日々の神の御言葉「唯一無二の神自身 2」抜粋111

0 |2020年7月27日

神の義の性質を知る上で、経験や想像に依存してはならない

もし、自分が神の裁きと鍛錬を受けることになったとしたら、あなたは、神の言葉は不純だ、と言うであろうか。あなたは、神の怒りの根底は架空のもので、神の怒りは不純だ、と言うであろうか。あなたは、神の性質は必ずしも完全に義では無い、と言って、神を中傷するであろうか。神の業を解釈する時は、神の義なる性質にその他の要素が混入していないこと、そして神の業が聖であり完璧であることを確信している必要がある。神の業には、神による攻撃、神の罰や、神による人間の破壊などが含まれる。神の業は、それぞれ例外なく神が本来持っている性質と神の計画に厳密に従って行われる。これには、人間の知識や伝統、哲学は含まれない。また、神の業は、それぞれが神の性質と本質を表出するものであり、腐敗した人間のいかなる物事とも無関係である。人間の考えでは、完璧であり、かつ純粋であり、かつ聖なるものは、神の人間に対する愛、憐れみ、そして寛容さだけである。しかしながら、神の怒りが同様に純粋であることを知る者は居ない。さらに、神が決して反抗を甘受しないのは何故か、神の怒りがそこまで甚大なのは何故か、といった疑問について考える者は居ない。それとは逆に、神の怒りを腐敗した人間の態度として誤解し、神の怒りを、腐敗した人間の怒りであると思い込み、さらには神の怒りは腐敗した人間の性質の自然な表出と同じであると仮定したりする者が居る。こうした者は、神の怒りが発生するのは、不満により発生する腐敗した人間の怒りと同様であり、神の怒りが発生するのは神の気分の表出であると考えていることさえある。このフェローシップの後は、あなたがたそれぞれが、神の義なる性質について誤解や想像や仮定をしないこと、わたしの話を聴いた後、心の中で、神の怒りの真実を認識できること、神の怒りについて、従前の誤った考えを捨てること、神の怒りの本質に関する自分自身の誤った考えや見方を変えることが可能であることを願う。さらに、あなたがたが神の性質の正確な定義を心で理解すること、神の義なる性質について疑念を抱かないこと、神の真の性質に関して人間による理由付けや想像を適用しないことを願う。神の義の性質は、神自身の本質である。神の義の性質は、人間が造ったものでも、書き綴ったものでもない。神の義の性質は、神の義の性質であり、創造物とは何の関係も無い。神自身は、神自身である。神が創造物となることは決してあらず、神が創造物の中でその一員となった時であっても、神が本来持っている性質と本質は不変である。したがって、神を知ることは、ある物体について知ることではない。神を知ることは何かを分解することでも、人間を理解することでも無い。神を理解する上で、物体や人間を理解する方法を用いた場合、神に関する認識を得ることは不可能である。神を知ることは、経験や想像に依存することではなく、したがって神に関して自分が経験したことや想像したことを適用してはならない。どれほどの経験や想像力があったとしても、それには限界がある。さらに、自分の想像は事実に対応するものではなく、ましてや真理に対応するものでは無く、神の真の性質と本質とは相容れないものである。神の本質を理解する上で、想像に依存した場合、成功することは有り得ない。したがって、唯一の方法は、神から出た物すべてを受け容れ、徐々に経験し、理解に達する方法である。あなたが協力し、真理に対する飢えや渇きがあれば、何時の日か、神を真に理解し、知るよう、神が導き示すであろう。

『言葉は肉において現れる』より引用

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