日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 180

2020年9月11日

では最初の部分から始めましょう。神は万物を創造したとき、山、平野、砂漠、丘、河川、湖沼の境界を定めました。地上には山、平野、砂漠、丘、そして様々な水域が存在します。これらが様々な種類の地形を構成しています。そうですね。神はそれらの間に境界を定めました。境界の設定という場合、それは山には山の、平野には平野の領域があり、砂漠には一定の範囲が、丘には一定の面積があることを意味します。さらに、河川や湖沼などの水域にも一定の水量があります。つまり、神は万物を造った際、あらゆるものを極めて明確に分割したのです。神は、ある山の半径は何キロメートルであるべきか、その範囲はどのようなものかを、すでに決めてきました。また、ある平野の半径は何キロメートルであるべきか、その範囲はどのようなものかも決めてきました。万物を造ったときも、神は砂漠の境界、丘の範囲やその割合、そしてそれらの境界が何によって定められるかなどの事柄をすべて決めてきました。それらはすべて神によって決められたのです。神は創造を行なうあいだに、川や湖沼の範囲を決めました。それらはいずれもそれぞれの境界をもちます。では、私たちが「境界」について話すとき、それは何を意味しますか。つい先ほど、神は万物の法則を定めることで万物を支配している、という話をしました。つまり、地球の回転や時間の経過のせいで、山の範囲と境界が広がったり狭まったりすることはないのです。それらは固定されており、変わることはありません。その不変性を決めるのは神です。平野の面積、範囲、境界についても、それは神によって定められました。平野にはそれぞれの境界があり、それゆえ平野の地面から土が勝手に盛り上がることはあり得ません。平野が突然山になることもありません。それは不可能でしょう。これが、わたしたちが先ほど話し合った法則と境界の意味です。砂漠について言えば、その具体的な役割はここでは触れません。またその他の地形や地理的位置についてもここでは触れず、それらの境界にだけ触れることにします。神の支配下では、砂漠の範囲も拡大することはありません。なぜなら、神が砂漠にその法則と範囲を与えたからです。砂漠の面積、機能、境界、および所在地などは、神によってすでに定められています。砂漠はその範囲を超えることも、移動することもなく、面積が勝手に広がることもありません。河川や湖沼などの水流には秩序があり、途絶えることはないものの、その範囲から出て移動したり、境界を越えたりすることは決してありません。それらはすべて一方向に、流れるべき方向に秩序正しく流れます。ゆえに、神の支配の法則下において、水や湖沼が勝手に干上がったり、地球の回転や時間の経過が原因で勝手に方向を変えたり、流量を変えたりすることはないのです。それはすべて神の支配下にあります。つまり、神によって造られ、この人類の間に存在する万物には、それぞれ固定された場所、面積、そして範囲があるのです。すなわち、神が万物を造った際にそれらの境界が定められたのであって、勝手に変更することも、更新することも、変えることもできません。「勝手に」とは何を意味しますか。それは、天候や気温、地球の回転速度などが原因で、こうした境界がやみくもに移動したり、拡大したり、変形したりすることはない、ということです。たとえば、山には特定の高さがあり、その麓には特定の面積があり、また特定の標高、特定の植生があります。それらはどれも神により計画され、計算されたものであり、高さや面積が勝手に変わることはありません。平野について言えば、人類の大部分は平野に住んでおり、気候の変化がその面積や存在価値に影響を及ぼすことはありません。神によって造られたこれら様々な地形や地理的環境に含まれている物事さえも、勝手に変わることはありません。たとえば、砂漠の構成要素、地中にある鉱物資源の種類、砂漠の砂の量、色、厚さなどが、勝手に変わることはありません。それらが勝手に変わらないのはなぜですか。神の支配と管理がその理由です。神が造ったこれら様々な地形や地理的環境の中で、神はあらゆる物事を、計画された秩序ある方法で管理しています。そうしたわけで、これらの地理的環境は、神によって造られてから数千年、さらには数万年が経った後でもいまだ存在し、依然として機能しているのです。火山が噴火したり、地震が発生したり、大規模な地殻変動が起きたりする期間もありますが、神はいかなる種類の地形であっても、それが本来の機能を失うことを許しません。人間が見て享受できるこれらすべてのものが地球上で秩序正しく存在できるのは、ひとえに神がそれを管理し、これらの法則を統治、支配しているからです。では、地球上に存在するこれら様々な地形を、神がこのような形で管理するのはなぜですか。神の目的は、様々な地理的環境の中で生存しているすべての生物が安定した環境を得られるようにすること、それらの生物がその安定した環境の中で生き続け、増殖できるようにすることです。動けるものや動けないもの、鼻孔で呼吸するものやそうしないものなど、これらすべての物事が、人類の生存のために独自の環境を構成しているのです。この種の環境だけが何世代にもわたって人間を養い、人間が何世代にもわたって平和に生存し続けられるようにするのです。

わたしが先ほど話したことはいささか大きな主題なので、おそらくあなたがたの生活からいくぶんかけ離れたことのように思えるでしょう。しかし、みなさん理解はできたはずです。違いますか。つまり、万物の支配における神の法則は、極めて重要だということです。まさに重要なのです。この法則のもと、すべての生物が成長する前提条件は何ですか。それは神による支配です。神による支配のもと、万物がそれぞれの役割を果たすのは、神の支配のゆえなのです。たとえば、山は森を養い、森はそこに棲む様々な鳥や獣を養って守ります。平野は人間が作物を栽培するために用意された場所であり、また様々な鳥や獣のために用意された場所でもあります。平野があるおかげで、人類の大半が平らな地面で生活でき、人々の生活に便宜がもたらされます。また、平野には草原が含まれます。広大な草原です。草原は地表を植物で覆います。草原は土を守り、草原に棲む牛、羊、馬を養います。砂漠もその役割を果たします。砂漠は人間の住む場所ではなく、その役割は多湿な気候を乾燥させることです。河川や湖沼の水流は、人々が簡単に飲み水を得られるようにします。水が流れている所であれば、人はどこでも飲み水を得ることができ、万物の水に対する必要性が簡単に満たされます。これらが、神が様々な地形に対して定めた境界です。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 9」(『言葉』第2巻)より

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