日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 332

2020年8月11日

あなたがたが生きている毎日は大切で、あなたがたの終着点や運命にとって、とても大切である。だから、あなたがたは持っているものすべて、そして過ぎていく一分一分を大事にしなければならない。あなたがたは最も多く利益をあげるように、時間を有効に使わなければならない。そうすれば、あなたがたはこの人生を無駄に生きたことにはならない。おそらく、あなたがたはなぜわたしがこのようなことを話しているか困惑しているかもしれない。率直に言って、わたしはあなたがたの誰の行動も喜んでいない。というのは、わたしがあなたがたに抱いていた望みは、到底今のあなたがたのようなものではないからである。だから、わたしはこのように表現することができる。あなたがたはすべてまさに危険にさらされている。過去にあなたがたが切実に求めた救いと、あなたがたの真理を追求し光を求める以前の熱望は終わりに近付いている。結局はこれが、あなたがたのわたしへの報い方であり、それはわたしが決して望んでいなかったものである。わたしは事実に反して話すことは願っていない。あなたがたがわたしをあまりにも失望させてきたからである。おそらく、あなたがたはそれをそのままにしておきたいとは願っておらず、事実に直面することも願っていないだろう。しかし、わたしは厳粛にこの質問をしなければならない。ここ数年、あなたがたの心は何で満たされていたのか。あなたがたの心は誰に忠実であるのか。わたしの質問が唐突であると言わないで欲しい。そしてわたしがなぜそのような質問をするのか聞かないで欲しい。あなたがたはこのことを知っていなければならない。わたしはあなたがたを知りすぎており、あまりにも気遣っており、あなたがたがすることにわたしの心をあまりにも捧げてきたからだ。だからわたしは繰り返し質問し、言いようのない困難にも耐えるのである。しかし、わたしに返ってきたのは、無視と諦めであった。あなたがたはなんとわたしに対して怠慢であることか。そのことをわたしが知り得ないことなどありえようか。あなたがたがそのようなことが可能であると信じるなら、それはあなたがたがわたしをいたわりでもって対処していない事実を更に証明している。だから、わたしはあなたがたは自分たちを欺いていると言おう。あなたがたのすべてはあまりにも賢いので、自分たちがしていることが分からない。それをわたしにどう説明するのか。

わたしが最も関心がある質問は、あなたがたの心は誰に忠実であるかということである。あなたがた一人一人に、自分たちの考えを整理して、自分は誰に忠実で、誰のために生きているのかと問いかけて欲しい。おそらく、あなたがたはこの質問を注意深く考えたことはなかったろうから、わたしがその答えを明らかにしよう。

記憶がある者たちはすべてこの事実を告白するだろう。人は自分自身のために生きており、自分自身に忠実である。わたしはあなたがたの答えが全く正しいとは信じていない。というのは、あなたがた一人一人は自分たちのそれぞれの生を生きており、一人一人が自分たちの苦悩と葛藤しているからである。よって、あなたがたが忠実なのは自分たちが愛している者や自分たちに喜びをもたらすものであり、あなたがたは自分自身に完全に忠実であるわけではない。あなたがたはそれぞれ、周りの人々や物事などに影響されるので、あなたがたは自分たちに真に忠実なわけではないのである。自分に忠実である事が素晴らしいと言っているのではない。何に対してであれ、あなたがたが忠実だと言っても、それがどんな状態かを明らかにするためにこう言うのである。これまでの長い間、わたしはあなたがたの誰からも忠誠心を受け取ったことはなかった。あなたがたは長い間わたしに付き従ってきたが、わたしに忠誠心のかけらも捧げてくれなかった。むしろ、あなたがたは自分たちが愛している人々や、自分たちを楽しませてくれる物事のまわりを回っているだけで、それらはあなたがたの心に留まっており、決していつも、どこでも見放されることはない。あなたがたが愛する何かに熱心であったり、情熱を持っている時は、いつもわたしに付き従っている時か、わたしの言葉を聞いている時でさえある。だから、わたしは言う、わたしが求めている忠誠心を、代わりにあなたがたの愛する者に忠実であるためにそしてそれらを大切にするために用いている、と。あなたがたはわたしのために何か一つか二つ犠牲にするかもしれないけれど、それはあなたがたすべてを現わしているのではなく、本当に忠実なのはわたしだということを示しているわけでもない。あなたがたは情熱を持っていることに夢中になる。娘や息子たちに忠実な人たちもいれば、夫、妻、富、仕事、目上の人たち、地位、あるいは女性に忠実な人たちもいる。自分たちが忠実なことに対しては、あなたがたは決してうんざりしたリ、悩まされることはなかった。むしろ、あなたがたは自分たちが忠実であったものをもっとたくさん、またもっといいものを所有することを増々切望し、そして決してあきらめることはなかった。わたし自身とわたしの言葉は常に、あなたがたが情熱を持っているものという点で、まさに最後の位置に押しやられている。そしてそれらを最後に持ってくるより他に選択肢がない。一部の人たちは未だ発見されていない今後忠実の対象になる何かのために、最後の場所を開けておくことさえする。彼らは心の中でわたしを気にかけたことがなかった。おそらくあなたがたはわたしが要求しすぎるか、不当に非難していると思っているのだろうが、あなたがたが家族と楽しい時を過ごしている時、わたしには決して忠実ではなかった事実を少しでも思いめぐらしたことがあっただろうか。あなたがたはこのような時に、痛みを感じないだろうか。あなたがたは働きの報酬を受け取って、心が喜びで満たされるとき、あなたがたには真理がまだ十分備わっていないことで落胆しないだろうか。あなたがたがわたしの承認を受けられずに泣いたことがあったのはいつだったろうか。あなたがたは知恵を絞ってあなたがたの息子や娘のために苦心するが、それでもあきたらず、あなたがたは彼らのための働きが充分でなく努力が足りないと信じている。しかし、わたしにとって、あなたがたはいつも、怠慢で不注意であった、そしてあなたがたは、わたしを記憶の中だけにとどめ、あなたがたの心の中ではわたしのことを認めなかった。わたしの献身と努力を永遠に感じることはなく、理解しようともしなかった。あなたがたはただ少し反省をし、それで十分だと信じている。このような「忠誠」は長い間わたしが切望してきたものではなく、長い間嫌悪してきたものだ。しかし、わたしが何を言っても、あなたがたは引き続き一つか二つのことしか認めず、それを完全に受け入れることはしないだろう。というのは、あなたがたはみな自信満々で、わたしが語った言葉の中から何を受け取るか、常に選り好みする。もしあなたがたが依然としてこのように振る舞うなら、わたしにはあなたがたの自信に対抗する方法がある。そして、わたしの言葉はすべて正しく、事実の歪曲ではないことをあなたがたに認めさせよう。

『神の出現と働き』「あなたは誰に忠実なのか」(『言葉』第1巻)より

神への忠誠の表現はどこに

あなたがたは何年もの間神に従ってきたものの、忠実の片鱗さえ神に示したことはない。そのかわりに、自分が愛する人々や自分の気に入るものの周りを回ってきただけである。そうするあまりに、いつでも、どこへ行こうとも、あなたがたはこれらを心に留め、見捨てたことはない。あなたがたが自分の愛する何か一つのことに夢中になったり情熱的になったりするのは、必ず神に従っているときや、さらには神の言葉に耳を傾けているときである。

それゆえ、神があなたがたに求める忠実を、あなたがたは「愛玩物」に忠実であり、それを可愛がるために代わりに使っている、と神は言うのである。あなたがたは神のために犠牲の一つや二つ払うかもしれないが、それはあなたがたのすべてを表しておらず、あなたがたが本当に忠実なのは神であると示してもいない。

神と神の言葉は、あなたがたの情熱の対象の後ろに押しやられる。それらは最下位に置かれるより他にない。この最下位をこれから発見し、忠実になるもののために空けておく人さえいる。そのような人の心の中に神の形跡がわずかでもあったことはない。

あなたがたは自分が情熱を感じる活動に関わる。息子や娘に忠実な人もいれば、夫や妻、富や仕事、上司、地位、女性に忠実な人もいる。自分が忠実なことについては、うんざり感じたり悩まされたりすることは決してない。それどころか、そういうものをさらに大量に、さらに高品質のものを所有することにますます熱心になり、決してあきらめない。

それゆえ、神があなたがたに求める忠実を、あなたがたは「愛玩物」に忠実であり、それを可愛がるために代わりに使っている、と神は言うのである。あなたがたは神のために犠牲の一つや二つ払うかもしれないが、それはあなたがたのすべてを表しておらず、あなたがたが本当に忠実なのは神であると示してもいない。

神と神の言葉は、あなたがたの情熱の対象の後ろに押しやられる。それらは最下位に置かれるより他にない。この最下位をこれから発見し、忠実になるもののために空けておく人さえいる。そのような人の心の中に神の形跡がわずかでもあったことはない。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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