日々の神の御言葉「完全にされた者だけが意義ある人生を生きられる」抜粋213

日々の神の御言葉「完全にされた者だけが意義ある人生を生きられる」抜粋213

0 |2020年8月6日

征服する働きの主な目標は人間を清めることで、そうして人は真理を持つことができる。なぜなら、人は今ほとんど真理を持っていないからだ!このような人たちを征服するのはとても深い意味がある。あなたがたは暗闇の影響下に落ち、深く傷つけられた。だから、この働きの目標は、あなたがたに人間の性質を理解できるようにさせ、それによって真理を生きることができるようにするためである。完全にされることとは、すべての被造物が受け入れるべきことである。この段階の働きが人々を完全にすることだけに関わっているなら、それは、イギリス、アメリカ、イスラエルなどどこにおいてもできる。それはどの国の人々にもすることができる。しかし、征服する働きは選ばれたものでなくてはならない。征服する働きの第一ステップは短期間である。さらに、それはサタンを辱しめ、全宇宙を征服するために用いられる。これは征服する最初の働きである。神を信じる人ならだれでも完全にしてもらうことができる、と言うこともできる。なぜなら、完全になることは長期間の変化の後でしか成就することができないからだ。しかし、征服されることはべつのことである。征服される人の良い見本は、最後方でのろのろと歩き、最も深い闇に生きており、最も堕落して、最も神を受け入れ難く、最も神に不従順な人でなければならない。このような人こそ、征服されたことを証拠立てることができる。征服する働きの主な目標はサタンを打ち負かすことである。もう一方で、人々を完全にする主な目標は人々を神のものとすることである。それは征服する働きがここであなたがたのような人たちに対してなされたと、人々が証しするためである。征服された人々、後になって証しをさせることが目的である。これら征服された人々はサタンを辱しめるという目的を達成するために用いられる。それでは、征服の主要方法は何だろうか。刑罰、裁き、呪い、顕示――人々を征服するために義の性質を用いて、その結果、彼らは神の義なる性質の故に、彼らの心と口は確信で満たされ、彼らは完全に確信する。人々を征服し、彼らを完全に確信させるために、言葉の現実性を用い、言葉の権威を用いること――これが征服されるという意味である。完全にされた者たちは、征服されたあと服従することが出来るだけでなく、認識を持ち、彼らの性質を変えることもできる。彼らは神を知っており、神を愛する道を体験しており、真理で満たされている。彼らは神の働きを体験する方法を知っており、神のための苦難を物ともせず、自分たちの意思を持っている。完全にされた者たちとは真理を体験したおかげで、真理を実際に理解している人たちのことである。征服された者たちとは真理について知っているが、まだ真理の本当の意味を受け入れていない人たちのことである。征服されてから、彼らは従うが、彼らの従順さは彼らが受けた裁きのすべての結果である。彼らは多くの真理について実際の意味は全く理解していない。彼らは口頭では真理を認めるが、真理に入っているわけではない。彼らは真理を理解するが、真理を体験してはいない。完全にされる者たちに行われる働きとは、いのちの備えと共に刑罰と裁きが含まれている。真理に入ることに価値を認める人は、完全にされる人である。完全にされる人たちと征服される人たちとの違いは彼らが真理に入るかどうかである。真理を理解し、真理に入っており、真理を生きている人たちは完全にされた人たちである。真理を理解せず、真理に入らず、真理を生きていない人たちは完全にされることができない人たちである。もしそのような人たちが、今、徹底的に服従することができるなら、彼らは征服されるのである。もし征服された人たちが真理を求めず――もし彼らは付き従っているが、真理を生きていないなら、もし彼らは真理を見て聞いているが、真理を生きる価値がないと思っているなら――彼らは完全にされることはできない。完全にされる人たちは、完全への道に従って、真理を実践する。すなわち、彼らは完全への道に基づいた真理を実践するのである。これを通して、彼らは神の心を成就し、彼らは完全にされる。征服する働きが終わる前に、最後まで従う者は征服された者であるが、完全にされたものとは言えない。完全にされた人たちとは、征服される働きが終わってから、真理を追求し、神のものとされることができる人たちのことである。それは、征服する働きが終わってから、患難においてしっかり立ち、真理どおりに生きる人たちのことを意味する。完全にされることと征服されることの違いは働きの方法が違い、真理を持つ度合いが違う。完全への道にまだ歩みだしていない人たち、つまり、真理を持っていない人たちは、やはり最終的には排除される。真理を持ち、真理を生きている人たちだけが完全に神のものとしてもらうことができる。すなわち、ペテロの似姿を生きている人たちこそ完全にされた人たちで、その他の人たちは征服された人たちである。征服されている人たちすべてになされている働きは単に、呪い、刑罰、怒りの顕示などから構成されている。彼らにやって来るのは単に、義と呪いである。そのような人に働きを行うこととは、遠慮なしに示すこと――彼が自分自身それを認め、完全に確信するよう彼の内にある堕落した性質を示すことである。人がいったん完全に従順になると、征服の働きは終わる。ほとんどの人たちが依然として真理を理解するよう求めてはいなくても、征服の働きは終わったことになる。

『言葉は肉において現れる』より引用

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