日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 144

2020年7月29日

サタンの誘惑

マタイによる福音書第四章1-4節 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

これが悪魔が主イエスを初めて試みようとした言葉です。悪魔の言ったことの内容は何ですか。(「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。)悪魔はこれら極めて単純な言葉を言いましたが、この言葉の実質的内容に問題はありますか。(あります。)何が問題ですか。悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と言いましたが、心の中では悪魔は主イエスが神の子であることを知っていましたか。キリストであることを知っていましたか。(はい。)それでは、なぜ悪魔は「もし……であるなら」と言ったのですか。(神様を試そうとしたのです。)もちろん、悪魔は神を試そうとしていたのですが、しかし、そうする悪魔の目的は何でしたか。悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と言いました。心の中では、悪魔は主イエス・キリストが神の子であることを知っていました。このことは悪魔の心の中ではとても明確でした。しかし、それにもかかわらず、悪魔は主イエスに服従、あるいは主イエスを礼拝しましたか。(いいえ。)悪魔は何がしたかったのですか。悪魔がこれを行い、この言葉を言いたかったのは、主イエスを怒らせ、主イエスが餌に喰いついて来るようにおびき寄せ、主イエスを騙して悪魔の考える通りのことをさせ、その釣針にかかるようにさせるためでした。これが意図されたことではありませんでしたか。サタンは心の中では、明らかにそれが主イエス・キリストであることを知っていましたが、それなのにこう言ったのです。これがサタンの本性ではありませんか。サタンの本性は何ですか。(ずるくて、邪悪で、神様への畏敬の念がありません。)神への畏敬の念がありません。悪魔がしていた否定的なことは何ですか。神を攻撃したかったのではありませんか。神を攻撃するのにこの方法を用いたかったのです。悪魔は「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と言いました。これはサタンの邪悪な意図ではありませんか。(そうです。)悪魔は本当は何をしようとしていたのですか。悪魔の目的は明らかです。この方法を用いて主イエス・キリストの地位と身分を反証しようとしたのです。悪魔は、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい。もししないなら、あなたは神の子ではなく、あなたはこの働きを行なうな」と言いました。これがここで意図されたことではありませんか。悪魔はこの方法で神を攻撃したかったのです。神の働きを取り壊し、つぶしたかったのです。これはサタンの悪意です。サタンの憎悪はその本性の自然な表れです。サタンは主イエス・キリストは神の子であり、神の受肉そのものであると知っていたのに、このようなことをせずにはいられず、神の後ろをつけ、神を攻撃し続け、神の働きを妨げ破壊しようと骨を折ったのです。

さて、サタンが言った「これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」という台詞を分析しましょう。石をパンにする、これは何かを意味していますか。もし食べ物があるのなら、なぜそれを食べないのですか。なぜ石を食べ物に変える必要があるのですか。ここに意味はありますか。(ありません。)このとき主イエスは断食をしていましたが、食べ物をもっていたはずです。食べ物をもっていましたか。(はい。)それでは、ここにサタンがこの台詞を言ったことの馬鹿らしさがあります。サタンは幾つかのことをします。サタンの狡猾で悪意に満ちた本性が、サタンが神の働きを破壊するのが見えます。とても憎悪に満ちていて、苛立たせます。けれど、他方ではサタンの言動の背後に幼稚で愚かな本性も見えませんか。(見えます。)これはサタンの本性が露呈しているのです。サタンはこのような本性をもち、このようなことをします。この台詞はきょうの人々には馬鹿げていて笑えてきます。けれど、このような言葉は確かにサタンが言いそうなものです。サタンは無知だと言うことができますか。愚かですか。サタンの邪悪はそこらじゅうにあり、絶えず暴露されています。そして主イエスはどのように返答しますか。(「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」。)これらの言葉には力がありますか。(あります。)なぜ力があると言うのですか。(それが真理だからです。)そうです。これらの言葉は真理です。さて、人はパンだけで生きるものですか。主イエスは四十日四十夜断食しました。飢え死にしましたか。(いいえ。)飢え死にしませんでした。そこでサタンは主イエスに近づいて、「石を食べ物に変えれば、食べるものがあるではないか。それなら断食して、ひもじい思いをしなくてよいのではないか」のようなことを言って、主イエスに石を食べ物に変えるように促しました。けれど主イエスは、「人はパンだけで生きるものではなく」と言いました。これは、人間は肉体に生きてはいるが、人間にいのちを与えるもの、人間の肉体を生かし、呼吸させるものは食べ物ではなく、神の口から出るすべての言葉である、という意味です。一方で、人間はこの言葉を真理ととらえます。この言葉は人間に信仰を与え、人間は神に頼ることができ、神は真理であると感じさせます。他方で、この言葉には実際的な面がありますか。(あります。)なぜですか。それは、主イエスは四十日四十夜断食し、それでも立ち、いまだに生きているからです。これは実例ではありませんか。主イエスは四十日四十夜のあいだ何も一切の食べ物を食べていません。それでもまだ生きています。これはこの聖句の裏にある強力な証拠です。この台詞は単純です。けれど、主イエスに関する限り、この台詞は誰かに教えられ主イエスの心から出たものですか。それとも、サタンが言ったことのためだけに主イエスが考えついたのでしょうか。考えてみなさい。別の言い方をするならば、神は真理であり、神はいのちですが、神の真理といのちは後に追加されたものですか。それは経験から生まれたものでしたか。(いいえ。)いいえ。それは神に元来備わっているものであり、それは真理といのちは神の本質であるという意味です。神に何が起ころうと、神が表すものは真理です。この真理、この台詞は、その内容の長短に関わらず、人間を生かし、人間にいのちを与えることができます。この台詞は、人間がその中に真理を見出し、人生の道について明らかにし、神への信仰をもつことを可能にします。言い換えるなら、神がこの台詞を用いたことの源泉は肯定的です。それではこの肯定的なことは聖なるものだと言うことができますか。(はい。)サタンの台詞はサタンの本性から来ます。サタンはその邪悪な本性、悪意にみちた本性をあちこちで常に明らかにします。さて、サタンはこのような明示を自然に行いますか。(はい。)誰かが促すのですか。誰かが助けるのですか。誰かが強要するのですか。(いいえ。)それはすべて自発的な暴露です。これがサタンの邪悪な本性です。神が何を、またどのように行なおうと、サタンは神のすぐ後に付いて来ます。サタンのこのような言動の本質と真の特徴が、サタンの本質、邪悪な本質、悪意に満ちた本質です。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 5」(『言葉』第2巻)より

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