日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 504
神を敬い畏れる心で神を信じ、神の言葉を経験するなら、そのような人々には神の救いと神の愛が見られる。そうした人々は神を証しすることができる。彼らは真理に生き、自らが証しするものもやはり真理、神の存在そのもの、そして神の性質である。彼らは神の愛に包まれて生き、神の愛を知っている。もし…
この世に来る者はすべて、生と死を経験しなければならず、多くの者が死と再生のサイクルを経験した。生ける者は間もなく死に、死せる者は間もなく返ってくるだろう。これはすべて、生ける者それぞれのために神によって手配された人生の行路なのである。しかしながら、この行路とサイクルは、神が人に見てほしい事実、神によって人に授けられたいのちは無限で、肉、時間、空間の拘束を受けないという事実なのである。これは、神によって人に授けられたいのちの奥義であり、いのちが神から来たことの証なのである。多くの者は、いのちが神から来たと信じないかもしれないが、神の存在を信じるか、否定するかにかかわらず、人は必然的に神から来るものすべてを享受する。いつの日か、もし神が突然心変わりをし、世に存在するものすべてを取り戻し、神が与えたいのちを取り戻したいと望むなら、すべてのものはなくなるだろう。神は自分のいのちを使って生けるものといのちのないもの両方のすべてのものを供給し、神の力と権威によって、すべてに良き秩序をもたらすのである。これは、誰も想像できず、たやすく理解できない事実であり、これらの理解不可能な事実こそが、神の生命力の顕示と証明なのである。今わたしはあなたにひとつの秘密を教えよう。神のいのちの偉大さとその力は、いかなる被造物にも推し測ることができない。これは今もそうであり、昔もそうであったし、これからもそうであろう。わたしが伝える第二の秘密はこれである。すべての被造物のいのちの源は神から来るのである。いのちの形や構造にいかなる違いがあっても、あなたがどのような生命体であっても、神が定めたいのちの道と逆方向に動くことはできないのである。いずれにしても、わたしが人に理解してほしいことは、人がどんなに努力しても、奮闘しても、神の配慮、守り、備えなしには、人は受け取るはずであったものを何も受け取ることができないということである。神からのいのちの供給なしには、人は生きる価値を失い、いのちの意義を失う。神のいのちの価値を無駄にする人が、それほどのんきでいることを神がどうして許すことができるだろうか。もう一度言うが、神があなたのいのちの源であることを忘れてはならない。もし人が、神が授けたものを大事にできなければ、神は与えたものすべてを取り戻すだけではなく、人は神が費やしたものすべてを償うために、二倍を返さなくてはならないのである。
『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」(『言葉』第1巻)より
神が人に与えた終わりなき命は肉・時間・場所に制限されない。これは神が人に与える命の奥義、命の源である証明。多くは「神が命の源」と信じないだろうが、神が与える全てを楽しんでいる。万が一神が心変わりをして、もし世界と神の命を取り戻したら、この世界は永遠に消え去るだろう。神は全ての命あるもの、ないものに自分の命与え。神の力と権威は良い秩序をもたらす。この理解しがたい事実は神の命の力の具体的な証である。
神は秘密を伝えることを望んでいる。それは神の偉大さと力で全ての創造物には計り知れない。今もその先もずっと変わらない。たとえ命の形がどんなに異なったとしても、創造物にとって神は命の源。生き物は神が創った道をたどる。人が神の命の賜物を受けるのは神の配慮と供給があるからだ。それがなければ人は生きる価値と命の意義を見失うだろう。人が神の授ける全てを蔑ろにすれば、神は全て奪い去り、賠償責任は重大なものになるだろう。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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神を敬い畏れる心で神を信じ、神の言葉を経験するなら、そのような人々には神の救いと神の愛が見られる。そうした人々は神を証しすることができる。彼らは真理に生き、自らが証しするものもやはり真理、神の存在そのもの、そして神の性質である。彼らは神の愛に包まれて生き、神の愛を知っている。もし…
働きと言うと、それは神のために走り回り、あらゆる場所で説教を行ない、神のために費やすことだと人間は信じている。その考えは正しいが、あまりに一面的である。神が人間に求めているのは、自身のために走り回ることだけではない。それ以上に、この働きは霊の中において務め、与えることである。多く…
わたしはあなたがたに何度も警告し、あなたがたを征服するための真理を数多く与えてきた。現在、あなたがたはみな、以前よりもはるかに豊かであると感じ、人間のあるべき姿の原則を多数理解し、誠実な人がもつべき常識を多数備えるようになってきた。そのすべてが、あなたがたが長年かけて得てきた収穫…
地上にいるとき、わたしは人々の心の中において実際の神自身である。天では、わたしはあらゆる被造物の主である。わたしは山々に登り、川瀬を渡り、また、人間たちの間をふらりと訪れては去った。誰が実際の神である者に公然と敵対するだろう。誰が全能者の支配から独立できよう。誰がみじんの疑いもな…