日々の神の御言葉「実践に集中する者だけが完全にされることができる」抜粋212

2020年9月18日

神は行うべき働きを行い、言葉による職分を果たすために終わりの日に受肉した。神の心に適う人を完全にすることを目的として、人間のもとで働くために神は自らやって来た。創造の時から現在まで、神がこのような働きを行うのは終わりの日のみである。そのような大規模な働きを行うために神が受肉したのは、終わりの日のみである。神は人間にとっては耐え難いであろう苦難に耐え、偉大な神でありながら凡人となるほどに謙っているが、神の働きのうち遅れている側面はなく、その計画はほんの少しも混乱に陥ったことはない。神は元来の計画どおりに働きを行っている。この受肉の目的のひとつが、人間を征服することであり、もうひとつが神が愛する人を完全にすることである。神は自らが完全にする人をその目で見ること望んでおり、また完全にする人がどのように神を証しするかを自ら見ることを望んでいる。完全にされるのは一人や二人ではない。それは極めて少人数の集団である。この集団にいる人たちは世界各地の様々な国の出身であり、様々な民族である。これだけの働きを行う目的は、その集団を得ること、その集団が神のために立てる証しを得ること、そしてその集団から神が得られる栄光を得ることである。神は意義のない働きも、無価値な働きも行わない。それほど大量の働きを行う神の目的は、神が完全にすることを望む人全てを完全にすることであると言える。その働きの余暇には、神は邪悪な者を捨てる。神がそうした大いなる働きを行うのは邪悪な者のためではないことを知りなさい。それどころか、神に完全にされる少数の人たちのために、神は自らの全てを捧げるのである。神が行う働き、述べる言葉、明らかにする奥義、神の裁きと刑罰は全てそれらの少数の人たちのためである。邪悪な者のために神は受肉したのではなく、邪悪な者が神に大いなる怒りをかき立てるということもなおさらない。神が真理といのちに入ることについて語るのは完全にされるべき者のためである。神が受肉したのも彼らのためであり、約束と祝福を授けるのも彼らのためである。神が述べる真理、入ること、そして人間としての生活は、邪悪な者のために行われるのではない。神は邪悪な者に話をするのを避けることを望み、その代わりに完全にされるべき者に全ての真理を授けることを願う。しかし、神の働きにおいては、邪悪な者が一時的に神の富の一部を享受することが必要とされる。真理を実行しない者、神を満足させない者、神の働きを混乱させる者は皆邪悪である。そうした者は完全にされることができず、神に忌み嫌われ、拒まれる。一方、真理を実践する者、神を満足させることができる者、自らの全てを神の働きのために費やす者は、神に完全にされる者である。神が完成させることを望む者は他ならぬその集団であり、神が行う働きはそうした者のためである。神が述べる真理は、進んでその真理を実践する者に向けられている。神は真理を実践しない者には語らない。神が述べる識見の増加と識別力の成長は、真理を実践できる者を対象とする。完全にされるべき者について神が語る時、神はこれらの人について話している。聖霊の働きは、進んで真理を実践する者に向けられている。知恵や人間性を自分のものにすることなどは、進んで真理を実行に移す人に向けられている。真理を実行しない者は真理の言葉を数多く聞くかもしれないが、彼らの本性は極めて邪悪であり、真理に関心がないので、彼らが理解しているのは教義と言葉と空虚な理論でしかなく、彼らのいのちへの入りにはほんの少しも価値がない。彼らのうちには神に忠実な者はいない。彼らは皆、神を見るが神を得られず、神に断罪される。

『言葉は肉において現れる』より引用

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