日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 160

2020年7月27日

神は、人間の安全を保証すること、サタンに食い尽くされないことを保証すること以外にも、さらなることを行います。神は、誰かを選んで救う準備のために、数多くの働きを行います。まず、あなたはどのような性格か、どのような家庭に生まれるか、両親は誰か、兄弟姉妹は何名いるか、家庭の状況と経済的地位はどのようなものか、あなたの家庭状況はどうかなどは、神があなたのために、苦心して用意しました。あなたがたは、神の選民の大部分が、どのような家庭に生まれているかを知っています。名門の家庭でしょうか。そんな家も数件あるかも知れません。全くないとは断言できませんが、極めて少ないです。百万長者、あるいは億万長者など極めて裕福な家庭でしょうか。その種の家庭はまずほぼありません。それでは、神がそれらの人々のために用意するのは、どのような家庭でしょうか。(普通の家庭です。)それでは、普通の家庭とは、どのようなものですか。専ら労働者の家庭です。労働者は賃金に依存して生活し、基本的な必需品を購入することができます。労働者家庭は何があってもあなたを飢えさせることはありませんが、物質的必要性を全て満たすことは期待できません。また農家の家庭もあります。農家は作物の栽培に食糧を依存し、食糧として穀物があるので何があっても飢えることは無いですが、良い衣服はありません。また、事業や小規模商業を営む家庭や、両親が知能労働者である家庭などがあり、それらもまた普通の家庭と見なせます。また両親が事務職に従事する場合や、下級公務員である場合もあり、それらも名門とは見なすことはできません。多くの人々は普通の家庭に生まれ、それもまたすべて神が用意したことです。つまり、あなたの生活する環境は、あなたが想像するような資産家の家庭ではなく、神があなたのために決めた家庭であり、大部分の人々が、こうした家庭の制約範囲内で生活します。ここでは、例外は取り上げません。それでは、社会的地位はどうですか。ほとんどの場合、両親の経済状況は平均的であり、社会的地位は高くありません。彼らにとっては、職があるだけで十分です。長官はいるでしょうか。それでは総裁はいますか。(いません。)地位が高かったとしても、小企業の経営者や下位管理職にとどまり、社会的地位は中間で、経済状態は平均的です。もう一つの要素は家庭の生活環境です。まず、自分の子どもに影響を与えて易断や運勢判断などの道へ進ませる両親は極めて少ないか全くいません。大部分の両親は極めて普通であり、あなたがたに似ています。神は人間を選択すると同時に人間のためにこうした環境を用意しますが、それは神が人間を救う働きに大いに有益です。外面的には、神は人間のために何ら劇的なことをしていないように見えますが、神は全てを秘密裏かつ謙虚に、そして静かに行うからです。しかし実際には、神がすることは全て人間の救いのための基盤を築き、将来の道を用意し、救いに必要な全ての条件を用意するためのものです。神は、各人に指定された時間になると即時に人々を神の前に戻します。あなたが神の声を聞く時が来ると、それはあなたが神の前に行く時です。その時、ある者は既に人の親となり、ある者はまだ誰かの子のままです。換言すると、既に結婚して子をもうけた人もいれば、独身のままで自分の家庭を持っていない人もいます。しかし、人々の状況を問わず、神はあなたが選ばれる時期、神の福音と言葉があなたに届く時期を、既に決定しています。神は、あなたが神の言葉を聞くことができるよう、既に状況を設定し、あなたに福音をもたらす特定の人物や状況を決定しています。神は、あなたが知らないうちに神の前に来て神の家に戻るよう、必要とされる全ての条件を既に用意しています。また、あなたは知らないうちに神に付き従い、神があなたのために段階ごとに用意した、段階的な働きに入っていきます。神がこの時人間のために物事をおこなうのにはどのような方法があるのでしょうか。まず、神が最低限度として行うのは、人間が享受する慈悲と保護です。神は、人間が神の存在と神による業をそこに見出せるように、様々な人々や出来事、物事を用意します。たとえば、家族が病を患っているために神を信仰する人がいて、「家族が病気だが、いったいどうしたらよいのか」と言ったとします。誰かが「主イエスを信じよ」と言い、それゆえに神を信仰するようになります。その信仰は状況が原因となって生まれました。それでは、この状況を用意したのは、誰ですか。(神様です。)この病により、若い者も年老いた者も全員が信者である家庭が存在する一方で、信仰する者としない者がいる家庭も存在します。外見上は疾病のために神を信じるようになったけれど、実はその疾病は神の前へと行くように、あなたに与えられた条件であり、すなわちそれは神の優しさです。ある人々は、家庭生活が困難で平安を見出すことができないために、誰かが福音を伝える機会が訪れ、その誰かが「あなたの家庭には困難がある。主イエスを信じよ。主イエスを信じれば、平安が訪れる」と言います。その後、無意識のうちに、この人は極めて自然な状況下で神を信じるようになります。これは一種の条件ではありませんか。(その通りです。)それでは、その人の家庭に平安がないというのは、神がその人に与えた恵みではないですか。(その通りです。)それ以外の理由で神を信じるようになる人々もいます。信仰には様々な理由や在り方がありますが、神を信じるようになった理由がどのようなものであれ、実際には、それは全て神が用意し、導いたものなのです。最初、神は様々な方法であなたを選び、あなたを神の家に連れてきます。これが神があらゆる人に与える恵みです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 6」(『言葉』第2巻)より

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