日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 474
多くの人は、自分がいずれ辿りつく終着点のため、あるいは一時的に楽しみにあずかるために神を信じている。神による取り扱いを経験したことのない者にとって、神を信じることは、天国に行くためであり、また見返りを得るためなのであって、完全にされるためでも、被造物としての本分を尽くすためでもな…
六千年にわたるわたしの経営(救いの)計画全体は、三つの段階、あるいは時代から成る。まず律法の時代、次に恵みの時代(贖いの時代でもある)、そして最後に神の国の時代である。これら三つの時代におけるわたしの働きは、各時代の性質によって異なるが、それぞれの段階で人の必要性に対応している、というよりむしろ、わたしに対する戦いでサタンが用いるその策略に応じて異なっている。わたしの働きの目的は、サタンを打ち負かし、わたしの知恵と全能を明らかにし、サタンの策略をすべてあばくことで、その支配下に生きるすべての人間を救うことである。それはわたしの知恵と全能を示すと同時に、サタンのおぞましさを明らかにするものである。それに加えてわたしの創造物が善悪を区別し、わたしこそがすべての物を治める者であることを認識し、サタンが人類の敵、下の下、悪い者であることがはっきり分かるよう教え、善悪、真理と偽り、聖さと汚れ、偉大さと卑劣の違いを明白にすることである。それにより無知な人間が、人間を堕落させるのはわたしではないこと、創造主であるわたしだけが人間を救うことができ、楽しみとなる物事を授けることができることを、わたしに対して証しし、わたしこそがすべての物を治める者であり、サタンは後にわたしに背いたわたしの被造物の一つにすぎないと彼らは知ることができる。わたしの六千年の経営(救いの)計画は、次の効果を得るために三つの段階に分けられている。わたしの創造物がわたしの証人となり、わたしの心を知り、わたしこそが真理であるのを知ることである。したがって、わたしの六千年にわたる経営(救いの)計画における最初の働きの期間、わたしは人々を導くヤーウェの働きである律法の働きをした。第二の段階は、ユダヤの村々で恵みの時代の働きを始めることだった。イエスは恵みの時代におけるすべての働きを表し、受肉し、十字架につけられ、恵みの時代を開始した。イエスは贖いの働きを完成させ、律法の時代を終了させ、恵みの時代を開始するために十字架にかけられ、「最高司令官」「罪のいけにえ」「贖い主」と呼ばれた。したがって、イエスの働きはヤーウェの働きと中身は異なっていたけれども、原則においては同じである。ヤーウェは律法の時代を開始し、地上におけるその働きでの拠点、発祥地を定め、戒めを発したが、これらは律法の時代を代表する彼の二つの働きであった。イエスの働きは戒めを発行することではなくそれらを成就し、それによって恵みの時代が到来したことを告げ、二千年続いた律法の時代を終結させることだった。イエスは恵みの時代をもたらす先駆者だったが、贖いはその働きの中心であり続けた。よってイエスの仕事もまた二つの部分からなる。それらは新しい時代を切り開くこと、そして自身が十字架にかけられることを通して贖いの働きを完成させることである。その後、イエスは去った。その時点で律法の時代は終わりを告げ、人類は恵みの時代に入った。
『神の出現と働き』「贖いの時代における働きの内幕」(『言葉』第1巻)より
神には6000年に渡る救いの計画があり、それは3つの段階に分かれている。律法の時代、次に恵みの時代、そして最後の段階は神の国の時代と呼ばれている。それぞれの段階で神の業は違うが、全ては人類に必要であり、神と戦うサタンの企みに対処するもの。
神の業の目的は神の知恵と全能を現し、サタンの企みを暴き打破すること。そしてサタンの支配から人を救うこと。神の知恵と全能を現し、サタンの堕落を暴き、創られたものに善悪を教えること、万物の支配者は神であると知り、サタンは人の敵であり、邪悪で堕落した者だと分かること、そうすれば人は善と悪、真理と偽り、聖さと穢れ、偉大なものと下劣なものを区別することができる。
神の業の目的は神の知恵と全能を現し、サタンの企みを暴き打破すること。そしてサタンの支配から人を救うこと。無知な人類に神を証しさせよ!人を堕落させたのは神ではなく、神のみが全てを与え救うことができる。これは神が万物の支配者であり、サタンは神の創造物の一つで、神に歯向かうものだと知るため。神の計画が3つの段階に分かれているのは神の創造物を証し人とし、神の意志と神が真理であることを知らせるため。神の業の目的は神の知恵と全能を現し、サタンの企みを暴き打破すること。そしてサタンの支配から人を救うこと。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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多くの人は、自分がいずれ辿りつく終着点のため、あるいは一時的に楽しみにあずかるために神を信じている。神による取り扱いを経験したことのない者にとって、神を信じることは、天国に行くためであり、また見返りを得るためなのであって、完全にされるためでも、被造物としての本分を尽くすためでもな…
わたしがあなたがたに何度も与えた教えについて言えば、あなたがたは随分前にそれらを心の奥底に押しやり、暇つぶしの玩具として扱ってさえいる。そのすべてを、自分だけの「お守り」とみなしているのだ。サタンに非難されると祈り、否定的になると深い眠りに落ち、幸せな時は無闇に走り回る。わたしに…
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神の国は人間たちの間で拡大する。神の国は人間たちのただ中で形作られている。神の国は人間たちのただ中に建てられている。どんな力もわたしの国を破壊できない。今日、国にいるわたしの民のうち、誰が人間たちの中にあって、人間ではないのだろうか。あなたがたの誰が、人間である状態の外にあるのか…