日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 190
信仰をもたない人は、人間の目に見えるものはどれも存在し、見ることができないもの、あるいは人間から遠く離れたものは存在しないとよく考えます。そのような人は、「生死の周期」も「懲罰」も存在しないと考えたがり、それゆえためらうことなく罪を犯し、悪業を行います。その後、彼らは懲罰を受け、…
わたしはすべてを焼き尽くす火であり、背きを許さない。人間はすべてわたしが造ったのだから、わたしが何を言い何を行なおうと、人間は従わなければならず、抵抗してはならない。人はわたしの働きに干渉する権利をもたず、ましてやわたしの働きや言葉の何が正しく何が間違っているかを分析する資格などない。わたしは創造主であり、被造物はわたしへの畏敬の念をもって、わたしが求めるすべてのことを成し遂げるべきである。また、わたしに理を説こうとしてはならず、抵抗などなおさらするべきではない。わたしは権威をもって我が民を統べるのであり、わたしの創造の一部を成す者はすべてわたしの権威に従うべきである。今日、あなたがたはわたしの前にあって大胆で厚かましく、わたしがあなたがたを教えるのに用いる言葉に従わず、恐れを知らない。それなのに、わたしはあなたがたの反抗にただ耐えているだけである。取るに足らない小さな蛆虫が糞の山で汚物を掘り返しているからといって、わたしは腹を立てて働きに影響を及ぼすようなことはしない。わたしは父の旨のために、忌み嫌うすべてのものが存在し続けるのに耐える。わたしの発言が完了するまで、わたしの最後の瞬間までそうするのである。心配することはない。わたしは名もない蛆虫と同じ程度に成り下がることはできず、わたしの技量をあなたと比べることはない。わたしはあなたを心から嫌うが、耐えることができる。あなたはわたしに従わないが、わたしがあなたに刑罰を与える日から逃れることはできない。それはわたしの父がわたしに約束した日なのである。創造された蛆虫が、創造主に匹敵することなどあり得るのか。秋になれば、落ち葉は土に還る。あなたは「父」の家に帰り、わたしは父の傍らに戻る。わたしは父の優しい愛に伴われ、あなたは自分の父に踏みにじられる。わたしは父の栄光を手にし、あなたは自分の父の辱めを受ける。わたしは長らく控えてきた刑罰を用いてあなたに伴い、あなたは何万年間も腐敗したままの悪臭を放つ肉体をもってわたしの刑罰を受ける。わたしは忍耐を伴った言葉の働きをあなたにおいて終え、あなたはわたしの言葉による災いに苦しむ役割を果たし始める。わたしはイスラエルで大いに喜び、働くが、あなたは悲嘆にくれて歯噛みをし、泥の中に生きて死ぬ。わたしは元の姿に戻り、もはやあなたと共に汚れの中に留まることはない。しかし、あなたは元の醜い姿に戻り、糞の山の中でうごめき続ける。わたしの働きと言葉が完了する時は、わたしにとっての喜びの日となる。あなたの抵抗と反抗が終わる時は、あなたにとっての悲嘆の日となる。わたしはあなたに同情せず、あなたは二度とわたしを見ない。わたしはそれ以上あなたと対話せず、あなたは二度とわたしに出会わない。わたしはあなたの反抗を憎み、あなたはわたしの愛らしさを恋しく思う。わたしはあなたを打ち、あなたはわたしのことを思い焦がれる。わたしは喜んであなたから離れ、あなたはわたしへの負い目に気づく。わたしはあなたに二度と会わないが、あなたは常にわたしを待ち望む。あなたが今わたしに抵抗するので、わたしはあなたを憎むが、わたしが今あなたに刑罰を与えるので、あなたはわたしを恋しく思う。わたしは進んであなたと共に生きようとは思わないが、あなたは自分がわたしにしたすべてのことを悔やむがゆえに、わたしと共に生きることを激しく切望し、永遠に悲嘆にくれる。あなたは自分の抵抗と反抗を後悔し、悔悟のあまり顔を地に伏せ、わたしの前に倒れ、二度とわたしに逆らわないと誓う。しかし、あなたは心の中でわたしを愛するだけで、わたしの声を聞くことは二度とできない。わたしはあなたを恥じ入らせる。
『神の出現と働き』「落ち葉が土に還る時、あなたは自分の行なったあらゆる悪事を後悔する」(『言葉』第1巻)より
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