなたはそれでも真理を求める必要がある。これが霊的生活における最低限の必要事項である。求める願望を常にもち、協力することに努め、自分の全力を捧げることは、果たして可能だろうか。これを基礎とするならば、その人は識別力をもち、現実への入りを成し遂げることができる。あなたの状態が正常であれば、神の言葉を受け入れるのは容易である。このような状況において、真理の実践は難しいと感じられず、神の働きは素晴らしいと感じる。しかし、あなたの状態が劣っていれば、神の働きがいかに素晴らしくても、誰かがいかに美しく語ったとしても、あなたは気に留めないだろう。状態が異常であれば、神はその人の中で働きを行なうことができず、その人は自分の性質を変えることができない。

『神の出現と働き』「あなたは神への忠誠を保たなければならない」(『言葉』第1巻)より

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