日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 158

2020年7月31日

サタンが社会動向を利用して人間を堕落させることです。この社会動向には様々なものがあります。「それは衣服のことですか。最新ファッションや化粧品、ヘアスタイルやグルメに関することですか」などと言う人がいます。社会動向とは、そうした物事に関することですか。それらも社会動向の一部ですが、ここでそうした物事については取り上げません。ここでは、社会動向が人間にもたらす考えや、社会動向が世間における人間の行動にどう影響するか、そして社会動向が人間にもたらす人生の目標や人生観についてのみ話し合います。社会動向は、人間の精神状態を支配し、影響を与えることがあるので、極めて重要です。こうした社会動向には、それぞれに人間を継続的に退化させ、良心、人間性、理知を失わせ、人間の倫理や人格をますます低下させる邪悪な影響があり、それゆえ現在、大部分の人々に誠実さや人間性、良心、さらには理知さえ欠如している状態にまで達しているとさえ言えるほどです。それでは、そのような社会動向とは何なのでしょうか。それは裸眼では見ることが不可能です。社会動向が席巻すると、その創出者となるのはごく僅かな人たちです。その人たちは、ある種の行動を始めたり、ある種の考え方や物の見方を受け入れたりして始めます。しかし大部分の人々は、無意識のうちに、そうした社会動向に継続的に汚染され、捕らわれ、魅惑され、やがてそれを知らず知らずのうちに、無意識のうちに受け入れるようになり、それに呑み込まれて支配されるようになります。こうした社会動向で、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの区別が出来ない人間は、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、価値観を次々と進んで受け入れてしまいます。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが教えることや、サタンにより「授けられた」生活の道を受け入れます。彼らには強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏しているのです。それでは、そんな社会動向とは一体何でしょうか。あなたがたが理解できるように簡単な例を選びました。例えば、過去の人々は老人も若者も騙すことなく、また買い手を問わず同じ価格で商品を販売する形で、商業を営んでいました。ここに一抹の良心と人間性が感じられませんか。人間がこうした信条に従って商業を営んでいた頃、それは人間にはある程度の良心や人間性があったと言うことを示しています。しかし、人間が要求する金額が増加を続けるにつれて、人間は知らぬ間に金銭や利得、快楽をますます愛するようになりました。その結果、人間は金銭を一層重要であると考えるようになりましたか。人間が金銭を一層重要視するとき、人間は知らぬ間に自分自身の評判や名声、信望や人格を無視するようになるのです。そうではありませんか。商業を営むと、他の人々が様々な方法や手段により人々を騙して裕福になるのを見ます。稼いで得た金銭は不正手段による利得ですが、人々はますます裕福になってゆきます。こうした人々は、あなたと同じ商業を営んでいますが、彼らの家族全体はあなた以上に人生を楽しんでいるので、あなたは気分が悪くなり、「自分も同じように出来ないのは何故だろう。あの人たちのように稼げないのは何故だろう。もっと稼ぐ方法を考えて、商業を繁栄させる必要がある」などとつぶやくのです。そしてあなたは、そのことを熟考します。老人や若者を騙すこと無く、誰にでも同じ金額で販売するという、金銭を得る通常の方法に従えば、取得した金銭は良心によるものですが、すぐに裕福になることは出来ません。しかし、利益を得る衝動に駆られると、考えが徐々に変化してゆきます。この変化の過程において、行動原則も変化し始めます。誰かを初めて欺く時、誰かを騙す時、あなたは自分に対する条件を付け、「人を騙すのはこれが最後、二度としない。人を騙すことはできない。人を騙すと、その報いを受けて災難が降りかかるだけ。だから人を騙すのは、これで最後にして、二度としない」などと言うのです。初めて人を騙す時、あなたの心は躊躇があります。これが人間の良心の機能です。ためらいと自分自身に対する非難のために、誰かを騙すと不自然に感じられるのです。しかし、誰かを騙すことに成功すると、以前よりも多くの金銭を持っていることに気付き、その方法が極めて利益性の高いものとなり得ると考えます。心に鈍い痛みがあるものの、あなたは自分の「成功」を祝い、自分自身に対して多少満足した気分になります。そこで初めてあなたは、自分の振る舞いと欺瞞行為を是認します。ひとたび人間がこの不正行為により汚されると、賭博に手を出してギャンブラーになってしまう人と同様です。無意識のうちに、自分の不正行為を是認し、容認します。無意識のうちに、不正は正当な商業行為であるとみなし、生存と生活のための最も便利な手段であると見なし、不正により迅速に裕福になることができると考えます。この過程の最初の時点では、人間はそんな行為を受け入れることは出来ず、その行為や方法を侮蔑しますが、ひとたびそれを直接に経験し自分自身で試すと、心は次第に変わり始めます。この変化は何でしょうか。それは、この動向を是認すること、この社会的動向により自分の内に浸透した考え方を是認することです。気付かぬうちに、あなたは商業で不正を行わなかったなら、損失が生まれ、何かを失うと感じるようになります。気付かぬうちに、不正が自分の魂となり、大きな柱となり、また自分の人生において不可欠な法則の一種となります。人間がこの行動と考え方を受け入れた後、人間の心は変化するでしょうか。あなたの心が変化してしまったら、人格も変化してしまうのでしょうか。あなたの人間性は変化してしまうのでしょうか。(変化してしまいます。) あなたの良心は、変化してしまいますか。(はい。) 心から思考まで、人の全体が質的な変化を遂げ、最終的に内側から外側に変わってしまいます。この変化により、あなたは神から次第に遠ざかって行き、次第にサタンに服従し、サタンに似てくるようになるのです。

 これらの社会的動向は、あなたがたにとって今では分かりやすいものです。簡単で、人々にとって身近でよく見られる一般的な例を挙げました。これらの社会的動向は、人間に大きな影響を及ぼしますか。(はい。)これらの社会的動向は、人間に深刻な悪影響を及ぼしますか。(はい。)人々にとって、極めて深刻な悪影響です。サタンは、こうした社会的動向を次々と用いて、人間の何を堕落させますか。(良心、理知、人間性、倫理です。)他には。(人間の人生観です。)社会的動向は人間の漸進的退廃をもたらしますか。(はい。)サタンはこうした社会的動向を用いて、少しずつ人間を誘惑して悪の巣窟へと誘い、社会的動向に捕らわれた人間は、気付かぬうちに金銭や物欲、邪悪と暴力を擁護するようになります。ひとたびこうした物事が人間の心に入ると、人間はどうなりますか。人間は邪悪なサタンと化すのです。それは、人間の心のどのような心理的傾向に起因しますか。人間は何を擁護しますか。人間は邪悪と暴力を好むようになるのです。人間は美や善を嫌い、またそれ以上に平和を嫌います。人間は通常の人間性による質素な生活を送ろうとせず、高い地位や大きな富を得ることを望み、肉の享楽に耽溺し、自分の肉を際限も制約もなく満足させるために努力を惜しまず、すなわち自分の求めるあらゆる事を行います。それならば、人間がこうした動向に没頭した場合、取得した知識はあなたが自由になるのに役立ちますか。あなたが知る伝統文化や迷信は、この窮地を投げ捨てるのに役立ちますか。人間が把握している伝統的な倫理や儀式は、人間が自制する上で役立ちますか。例として、『三字経』を考えてみましょう。三字経は、人間がこうした社会動向の泥沼から抜け出す上で、役立つことがありえますか。(ありえません。)このように、人間はますます邪悪で、傲慢で、尊大で、自己中心的で悪意に満ちてゆきます。人間同士の愛情も家族同士の愛情も無くなり、親戚や友人同士の理解も無くなり、人間関係は暴力に満ちたものとなっています。誰もが暴力的方法を使用して、他の人間のそばで生活することを望み、自分自身の生活を確保するために、暴力を使います。地位や利益を得るためにも暴力を用い、また暴力や邪悪な方法を用いてしたい放題です。このような人類は恐ろしいものではないですか。(その通りです。)今わたしが述べた事を聞いて、サタンが堕落させたこのような人々や世界、環境の中で暮らすのは恐ろしいと思いませんか。(思います。)それでは、あなたがたは自分達が哀れだと感じたことはあるでしょうか。今、少々そのように感じているはずです。(はい。)あなたがたの口調からすると、あなたがたは「サタンは実に様々な方法で人間を堕落させている。サタンはあらゆる機会を捉え、あらゆる所に存在する。それでも人間は救われるだろうか」と考えているようです。それでも人間は救われるでしょうか。人間は自分自身を救うことができるでしょうか。(できません。)玉皇大帝は人間を救うことができるでしょうか。孔子は人間を救うことができるでしょうか。觀世音菩薩は人間を救うことができるでしょうか。(できません。)それでは、誰が人間を救うことができますか。(神様です。)しかし、一部の人々は心の中に疑問を抱いて、「サタンは人間を極めて激しく害しているので、わたしたちには生きていく希望も自信もない。人間は皆堕落のただ中で生活し、いずれにしても誰もが神を拒否している。今や、人間の心は落ち込むところまで落ちてしまった。サタンが人間を堕落させている間、神はどこにいるのか。神は何をしているのか。神が人間のために何をしているとしても、人間にはそれを感じることができない」と思っています。一部の人々はどうしても意気消沈し、ある程度落胆します。あなたがたにとって、この気持ちは極めて深いものです。なぜなら、わたしがずっと述べていることは、皆に徐々に理解させ、希望が無いことをますます強く感じさせ、神に見捨てられたとますます強く感じさせるためだからです。しかし、心配は無用です。今日の主題「サタンの邪悪さ」は、わたしたちの真の主題ではありません。とは言え、神の聖なる本質を議論するためには、まずサタンがどう人間を堕落させるのかやサタンの邪悪さについて議論し、人間が現在置かれている状況を明確にする必要があります。これらの事を議論する目的のひとつは、人間がサタンの邪悪さを理解することであり、もうひとつは、真の聖さとは何かを一層深く理解出来るようにすることです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 6」(『言葉』第2巻)より

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