日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 135
神が人間の運命を統治しているという事実は、誰にも変えることが出来ない 神の権威の下では、全ての者が能動的あるいは受動的に神の統治と計画を受け入れるので、人生においてどれほどもがいたとしても、どれほど誤った道を進んだとしても、結局は創造主がその者のために定めた運命の範囲内に戻っ…
律法の時代の働きを見たければ、また、イスラエル人がどのようにヤーウェの道に従ったかを見たければ、旧約聖書を読まなければならない。恵みの時代の働きを理解したいのなら、新約聖書を読まなければならない。しかし、終わりの日の働きはどうすればわかるのか。それには今日の神の導きを受け入れ、今日の働きに入らなければならない。なぜなら、それが新たな働きであり、過去に誰も聖書に記録していないからである。今日、神は肉となり、中国で別の選民を選んだ。神はこれらの人々の間で働き、地上における働きから、また恵みの時代の働きから継続して働きを行なう。今日の働きは人間がかつて歩んだことのない道であり、誰も見たことのないものである。それはかつて行なわれたことがない働きであり、地上における神の最新の働きである。したがって、かつて行なわれたことのない働きは歴史ではない。今は今であり、まだ過去になっていないからである。人々は、神が地上で、そしてイスラエルの外で、より偉大で新しい働きを行なってきたこと、それがすでにイスラエルの範囲を超え、預言者たちの預言を超えたこと、それが預言を超えた驚異的な新しい働きであり、イスラエルの外で行なわれる新たな働きであり、人々には認識することも想像することもできない働きであることを知らない。どうして聖書にこのような働きの具体的な記録が含まれ得るだろう。今日の働きを細部に至るまで漏らすことなく、事前に記録することが誰にできよう。一切の慣習を拒む、より大きく賢いこの働きを、あのカビ臭い古い本に誰が記録できようか。今日の働きは歴史ではない。だから、今日の新たな道を歩みたいのなら、聖書から離れなければならない。聖書の預言書や歴史書を越えなければならない。そうしてはじめて、新たな道を正しく歩むことができ、そうしてはじめて、新たな領域、新たな働きに入ることができる。なぜ今日、聖書を読まないように言われるのか、なぜ聖書とは別の働きがあるのか、なぜ神はより新たな、より詳細な実践を聖書に求めないのか、なぜより偉大な働きが聖書の外にあるのかを、あなたは理解しなければいけない。これらはみな、あなたがたが理解すべき事柄である。新旧の働きの違いを知らなければならない。また、たとえ聖書を読まなくても、聖書を分析できなければならない。そうでなければ、依然として聖書を崇めていて、新たな働きに入ること、新たな変化を経ることが難しくなるだろう。より高い道があるのに、なぜ低く時代遅れな道を学ぶのか。より新しい発言、より新しい働きがあるのに、なぜ古い歴史的記録の中で生きるのか。新たな発言はあなたに施すことができる。そのことは、それが新しい働きであることを証明している。古い記録は十分な満足を与えることも、現在の必要を満たすこともできない。そのことは、それが歴史であり、今現在の働きではないことを証明している。最も高い道は最も新しい働きである。そして新しい働きがあれば、過去の道がいかに高くとも、それはやはり人々の回顧の歴史であり、参考としての価値がどれほどであっても、依然として古い道である。たとえそれが「聖なる書」に記されていても、古い道は歴史である。たとえ「聖なる書」に記録されていなくても、新たな道が今現在のものである。この道はあなたを救い、あなたを変える。それが聖霊の働きだからである。
『神の出現と働き』「聖書について(1)」(『言葉』第1巻)より
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神が人間の運命を統治しているという事実は、誰にも変えることが出来ない 神の権威の下では、全ての者が能動的あるいは受動的に神の統治と計画を受け入れるので、人生においてどれほどもがいたとしても、どれほど誤った道を進んだとしても、結局は創造主がその者のために定めた運命の範囲内に戻っ…
あなたがたは自分が今身に付けるべきことを知っているのか。その一面は働きについてのビジョンに関わっており、もう一つの面が実践だ。あなたがたはこの両方の側面を把握する必要がある。いのちの進歩を追求する際にビジョンを持っていなければ、あなたには基盤がないことになる。ただ実践の道だけを…
いのちの道は、誰でも持てるものではなく、誰にでも簡単に得られるものでもない。なぜなら、いのちは神のみに由来しているからだ。それはすなわち、神自身のみがいのちの本質を持っており、神自身なくしていのちの道は存在せず、神のみが、いのちと永遠に流れつづけるいのちの生ける泉の源であるこ…
神は行うべき働きを行い、言葉による職分を果たすために終わりの日に受肉した。神の心に適う人を完全にすることを目的として、人間のもとで働くために神は自らやって来た。創造の時から現在まで、神がこのような働きを行うのは終わりの日のみである。そのような大規模な働きを行うために神が受肉したの…