日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 571

2021年11月26日

もし、神の言葉から神の旨やその言葉の裏にある意図を理解できないなら、神の言葉が達成しようとしている目的や結果を理解できないなら、神の言葉が人間の中で何を達成し完成しようとしているかを理解できないなら――こうしたことを理解できていないなら、それはあなたがまだ真理を掴めていない証拠です。神はなぜ、今語っているようなことを語るのでしょうか。なぜあのような口調で語るのでしょうか。なぜ神が語る言葉の一つ一つが、こんなにも熱心で誠実なのでしょうか。なぜ特定の言葉を選んで使うのでしょうか。こうした質問に答えられますか。もし自信をもって答えられないなら、それはあなたが神の旨や意図を理解しておらず、神の言葉の裏にある背景を理解していないことを意味します。それが理解できないなら、どうして真理を得ることができるでしょうか。真理を得るというのは、神が語る一つ一つの言葉を通して神が意味することを理解することであり、またひとたび神の言葉を理解したらそれらを実践できるようになり、そうして神の言葉があなたによって生かされ、あなたの現実になるということです。神の言葉を完全に理解して初めて、真理を本当に把握することができるのです。あなたは多少の字句や教義を理解できるようになっただけで、真理を理解し現実を得たと思い込みます。そして、「神に正直であるよう求められているので、そう実践しています」などとも言いますが、なぜ人が正直であるよう求められているのかだけでなく、なぜ神を愛するよう求められているのかも理解できていません。実のところ、神が人々にそのような要求をする目的は、人々に救いと完成をもたらすことなのです。

神は真理に渇き、真理を求め、真理を愛する人のために真理を表します。字句や教義にこだわって、冗長で大層な話をしたがる人は、決して真理を得られないでしょう。そのような人は自分を欺いているのです。彼らは神の言葉の読み方を誤っており、首を曲げて真っ直ぐなものを読むため、視点がすべて間違っています。また中には神の言葉を研究することしか知らず、祝福を受けることや人の終着点について何が語られているかばかり調べている人もいます。そういう人は神の言葉が自分の見解と合わなければ、否定的になり追求を中断してしまいます。それはその人が真理には関心を持っていないことを意味します。その結果、真理を真剣に受け取らず、自分の観念や想像による真理しか受け取ることができません。そのような人たちは、神への信仰においては熱心で、あらゆる手を尽くしてちょっとした善行を行い人によく見られようと努めますが、それはただ自分が将来よい終着点を得たいがためなのです。彼らも教会生活を送り、他の皆と一緒に神の言葉を飲み食いしているにもかかわらず、そうした人々が真理現実に入って真理を得るのは難しいことなのです。また他にも、神の言葉を飲み食いしてはいるものの、それをただ形だけ行なっており、字句や教義を多少理解できるようになっただけで真理を得たと思い込んでいる人もいます。なんと愚かな人たちでしょう。神の言葉は真理です。しかし神の言葉を読んだからといって、真理を理解しそれを得られるとは限りません。神の言葉を飲み食いしても真理を得られなければ、得られるものは字句や教義だけです。あなたは真理を得るということがどういうことかわかっていません。神の言葉を手にはするかもしれませんが、それを読んだ後もなお神の旨は理解できず、字句や教義を多少得られるだけです。まず、神の言葉はそんなに単純ではなく、実に深遠なのだということを認識する必要があります。長いこと経験を積まずして、どうして神の言葉を理解できるでしょうか。神の言葉のたった一文であろうと、十分に体験するには一生かかるでしょう。あなたは神の言葉を読んでも、神の旨を理解できず、神の言葉の意図、その起源、それが達成しようとしている効果や、何を成し遂げようとしているのかも理解できません。こうしたことを一つも理解できないなら、どうして真理を理解できるでしょうか。あなたは神の言葉を何度も読んでいるかもしれず、多くの節を暗唱さえできるかもしれませんが、それでも何も変わっておらず、何の進歩もしていません。あなたと神との関係は、相変わらず距離があり疎遠です。神との間には従来どおり壁があり、あなたは神に対して疑い深いままです。あなたは神を理解できないだけでなく、神に言い訳をし、神についての観念を抱いています。神に抗い、冒涜さえしているのです。それでどうして、真理を得たことになるでしょうか。

『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」(『言葉』第3巻)より

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