日々の神の御言葉: 神の出現と働き | 抜粋 65
すべてのものがよみがえりを受けた日、わたしは人間の中に来て、すばらしい日と夜を過ごした。そのとき初めて、人間は、わたしの親しみやすさを少し感じるのである。交流が頻繁になり、わたしの所有しているもの、わたしであるものの幾分かを知るようになった結果、人間はわたしについて、何らかの認識…
人が神に従えるかどうかを決めるにあたり、目を向けるべき重要なことは、その人が神から贅沢な何かを欲しがるかどうか、隠された動機があるかどうかです。いつも神に要求をしているなら、それは神に従っていないことを証明します。自分に何が起きようと、それを神から受け取れず、真理を求めることができず、いつも主観的な推論で語り、いつも自分だけが正しいと思い、神を疑うことさえできるなら、必ずや問題に見舞われます。このような人は最も傲慢で、神に最も反抗的な人です。神に要求してばかりいる人は、決して本当に神に従えません。あなたが神に要求をしているなら、それは神と取引していること、自分の考えを選んでいること、そして自分の考えに従って行動していることを証明しています。あなたはその点で神を裏切っており、従順ではありません。神に要求するのは理知に欠けることです。神は神であると心から信じているなら、それが理性的であろうとなかろうと、あえて神に要求をすることはなく、またそうする資格もないはずです。あなたが真の信仰を持ち、神は神であると信じているなら、神を崇拝して神に従うしか選択肢はありません。現在の人には選択肢があるだけでなく、自分の考えに従って神が振る舞うことさえ要求します。彼らは自分の考えを選んだうえで、神がそれらに従って振る舞うことを求め、自分が神の考えに従って振る舞うことは必要としません。ゆえに、人に真の信仰、実質的な信仰はなく、神の称賛を受けることは決してあり得ません。神への要求を少なくできれば真の信仰と従順さが膨らみ、あなたの理知も比較的正常になります。人が弁明にしがみつき、言い訳を並べれば並べるほど、その人を取り扱うのが難しくなる、ということがよくあります。そのような人は数多くの要求をするだけでなく、少し譲歩するとさらに求めます。ある方面で満足しても別の方面で要求し、すべての方面で満足しなければならず、さもなければ不満を述べ始め、望みがないと自分を切り捨てます。その後、借りを感じて後悔し、激しく泣きわめいて死にたいと思います。それが何の役に立ちますか。これが問題を解決できますか。したがって、何かが起きる前に、あなたは自分の本性を分析しなければなりません。自分の本性には何があるのか、自分は何を好むのか、要求することで何を成し遂げたいと思っているのか、分析する必要があるのです。自分にはある程度の素質と天分があると信じ、指導者になって人の上に立ちたいといつも思い、そこで神に自分を用いるよう要求する人がいます。そして神に用いられないと、その人はこう言います。「神よ、なぜわたしに好意を示してくださらないのですか。どうか私を大いにお使いください。そうすれば、あなたのために自分を費やすことをお約束いたします」。このような動機は正しいですか。神のために費やすのはよいことですが、神のために費やしたいという気持ちは二番目に来ています。心の中で好んでいるのは地位であり、それに重点を置いています。本当に服従することができるなら、神があなたを用いようと用いまいと、神に一心に付き従うはずであり、あなたに地位があろうとなかろうと、神のために費やすことができるでしょう。そのとき初めて、あなたは理知を備え、神に服従する人になるのです。
『終わりの日のキリスト講話集』「人はあまりに多くを神に要求する」(『言葉』第3巻)より
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律法の時代を通じて、ヤーウェは多くの戒めを定め、モーセがエジプトを出て彼に従うイスラエル人にそれを伝えるようにした。ヤーウェは、この戒めをイスラエル人に与えた。それはエジプト人とは無関係で、イスラエル人を律する意味があり、イスラエル人にヤーウェが課した要求であった。人が安息…
人の堕落した性質が発覚する源はその人の鈍くなった良心、悪意のある本性、不健全な理知でしかない。良心や理知が正常に戻ることができれば、人は神の前で神に用いられるのに相応しい人になるだろう。人がますます神に反抗的になるのは、単に良心がつねに麻痺しており、その理知が決して健全ではなく、…
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