日々の神の御言葉「征服の働きの内幕(1)」抜粋30

日々の神の御言葉「征服の働きの内幕(1)」抜粋30

372 |2020年8月27日

現在の征服の働きは、人間の結末がどのようになるかを明らかにすることを意図する。なぜわたしは今日の刑罰と裁きは、終わりの日における大いなる白い玉座の前での裁きだと言うのか。あなたにはこれがわからないのか。なぜ征服の働きは最終段階なのか。これはまさしく、それぞれの種類の人間が最後にどうなるかを明らかにすることではないのか。それは、刑罰と裁きとによる征服の働きの過程において、あらゆる人が自分のありのままの姿をあらわし、その後それぞれの種類に分類されるようにするためではないのか。人類の征服というよりも、これはむしろ各種の人間がどのような最後を迎えるのかを示すことだと言った方が良いくらいである。つまり、これは人の罪を裁き、それから人の様々な種類を明らかにし、それにより、人が悪であるか義であるかを判定することである。征服の働きの後に、善に報い悪を罰する働きが続く。完全に従う人々、つまり、完全に征服された人々は、神の働きを全宇宙に広める次の段階に配置される。征服されなかった者は闇の中に置かれ、災厄に遭う。このように人間はその種類によって分類され、悪を行う者は悪として分類され、二度と陽の光を浴びることがない。義人は善として分類され、光を受け、永遠に光の中で生きる。あらゆるものの終わりは近く、人間の終わりは目の前にはっきりと示され、あらゆるものはその種類によって分けられる。それなら、どうして人間が種類別に分類されるという苦悩から逃れられようか。それぞれの種類の人間の異なる結末は、あらゆるものの終わりが近づいた時に明らかにされる。それは全宇宙の征服の働き(現在の働きに始まるすべての征服の働きを含む)の間に行われる。この全人類の終わりの明示は、裁きの座の前で、刑罰と終わりの日の征服の働きの過程で行われる。種類に従って人々を分類することは、人々を元の部類に戻すことではない。なぜなら、天地創造の際、人間が創られた時には一種類の人間しかなく、唯一の区別は男と女しか存在しなかったからである。人間には多数の種類など存在しなかった。さまざまな種類の人間が現れたのは、何千年にも及ぶ堕落の後になってからでる。ある者は汚らわしい悪魔の領域に、またある者は邪悪な悪霊の領域に、また、いのちの道を追い求める者は、全能者の統治に属する。ただこのようにしてのみ、人々の間に種類が徐々に形成され、それによってのみ人々は人間という大家族の中でさまざまな部類に分かれるのである。人々はみな異なる「父」を持つようになる。人間は極めて反抗的なので、すべての者が完全に全能者の統治のもとにあるわけではない。義なる裁きは、各種類の人間の本来の姿を表に曝け出し、隠れたままになるものは何もない。あらゆる者が光の中でほんとうの顔を現す。この時点では、人はもはや本来のあり方ではなくなっており、先祖の元の面影はとうの昔に消え去っている。なぜなら、アダムとエバの無数の子孫たちが、長らくサタンの虜となり、もう二度と天日を知ることはないからである。また、人々があらゆる種類のサタンの毒に満たされてきたからである。こうして人々にはそれぞれに相応しい終着点がある。さらに、人はその様々な毒を基準にして、種類ごとに分類される。すなわち、今日征服されている度合いに応じて人は分類されるのである。人間の終わりは天地創造以来、予め定められてきたものではない。なぜなら、初めにはまとめて「人類」と呼ばれる一種類の人間しか存在せず、また人間は最初はサタンに堕落させられてはおらず、神の光の中に生き、闇は降りていなかったからである。しかし、人間がサタンに堕落させられた後、あらゆる類型と種類の人々が地の至るところに広がった。まとめて「人類」と呼ばれ、男と女から成る家族から出たあらゆる類型と種類の人々である。彼らはみな祖先に導かれ、最も古い祖先である男と女から成る人類(つまり、始祖であるアダムとエバ、最古の祖先)のもとから迷い出てしまった。その当時、地上での生活をヤーウェに導かれていたのは唯一イスラエル人であった。全イスラエル(つまり、最初の部族)から出た様々な種類の人々は、その後ヤーウェの導きを失った。これらの初期の人々は、人間世界のことにはまったく無知で、祖先とともに自分たちのものとした土地で暮らし、それが今日まで続いた。彼らはまだ自分たちがどのようにヤーウェのもとから離れ、今日に至るまで、どのようにあらゆる種類の汚れた悪魔や邪霊に堕落させられたかについては無知なままである。これまで深く堕落させられ、毒されてきた者たち、つまり、最終的に救いようのない者たちは、その祖先、彼らを堕落させた汚れた悪魔である祖先と共に行くしかない。最終的に救われることのできる者たちは、人類の相応しい終着点に行く。つまり、救われ、征服された者たちのために用意された最後にたどり着くのである。救うことのできる人をみな救うために、あらゆることが為される。しかし、鈍感で救いようのない人は、先祖の後を追って刑罰の底なしの穴へ落ちるしかない。あなたの終わりは最初から予め定められていて、それが今になってやっと明らかにされたと考えてはいけない。そのように考えているのなら、最初に人類が創造された時にはそれとは別にサタンという種類は創られなかったことを忘れたのか。アダムとエバから成る一種類の人間だけが(つまり、男と女だけが)創造されたことを忘れてしまったのか。あなたが始めからサタンの子孫であったなら、人間を創造した時ヤーウェはサタンの集団もいっしょに創造したことにならないか。神がそのようなことをしたであろうか。神は自分の証しのために人間を創造した。神は自分の栄光のために人間を創った。なぜ神は意図的にサタンの子孫という種族を自分に抵抗させるためにわざわざ創造したりするであろうか。どうしてヤーウェがそんなことをすることがありえようか。もしそんなことをしていたなら、誰が神を義なる神だと言えるであろうか。わたしが今、あなたがたのうちには終いにはサタンと共に行く者がいると言っても、それはあなたが初めからサタンと共にあったという意味ではない。そうではなく、あまりにも低い所まで堕落したので、たとえ神が救おうとしたとしても、あなたは救いをのがしてしまったという意味である。あなたをサタンといっしょに分類する他ない。それはただ、あなたは救いようがないからであり、神があなたに対して不義で、意図的にあなたの運命をサタンの具現化と定め、サタンと共に分類し、わざとあなたを苦しませようとしているからではない。それは征服の働きの内なる真実ではない。あなたがそのように信じているのなら、あなたの認識はひどく偏っている。征服の最終段階は、人を救い、また、人の結末を明らかにするためである。裁きを通して人の堕落を暴露し、それにより人を悔い改めさせ、立ち上がらせ、いのちと人として生きる正しい道を追い求めさせるためである。鈍く頑な人の心を目覚めさせ、裁きによって人の内にある反抗的性質を示すためである。しかしながら、人がまだ悔い改めることができず、なおも人として生きる正しい道を追い求めることができず、これらの堕落を捨て去ることができなければ、人は救われることはなく、サタンにのみ込まれる。これが征服の意味である。つまり、人を救い、また人の結末を見せることである。良い結末と悪い結末があり、すべては征服の働きにより明らかにされる。人が救われるか呪われるかは、みな征服の働きの間に明らかにされる。

『言葉は肉において現れる』より引用

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