日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 575

2021年12月10日

どんな本分を尽くすにも、いのちの入りが必要になります。あなたの本分が規則的なものであれ不規則なものであれ、退屈であれ精力的であれ、あなたは必ずいのちの入りを達成しなければなりません。人によっては、尽くすべき本分がかなり単調なもので、毎日同じことの繰り返しだったりすることもあります。しかしそういう人たちが本分を尽くしているときに示す状態は、それほど一様ではありません。気分が良いときは、少し勤勉になってより良い仕事をすることもあります。また何らかの影響により、堕落したサタン的な性質がいたずら心をかき立て、不適切な考えを起こさせ、悪い状態や悪い気分にさせて、その結果おざなりに本分を尽くしてしまうこともあります。人の内面の状態は常に変化していて、いつでもどこでも変わる可能性があります。しかしどんなに状態が変わっても、気分に基づいて行動することは常に間違っています。たとえば気分が良いときは少し振る舞いが良くなり、気分が悪いと少し悪くなるといったことが、節操ある行動のし方といえるでしょうか。そんな風で、自分の本分を十分に尽くせるでしょうか。人は気分がどうであれ、神の前で祈って自らを正すことを知り、真理を求め原則に従って行動しなければなりません。そうして初めて、気分に支配されて動揺するのを抑えられるのです。本分を尽くすときは常に自分自身をふり返り、原則に則って行動しているか、本分の尽くし方は基準を満たしているか、単におざなりに行なっていないか、責任を減らそうとしていないか、自分の態度や考え方に問題がないか、といったことを確認する必要があります。自省してそうしたことが明らかになると、本分を尽くすことが楽になります。本分を尽くすときはどんなことに遭遇しても――否定的態度や弱さ、取り扱いを受けた後の嫌な気分など――それに正しく対処しなければならず、同時に真理を求め神の旨を理解しなければなりません。そうすることで実践への道が開かれるのです。本分を尽くす上で良い仕事をしたければ、気分に左右されてはなりません。どんなに否定的で弱い気持ちになっても、なすことすべてにおいて真理を実践し、あくまでも厳密に原則を堅持しなければならないのです。そうすれば他の人から認められるだけでなく、神にも喜ばれるようになるでしょう。このようにして、あなたは責任感をもち、重荷を背負う人となるでしょうし、実際に基準を満たしながら本分を尽くし、本物の人の姿を生きる真に立派な人物となるでしょう。そのような人は本分を尽くす中で清められて真の変化を遂げますし、神の目から見て誠実な人と言うことができるのです。誠実な人だけが忍耐強く真理を実践し続け、原則に従って行動し、基準を満たす形で本分を尽くすことができます。原則に従って行動する人は、気分が良いときは細心の注意を払って本分を尽くし、いい加減な働きをすることはなく、傲慢ではなく、人に尊重してもらうために自分を誇示することがありません。そして気分が悪いときも同様に、日々の勤めを熱心に責任を持って成し遂げ、本分を尽くすのに妨げとなったり、本分を尽くす中で多少重圧となったり混乱を招いたりする事態に遭遇しても、なお神の前で心を静め、このように祈ることができるのです――「どんな大きな問題に直面しようとも、たとえ天が崩れ落ちてこようとも、神がわたしを生かし続けてくださる限り、わたしは全力で本分を尽くすつもりです。生かされている一日一日で一生懸命に本分を尽くし、神がわたしに授けてくださったこの本分とわたしの体に吹き入れてくださったこの息にふさわしいものとなるよう努めるつもりです。どれだけ多くの困難に見舞われていようと、すべて脇にのけます。本分を尽くすことが何よりも重要だからです!」――いかなる人や出来事や物事や環境にも左右されず、どんな気分や外的状況にも支配されず、神から委ねられた本分と委託を何よりも第一にする人は、神に忠実であり、真に神に従う人です。そのような人々はいのちの入りを達成しており、真理現実に入っています。それが、真理を生きるということの最も実践的かつ純粋な表現なのです。

『終わりの日のキリスト講話集』「いのちの入りは本分を尽くすことから始まる」(『言葉』第3巻)より

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