日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋59

日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋59

0 |2020年6月17日

試練の後のヨブ

 (ヨブ記42:8-9)ヤーウェはこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。そこでテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルは行って、ヤーウェが彼らに命じられたようにしたので、ヤーウェはヨブの祈を受けいれられた。

 (ヨブ記42:10)ヨブがその友人たちのために祈ったとき、ヤーウェはヨブの繁栄をもとにかえし、そしてヤーウェはヨブのすべての財産を二倍に増された。

 (ヨブ記42:12)ヤーウェはヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。

 (ヨブ記42:17)ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

神は神を畏れ悪を避ける人々を大切にし、愚かな人々を卑しめる

 ヨブ記42:7-9では、神はヨブを「わたしのしもべ」と呼んでいる。この「しもべ」という言葉に、神にとってヨブがどれ程大切であったかが表されている。神はヨブをさらに高尚な名前で呼ぶことはなかったが、ヨブを大切に思う神の心は呼び名と関係がなかった。「しもべ」はヨブに対する神のあだ名であり、「わたしのしもべヨブ」と繰り返し言っている神の言葉から、ヨブをどれだけ喜んでいたかが分かる。神が「しもべ」という言葉の持つ意味を語ったことはなかったが、次の聖句で神が語った言葉から神がどのように「しもべ」を定義していたかが分かる。神は最初にテマン人エリファズに言った。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。」この言葉を通して、ヨブが神からの試練を受けた後のヨブの言動を神が全て受け入れたことを初めて公に示し、ヨブの言動が正確で正しいことを公に確かなものとした。エリファズと他の人々のことを神は怒っていた。なぜなら、彼らの話は間違っていて、不条理であり、また、ヨブも彼らも同じように神の現れを見ることも神の語る言葉を聞くこともなかったが、ヨブは神に関する正しい認識を持っていた反面、彼らは盲目的に神を想像し、神の心に背き、何をするにも神の忍耐を試したからである。結果として、神はヨブの言動の全てを受け入れたが、他の人々にたいしては怒りを感じた。彼らの中に、神を畏れることを現実的に見ることができないばかりか、彼らの言葉の中に神を畏れることを聞くことが全くなかったからである。そのようにして、神は彼らに次のような要求をした。「それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。」ここでは、神はエリファズと他の人々に、罪の贖いとしてすべきことがあると述べた。彼らの愚行はヤーウェ神に対する罪であり、自身の犯した過ちの償いとして全焼のいけにえを捧げなければならないと述べた。全焼のいけにえを捧げることは頻繁にあったが、ここでの全焼のいけにえは、ヨブに対して捧げられたというところが他の全焼のいけにえと異なる。ヨブは試練の中にあって神に対して証しとなっていたため、神に受け入れられた。一方ヨブの友人達は、ヨブが試練を通る中で明らかにされていった。つまり、彼らの愚行故に神に責められ、神の怒りを引き起こした。そのため彼らはヨブの前で全焼のいけにえをささげることで神に罰せられなければならないのである。その後、ヨブは彼らに対する神の罰と怒りを静めるために祈った。この出来事における神の目的は、彼らを恥じ入らせることであった。彼らが神を畏れ悪を避けることをせず、ヨブの高潔を非難したためである。ここで示されることのひとつは、神は彼らの行いを受け入れていないと言っていると同時に、ヨブを喜んでいるということである。そしてもうひとつは、神に受け入れられることにより、人は神の前に引き上げられるということである。愚行により人は神に嫌われ、愚行は神の怒りを引き起こす。そのような者は神の目には低く卑しいものであるということである。これが神による2種類の人間の定義であり、この2種類の人間に対する神の姿勢であり、2種類の人々の地位や価値に対する神の明確な説明である。神はヨブをしもべと呼んだが、このしもべは神に愛されており、他の人々のために祈り、その人々の過ちを赦す権威を与えられていた。このしもべは神と直接話すことができ、神の前に出ることができ、その地位は他のだれよりも栄誉あるものであった。これが神の言う「しもべ」の意味である。ヨブは神を畏れ悪を避けたために特別な栄誉を与えられた。他の人々が神のしもべと呼ばれなかったのは、彼らが神を畏れ悪を避けることをしなかったからである。神のはっきりと異なったふたつの態度は、2種類の人々に対する態度である。すなわち、神を畏れ悪を避ける者は神に受け入れられ、尊いが、神を畏れず悪を避けることのできない愚か者は神の好意を得ることはできず、しばしば神に嫌われ、責められる。彼らは神の目に卑しい者たちである。

神はヨブに権威を授ける

 ヨブは友人達のために祈るが、ヨブの祈り故に、神はヨブの友人達をその愚かさに従って扱うことをしなかった。つまり、神は彼らを罰することも報いることもしなかった。それは何故か。神のしもべであるヨブの祈りが神の耳に届いたからである。神はヨブの祈りを受け入れたゆえ、彼らを赦したのである。ここで何が分かるだろうか。神が誰かを祝福する時、神は多くを報い、それは物質的なものに限定されない。彼らに権威も与え、他の人のために祈る権利を与える。そしてその者の祈りを聞いた神は、彼らの過ちを忘れ、赦す。これが正に神がヨブに与えた権威である。ヨブの彼らへの責めをやめるようにという祈りを通して、ヤーウェ神は愚かな彼らを恥じ入らせた。これは勿論エリファズ達に対する神の特別な罰であった。

『言葉は肉において現れる』より引用

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