日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 180
あなたがたは神の働きと人の働きを区別できなければならない。人の働きに何を見ることができるか。人の働きには人の経験による要素がたくさんある。人が表すものはその人の存在そのものである。神自身の働きも神の存在そのものを表すが、神の存在そのものは人の存在そのものとは異なる。人の存在そのも…
神の働きについての認識がないと、神とどのように協力すればよいかがわからない。神の働きの原則を知らず、サタンがどのように人の中で働くのか気づいていないと、実践の道を得ることはできない。ただ熱心に追い求めるだけでは、神が要求する結果を達成することはできない。そのような経験の仕方は、ラウレンシオのやり方に似ている。つまり、サタンの働きとは何なのか、聖霊の働きとは何なのか、神の臨在がないと人間の状態はどうなるのか、神はどのような人々を完全にしたいのか等のことを一切認識せず、物事を識別することなく、ただ経験だけに焦点を合わせるやり方である。そうした人は、どのような原則に従ってさまざまな人々に対応するべきか、神の現在の旨をどのように把握するべきか、神の性質をどのように知るべきか、そして神の憐れみと威厳と義はどの人々、状況、時代に向けられるのか、といった物事を一切識別しない。さまざまなビジョンを経験の基盤としなければ、いのちなど問題外となってしまい、経験はなおさらで、ただ愚かにもすべてに従い、すべてに耐え続けるだけになる。そのような人々を完全にするのは極めて困難である。上述したようなビジョンを一切持っていないなら、それはあなたが愚か者であり、イスラエルに立ち続ける塩の柱に似ていることの十分な証拠だと言える。そのような人々は、使い物にならないまったくの役立たず。また一部の人々は、いつもただ盲目的に従い、常に自己を認識しており、新しい物事に対処するときは必ず自分のやり方を貫くか、話す価値もないような些細な事柄に「知恵」を用いて対処する。そのような人々には判断力がなく、彼らはただ辛く当たられることに甘んじて常に変わらずにいるのが本性であるかのように、決して変化することがない。そのような人々は、わずかな判断力もない愚か者である。彼らは決して状況やさまざまな人々に合わせた対策を講じようとしない。そのような人々には経験がない。中には自分自身の認識に捕われすぎていて、悪霊の働きにとりつかれた者に直面しても、頭を垂れて罪を告白し、あえて立ち上がって糾弾しようとしない人々もいる。そして彼らは明らかな聖霊の働きに直面しても、あえて従おうとしない。そのような人々は悪霊も神の手中にあると信じており、立ち上がって抵抗するような勇気は一切持ち合わせていないのだ。そのような人たちは神を辱める者であり、神のために重荷を負うことなどまったくできない。そのような愚か者たちは何一つ識別しない。すなわちそのような経験の仕方は捨て去らねばならない。神の目から見て擁護できないものだからだ。
『神の出現と働き』「経験について」(『言葉』第1巻)より
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揺るぎなく証しするということは何を意味するのか。中には今のように付き従っていくだけで、いのちを得られるかどうかは考えていないと言う者もいる。彼らはいのちを追い求めていないが、後戻りすることもなく、この段階の働きが神によって行なわれていることだけを認めている。これは証しに失敗したと…
神は自身の働きを全宇宙において行う。神を信じる者はすべて、神の言葉を受け入れ、神の言葉を食べて飲まなければならない。何人といえども、神によって示されるしるしや不思議を見ることを通して、神のものとされるはずがない。時代を超えて、神は常に、人を完全にするのに言葉を用いてきた。したがっ…
神が世界を洪水で滅ぼそうと考え、ノアに箱舟を作るように命じる (創世記 6:9-14)ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。…