日々の神の御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」抜粋6

日々の神の御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」抜粋6

0 |2020年6月9日

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日々の神の御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」抜粋6

 三つの段階の働きは、神の経営(救い)全体の核心にあるもので、その三つの段階の中に、神の性質、そして神であるものが表されているのである。神の三段階の働きを知らない者は、神がどのようにしてその性質を表現するかを理解できないだけでなく、神の働きの英知も知らず、そして神が人類を救う様々なやり方や、人類全体に対する神の心を知らないままでいる。三つの段階の働きは、人類を救う働きの完全な表明といえる。三つの段階の働きを知らない人々は、聖霊の働きの様々な手段や原則を知らないままでいる。つまり、一つの段階の働きからそのまま残っている教義に厳格にこだわる人々は、神を教義に限定する人たちであり、神に対する彼らの信仰は曖昧で不確かである。そのような人たちは、決して神の救いを得ることがないだろう。神の三段階の働きだけが神の性質の全てを余すところなく表せるのであり、人類全体を救う神の意図、そして人類救いの全過程を完全に示すことができるのである。これは、神がサタンを打ち負かし人類を取り戻したということの証拠であり、神の勝利の証拠であり、そして神の性質全体の表明でもある。神の働きの三段階の内一つの段階だけを理解する者は、神の性質の一部しか知らない。人の観念においては、このたった一つの段階の働きは教義になりやすく、人は神に関する規則を定めるようになり、神の性質のこの一部分だけを神の性質全体の代表として使うようになる。その上、人の想像が少なからずこの中に混入するので、神の働きの原則に加えて、神の性質、存在、英知を限られた範囲内に厳格に制限し、神がかつてこのようであれば永遠にこのようであり、絶対に変わることはないと思うようになる。三つの段階の働きを知り、正しく認識できる者だけが、完全にまた正確に神を知ることができる。少なくともその人たちは神をイスラエル人の神、あるいはユダヤ人の神とは定義しないし、人のために永久に十字架にくぎ付けにされる神とは見ないだろう。もしあなたが神の働きの一段階だけから神を認識するならば、あなたの認識はあまりにも少なすぎる。その認識は大海原の一滴に過ぎない。そうでなければ、なぜ多くの古い宗教家達が神を生きたまま十字架に磔にしたのか。それは人は神を限られた範囲に制限するからではないのか。多くの人が神に反抗し、聖霊の働きを邪魔するのは、彼らが様々な、多岐にわたる神の働きを認識しないからであり、さらに、彼らがごく僅かな知識と教義しか持ち合わせておらず、それで聖霊の働きを判断するためではないのか。そのような人たちは、経験は上辺だけのものなのに、本性が放漫かつ甘やかされており、聖霊の働きを軽視し、聖霊の懲らしめを無視し、さらには自分の取るに足らない古い論拠を用いて聖霊の働きを「確認」する。また彼らはもったいぶって、自分たちの知識と博識を全面的に確信し、世界中を駆け回ることができると思い込んでいる。そのような人たちは聖霊に軽蔑されて拒絶されるのではないのか、そして新しい時代には排除されるのではないか。神の前に来て公然と神に反抗する人々は、狭量で偏狭な人々で、単に自分たちがいかに賢いかを見せびらかそうとしているだけではないのか。彼らは、聖書についての僅かな知識だけで天下の「学界」にまたがり、人に教える上辺だけの教義でもって、聖霊の働きを覆し、自分たちの思考過程を中心に転回させようと試み、目先のことしか見えないのに、一目で6000年に及ぶ神の働きを見極めようとするのである。この人たちは理性と呼べるようなものをもちあわせているのだろうか。実際、神についてよく知っている人ほど、神の働きを評価するのに時間をかける。さらに、彼らは今日の神の働きについて知っていることを僅かしか語らないが、判断することは急がない。神に対して認識がない人ほど、傲慢で自信過剰で、気まぐれに神の存在そのものを言いふらすが、彼らは理論を語っているだけで、実際の証拠は提供しない。このような人は少しも価値のない人である。聖霊の働きを冗談事と捉える人たちはあさはかである。聖霊の新たな働きに出会うとき、慎重にせずベラベラ言いふらして、早まった判断を下し、本能にまかせて聖霊の働きの正しさを否定し、さらには聖霊の働きを侮辱し冒涜する人たち、つまりそんな無礼な人たちは聖霊の働きに対して無知であると言えるのではないか。さらに、そのような人たちは、傲慢で、生まれつき高慢で、そして手に負えない人間ではなかろうか。このような人はいつか聖霊の新しい働きを受け入れる日が来ても、神は彼らを寛容には扱わないだろう。そういう人たちは、神のために働く人たちを見下すだけでなく、神自身をも冒涜しているのである。そのような無謀な人たちは、この世でも後の世でも赦されることがないし、永久に地獄で滅びるだろう。このように無礼でいい加減な人たちは、神を信じているふりをしているだけで、そうすればするほど、行政命令に触れやすくなる。生まれつき放逸で、一度も誰かに従ったことがない、傲慢な人間はすべて、このような道を歩いているのではないか。彼らは、常に新しくて古くならない神に来る日も来る日も反抗しているではないか。

『言葉は肉において現れる』より引用

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