日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 399

2020年9月28日

聖霊の現在の言葉は聖霊の働きの動きであり、この期間に聖霊が絶えず人を啓くことこそ、聖霊の働きの動向である。では、今日における聖霊の働きの動向はどういったものか。それは民を神の現在の働きへと導くこと、正常な霊的生活へと導くことである。正常な霊的生活に入るにはいくつかの段階がある。

1.まず、神の言葉に自分の心を注がねばならない。過去の神の言葉を追い求めてはならず、それを研究したり今日の言葉と比較したりしてはならない。その代わり、神の現在の言葉に心を完全に注がねばならない。過去の神の言葉、霊的書物、あるいは説教の記録を読むことを依然として望み、聖霊の現在の言葉に従わない人がいれば、それは最も愚かな人である。神はそのような人を忌み嫌う。今日の聖霊の光を進んで受け入れようとするなら、神が現在発する言葉に心を完全に注ぐこと。これが最初に成し遂げなければならないことである。

2.神が現在語る言葉を基礎として祈り、神の言葉に入り、神と親しく交わり、神の前で決意し、自分がどのような基準を達成したいのかを定めなければならない。

3.聖霊の現在の働きを基礎として、真理に深く入ることを追求しなければならない。過去の時代遅れの発言や理論に執着してはいけない。

4.聖霊によって感動することを求め、神の言葉に入らなければならない。

5.今日聖霊が歩む道へ入ることを追求しなければならない。

聖霊によって感動することをどのように求めるのか。重要なことは神の現在の言葉の中で生き、神の要求を基に祈ることである。このように祈れば、聖霊は必ずやあなたを感動させる。神が現在語る言葉を基礎として求めないなら、それは無益である。あなたはこう言って祈るべきである。「神よ。私はあなたに逆らい、あなたに多くの借りがあります。私は大変不従順であり、あなたに満足していただくことがどうしてもできません。神よ。どうか私をお救いください。私は最後まであなたに奉仕することを願い、あなたのために死ぬことを望みます。あなたは私を裁き、罰しますが、私に不満はありません。私はあなたに逆らっているので、死に値します。そうなれば、すべての人が私の死の中にあなたの義なる性質を見ることができるでしょう」。このように心から祈るとき、神はあなたの言葉を聞き、あなたを導く。聖霊の現在の言葉を基に祈らないなら、聖霊があなたを感動させる可能性はない。神の旨に従って祈り、神が今日行おうと望むことに従って祈るなら、あなたはこのように言うだろう。「神よ。私はあなたが託される任務を受け入れ、あなたが託される任務に忠実であることを望みます。そして、自分の一生を喜んであなたの栄光に捧げるつもりですが、そうすることで、私の行なう一切のことが神の民の基準に到達できます。私の心があなたによって感動しますように。あなたの霊がいつまでも私を照らし、私の行なうすべてのことがサタンに恥をもたらし、私が最後にあなたのものとされることを望みます」。あなたがこのように祈れば、つまり神の旨を中心とする形で祈れば、聖霊は必ずやあなたの中で働く。祈りの言葉がどれほど長いかは問題ではない。重要なのは、あなたが神の旨を把握するかどうかである。あなたがたはみな次のような経験をしたことがあるかもしれない。集会で祈っているさなかに聖霊の働きの動きが頂点に達し、すべての人の力を湧き上がらせることがある。祈りながら悲痛な泣き声とともに涙を流し、神の前で良心の呵責に圧倒される人もいれば、自分の決意を示し、誓いを立てる人もいる。これが聖霊の働きによって達成される効果である。今日、すべての人が自分の心を完全に神の言葉に注ぐことが重要である。過去に語られた言葉に集中してはならない。以前来たものに依然としてしがみつくなら、聖霊があなたの中で働くことはないだろう。これがいかに重要か、あなたはわかっているのか。

聖霊が今日歩く道をあなたがたは知っているのか。上に挙げたいくつかの点は、現在と将来において、聖霊によって達成されることである。それらは聖霊が歩く道であり、人が追求すべき入りである。いのちに入るとき、少なくとも神の言葉に心を注ぎ、神の言葉の裁きと刑罰を受け入れることができなければならない。心は神を切望せねばならず、真理への深い入りと神が要求する目標を追い求めなければならない。あなたにその力があるならば、それはあなたが神によって感動し、あなたの心が神に立ち返り始めたことを示している。

いのちへの入りの第一歩は、神の言葉に自分の心を完全に注ぐことである。その次の一歩は、聖霊によって感動することを受け入れることである。聖霊によって感動することを受け入れると、どのような効果が生まれるのか。それは、より深遠な真理を渇望し、求め、探求できるようになること、そして積極的なやり方で神と協力できるようになることである。今日、あなたは神と協力する。それはつまり、あなたの追求と祈り、そして神の言葉の交わりには目的があり、あなたは神の要求に従う形で本分を尽くすということである。神との協力はそれ以外にない。神に行動させることについて語るだけで、何の行動も起こさず、祈りも求めもしないのであれば、これは協力と呼べるだろうか。あなたの中に協力というものが少しもなく、目的をもって入りの訓練をしないなら、あなたは協力していない。「すべては神の予定次第です。すべては神自身によってなされます。神がなさらないのであれば、どうして人にできますか」という人がいる。神の働きは正常であり、まったく超自然的なものではなく、あなたが積極的に求めて初めて、聖霊は働きを行なう。なぜなら、神が人に強制することはないからである。あなたは神に働きを行なう機会を与えなければならない。あなたが追い求めることも入ることもせず、心にほんのわずかな渇望もなければ、神に働きを行なう機会はない。あなたはどの道を通じて、神によって感動することを求められるのか。祈りを通じて、そして神に近づくことを通じてである。しかし憶えておきなさい。最も重要なのは、神の語る言葉を基にしなければならないということである。神によって頻繁に感動するなら、あなたが肉の奴隷になることはない。夫、妻、子供、そして金といったものは、どれもあなたを縛ることができず、あなたはただ真理を追求し、神の前で生きることを望む。その時、あなたは自由の領域で生きる人になるだろう。

『神の出現と働き』「神の最新の働きを知り、神の歩みに従え」(『言葉』第1巻)より

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