日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 437
教会生活は人々が集って神の言葉を味わう生活でしかなく、人の生活のごくわずかな部分を占めるに過ぎない。もし人々の実生活も教会生活と同様で、正常な霊的生活を送り、神の言葉を正常に味わい、正常に神に祈って神へと近づき、万事が神の旨に沿って行なわれる実生活を生き、万事が真理に沿って行な…
多くの人は、自分がいずれ辿りつく終着点のため、あるいは一時的に楽しみにあずかるために神を信じている。神による取り扱いを経験したことのない者にとって、神を信じることは、天国に行くためであり、また見返りを得るためなのであって、完全にされるためでも、被造物としての本分を尽くすためでもない。つまり、ほとんどの人は、その責任を果たしたり義務を完了したりするために神を信じているのではないのである。実際、意味ある人生を送るために神を信じている人はほんのわずかで、「人は生きている以上、神を愛すべきである。なぜなら、そうすることがごく当然で正しいことであり、またそれが人の天職である」と信じる人もめったにない。このように、人はそれぞれ追い求める目標が違うが、その追求の目的と裏に在る動機はどれも似通っており、しかも、それらの人々は崇拝の対象が大体同じなのである。過去数千年に渡り、多くの信徒が死に、そして多くの信徒が死んで甦った。神を追い求めているのは一人二人というものではなく、いや数千人の単位でさえ足りないが、そのような人々のほとんどは、個人の繁栄や未来の輝かしい希望のために神を求めているのであり、キリストに身を捧げている者はごく少数である。実際、熱心な信徒でさえ、そのほとんどが自らの罠に陥って死に至っており、成功を収めた者の数はさらにほんのわずかである。そして、今日に至るまで、人が失敗してきた原因、あるいは成功できた秘訣は知られていない。キリストを熱心に追い求める人たちでさえ、未だに突然の洞察力を得たわけでもなく、これらの奥義の真相を突き止めたわけでもない。彼らはただ本当に知らないのである。彼らは、涙ぐましい努力をして求めるが、その歩む道は、成功へのそれではなく、既に先駆者が失敗した道なのである。そう考えると、どのように求めたにせよ、それは闇へ向かう道を歩いているということではないだろうか。結局彼らが得るのは苦い果実だけではないのか。過去に成功した者をまねる人が結果的に幸運を得るのかそれとも不運に見舞われるのかということすら予想困難であるのに、過去に失敗してきた人の跡をたどる人の勝算がどれほどあるだろう。失敗する可能性は更に大きいのではないか。彼らの歩む道に何の価値があるというのか。時間の無駄ではないのか。人がその追求に成功しても失敗しても、要するにいずれの結果でもその原因があるのだ。そして成功するか失敗するか、それは思うままに自由に追い求めることでは決まらないのである。
『神の出現と働き』「成功するかどうかはその人が歩む道にかかっている」(『言葉』第1巻)より
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教会生活は人々が集って神の言葉を味わう生活でしかなく、人の生活のごくわずかな部分を占めるに過ぎない。もし人々の実生活も教会生活と同様で、正常な霊的生活を送り、神の言葉を正常に味わい、正常に神に祈って神へと近づき、万事が神の旨に沿って行なわれる実生活を生き、万事が真理に沿って行な…
現在、あなたがたはみな、この終わりの日にあって、「言葉は人となり」、神がそれを成し遂げられたというのが第一の事実であるということが明確になっていなければいけない。神はその地上での実際の働きにおいて人間が神を知り、関わり、実際の業を見るようにした。神はしるしや不思議を示せるが、そう…
今日の道はたやすく歩めるものではない。通るのが非常に難しい道だと言えるし、時代を通じてきわめて稀なものだった。しかし、人がその肉のみによって十分に滅ぼされうるなどとは誰が考えただろう。今日の働きは確かに、春の雨のごとく尊く、人への神の優しさのごとく価値あるものだ。しかし、人が神の…
人間が自分のものとすべき真理は神の言葉の中にあり、それは人類にとって最も有益で役立つ真理である。それはあなたがたの体に必要な滋養と糧であり、人が正常な人間性を回復することを助ける。またそれは、人間が備えているべき真理である。神の言葉を実践すればするほど、あなたがたのいのちはよ…