日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 543

2020年9月26日

現在の神の働きは、すべての人が正しい道に入り、正常な霊的生活を送り、真の経験をし、聖霊によって動かされ、そうしたことを基盤として、神の委託を受け容れるようにするためのものである。神の国の訓練に入ることの目的は、あなたがたのすべての言葉、行為、動作、思い、考えが神の言葉に入るようにすること、そしてより頻繁に神に触れられることであなたの中に神への愛が生まれるようにすること、さらに神の旨の重荷をより多く引き受けることですべての人が神に完全にされる道に入り、正しい方向へ進むようにすることである。この神に完全にされる道を歩み始めたならば、あなたは正しい方向へ進んでいる。あなたが自分の思いや考えだけでなく誤った意図をも修正できるようになり、自らの肉に配慮することをやめて神の旨に配慮出来るようになり、誤った意図が生じたときもそれに心を奪われることなく、神の旨に従って行動できるようになったなら ― そのような変化をあなたが実現できるなら、あなたはいのちの経験の正しい道を歩んでいる。あなたの祈りの実践の道が正しければ、祈りの中で聖霊があなたに触れるだろう。あなたが祈るたび、聖霊があなたに触れ、あなたは神の前で心を静めることができるようになる。あなたが神の言葉の一節を飲み食いするたびに、現在神が行っている働きを把握し、どのように祈り、協力し、いのちに入るべきかを学べるようになったら、そのとき初めて、あなたは神の言葉を飲み食いしたことの成果を得られるのである。あなたが神の言葉によって入りの道を見出し、神の働きの現在の動向と聖霊の働きの傾向を把握することができるようになれば、それはあなたが正しい道を歩んでいることを意味する。あなたが神の言葉を飲み食いしていながらもその要点を把握しておらず、その後も実践の道を見出すことができないなら、それはあなたがまだ神の言葉をどうやって正しく飲み食いすればよいか知らず、その方法や原則を見出していないことを意味する。神が現在行っている働きをまだ把握していないなら、神に託される任務を受け入れることはできないだろう。神が現在行っている働きは、人間が今まさに入り、理解しなければいけない働きなのだ。あなたがたはこうしたことを理解しているだろうか。

神の言葉を効果的に飲み食いすれば、あなたの霊的生活は正常になり、どのような試練に直面し、どのような状況に遭遇し、どのような肉体の病に耐え、どのような兄弟姉妹との不和や家庭内の問題を経験しようとも、あなたは神の言葉を正常に飲み食いし、正常に祈り、正常に教会生活を送ることができる。そのすべてを成し遂げることができるなら、それはあなたが正しい道を歩んでいることを意味する。人によっては過度に繊細で根気に欠ける者もいる。そうした者は些細な障害に遭遇すると泣き言を言い、否定的になってしまう。真理の追求には根気と決意が必要だ。もし今回神の旨を満たすことに失敗したなら、自分自身を嫌悪し、次回は神の旨を満たすと心の奥で静かに決意できなければならない。もし今回神の重荷を心に留めていなかったのなら、将来同じ障害に遭遇したときには断固として肉に背き、神の旨を満たすと決意を固める必要がある。そうすることで、あなたは称賛に値する者となるのだ。自分自身の思いや考えが正しいかどうかすら知らない者もいるが、そうした者は愚かである。自分の心を抑えて肉に背きたいのなら、まず自分の意図が正しいかどうかを知る必要があり、その後初めて自分の心を抑えることができるようになるのだ。自分の意図が正しいかどうかを知らずに、自分の心を抑えて肉に背くことができるだろうか。肉に背いたとしても、曖昧なやり方になるだけだ。あなたは自分の誤った意図に背くことを知らなければならない。それが自分の肉に背くということなのだ。自分の意図、思い、考えが正しくないことに気づいたら、すぐに方向を変えて正しい道を歩む必要がある。まずこの問題を解決してから、この側面における入りを達成できるよう訓練しなさい。自分の意図が正しいかどうかを最もよく知っているのは自分自身だからである。誤った意図が正され、すべてが神のためとなったなら、自分の心を抑えるという目的を達成したことになる。

現在あなたがたにとって最も重要なことは、神と神の働きについて知ることである。また、聖霊が人間に対してどのように働きを行うかも知らなければならない。これが、正しい道に入るために必須の行いである。あなたがこの重要な点を把握できれば、正しい道に入ることは容易になるだろう。あなたが神を信じ、かつ神を知っていることは、神に対するあなたの信仰が本物であることを意味する。いくら経験を積んでも、最終的にまだ神を知ることができないなら、あなたは間違いなく神に逆らう者である。イエス・キリストのみを信じ、現在の受肉した神を信じない者は皆、罪に定められている。そうした者は皆現代のパリサイ人である。彼らは現在の神を認めず、皆神に背いているからである。そうした者がどれほど献身的にイエスを崇拝しても、すべては無駄であり、神の称賛を受けることはない。神を信じると大声で言いつつ、神に関する正しい認識を心の中に一切持たない者は、皆偽善者である。

『神の出現と働き』「完全にされるべく、神の旨に配慮せよ」(『言葉』第1巻)より

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