日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 99

2020年6月24日

サタンの「特別」な身分のために、サタンが様々な側面において表示する内容に対して、多くの人々が強い関心を寄せるようになる。なかには、サタンは奇跡を起こすことや、人間には不可能なことができるのであるから、サタンにも神と同様に権威がある、と信じている愚かな人々もいる。そうしたわけで、人間は神を礼拝する一方で、心の中にサタンのい場所を設け、さらにはサタンを神として礼拝することさえある。こうした人々は、哀れであると同時に、憎まれるべきである。こうした人々は、その無知さのために哀れであり、またその非道と生来の邪悪な本質のために憎まれるべきである。ここで、権威とは何か、権威は何を象徴するか、権威は何を表しているかを知らせる必要があるであろう。概して、神自身が権威であり、神の権威は崇高さと神の本質を象徴し、神自身の権威は、神の地位と身分を表す。そうであるとすれば、サタンは自分が神であるなどと敢えて言うであろうか。サタンは、自分が万物を造り、万物を支配していると敢えて言うであろうか。当然ながら、そのようなことは言わない。なぜなら、サタンは万物を創造することができないからである。現在まで、神が造った物と同じ物をサタンが造ったということは一度もなく、サタンが命あるものを造ったことは一切無い。サタンには神の権威が無いので、神の地位と身分をサタンが得ることはできない。これはサタンの本質により決定される。サタンには、神と同じ力があるだろうか。当然ながら、そのようなことは無い。サタンの行動や、サタンが起こした奇跡を何と呼ぶであろうか。それらは、力であろうか。それらを権威と呼べるであろうか。無論、それは力ではなく、権威とも呼べない。サタンは邪悪を率い、神の業のあらゆる側面を覆し、損なわせ、妨害する。現在まで数千年にわたり、人間を腐敗させ、虐待し、人間を誘惑し、欺して悪行を行わせ、神から拒否される存在にして、死の淵に向かわせたサタンは、かつて人間による祝賀や称賛、敬愛に値することを行ったことがあろうか。仮にサタンが権威と力を持っていたとすれば、人間はその権威や力により腐敗させられていたであろうか。仮にサタンが権威と力を持っていたとすれば、人間はその権威や力により危害を被ったであろうか。仮にサタンが権威と力を持つとすれば、人間はその権威や力により神を捨てて死へと向かうのであろうか。サタンには権威も力も無いのであれば、サタンの行為の本質は何であると判断すべきであろうか。サタンの行為全てを単なる謀略であると定義する人々もいるが、わたしはそうした定義はそれほど適切ではないと考える。人間の腐敗による邪悪な行いは、単なる謀略であろうか。サタンがヨブを虐げた邪悪な力と、ヨブを虐げ悩ませようとする激しい願望は、単なる謀略では得られないものである。思い出してみると、丘や山に広く群れていたヨブの動物たちは、一瞬にして消え去った。ヨブが所有していた大量の富が一瞬で消えた。これは謀略だけで成し得たことであろうか。サタンの業の性質は、損害、妨害、破壊、危害、邪悪、悪意、闇など、否定的な言葉に該当するので、そうした不正で邪悪な出来事の全てはサタンの行為と密接に繋がっており、サタンの邪悪な本質と不可分のものである。サタンの「力」や、大胆さ、野望がどれほどのものであったとしても、サタンの損傷を与える能力がどれほど優れていたとしても、サタンが人間を腐敗させ、誘惑する能力の幅広さがどれほどのものであったとしても、サタンが人間を威嚇する謀略や計略がどれほど狡猾であったとしても、またサタンが存在する形態をどれほど変化させることができたとしても、サタンには生き物を造る能力や、万物に対する律法や規律を定める能力があったことは無く、命のあるものかないものかを問わず、どのようなものも支配する能力があったことは無い。広大な宇宙の中で、サタンから生まれた人間や物、サタンのおかげで存在する人間や物、サタンに統治され、支配されている人間や物は、全く存在しない。それとは反対に、サタンは神の支配権の下で生活する必要があり、さらに神の指示と命令にすべて従う必要がある。神の許可なくしては、サタンにとってひとしずくの水やひと握りの砂に触れることさえ困難である。また神の許可なくしては、サタンは蟻を地に這わせることさえままならないのであるから、神の造った人間を動かすことなど到底できるはずがない。神から見ると、サタンは山のユリの花よりも劣り、空を舞う鳥や海の魚にも劣り、地のウジ虫にも劣る。万物の中におけるサタンの役割は、万物に仕え、人間のために仕え、神の業と神の経営(救いの)計画に資することである。サタンの本性がいかに悪意に満ちているか、その本質がいかに邪悪であるかによらず、サタンにできることは、神に仕え、神に対照を提供するという、その機能に従順に従うことのみである。これがサタンの本質であり位置づけである。サタンの本質は命や力、権威から切り離されており、サタンは神の手の中にある玩具のようなもの、神のための役立つ道具に過ぎない。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 1」(『言葉』第2巻)より

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