日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 124
独立:第三の節目 ある者が少年期と思春期を経過し、当然の結果として徐々に成熟した後の段階は、青年期と訣別し、両親を離れ、独立した個人として将来の道へと向かうことである。この時点において、人間は成人が直面しなければならない人々、出来事、物事、そして自分の運命の鎖の接合部のひとつひ…
いのちが進歩するに従って、常に新たに進入しなければならず、段階ごとに深まる新たな、そして更に高い識見を持たなければならない。これが、全ての人間が進入するべき点である。交わり、説教を聞き、神の言葉を読み、何かに対処したりすることで、あなたは新たな識見を得、新たな啓示を受ける。古い規則に沿って、古い時代に生きているのではない。常に新たな光の中を生き、神の言葉から迷い出ることはない。正しい道に入るとは、このような事である。表面的に代価を払っても無意味である。日々、神の言葉は更に高い領域に入り、新しい事が日々現れる。人は日々新たな進入が必要である。神は語るとともに、語ったことを全て成就させる。付いて行けなければ遅れてしまう。祈りは深いものにならなければならず、神の言葉をもっと飲食しなければならない。受ける啓示を深め、否定的なものを減らさなければならない。判断力を強化し、物事の識見を得られるようにし、霊にあるものを理解することで外的な物事に対する識見を得、どんな問題に関してもその核となる部分を把握できなければならない。このようなものを備えていないのであれば、どうして教会を率いていくことができるだろうか。文字や教義ばかりを語り、現実も実践方法も伴わないのであれば、しばらくの間しか続けられないであろう。信者になったばかりの人に語るのであれば、辛うじて受け入れられるかもしれないが、しばらくすれば、その信者も多少自分でも経験するようになり、そうなれば、あなたはもうその信者に施すことは出来なくなる。そうなれば、どうして神に用いられるに相応しい者でいるのか。新たな啓示なくして、あなたは働くことができない。新たな啓示のない者は、どのように経験すべきかを知らない者で、そのような者が新しい認識を得ることも新しい経験をする事も決してないのである。そして、いのちを施すことに関しては全く機能できず、神に用いられるに相応しくあることができない。このような者は役に立たず、浪費家でしかない。実際このような者は、働きにおいて全く機能を果たすことができず、何の役にも立たない。機能を果たさないばかりか、教会に無用な負担を多くかける。このような「立派な老人たち」を周りの人たちがこれ以上見なくて良いように、急いで教会を離れる様、忠告する。彼らのような人間は、新しい働きを理解しないばかりか、どこまでも自分の観念に満ちている。教会で何の役割も果たしていない。むしろ、損害を与えて否定的なものをいたるところに蔓延させ、教会にあらゆる過ちと妨害をもたらす程になり、物事の識別ができない人々を混乱と無秩序に巻き込むほどである。これらの生きた悪魔、邪悪な霊は直ちに教会を去り、教会を駄目にしないようにすべきである。あなたは今日の働きを恐れてはいないかもしれないが、明日の義なる懲罰は恐くないのか。教会には多くの居候も、神の正常な働きを妨害する狼も多くいる。このような者は全て悪魔が送った悪霊であり、悪意のない羊たちを貪り食おうとする凶暴な狼である。名ばかりは人間と呼ばれるそれらは追放されないと、教会の寄生虫となり、献金を貪り食う蛾となるであろう。このように卑劣で無知で、さもしく、酷く不快な蛆虫は、いつの日か罰せられるのである。
『神の出現と働き』「真心で神に従う者は、必ずや神のものとされる」(『言葉』第1巻)より
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わたしの計画した働きは、一瞬もやむことなく進められている。神の国の時代に入って、あなたがたをわたしの国にわが民として移したので、新たにあなたがたに要求することがある。つまり、あなたがたの前に、この時代を支配する憲法の公布を始めるのだ。 わが民と呼ばれているのだから、わたしの名に栄…
終わりの日の働きは言葉を語ることである。言葉により、大きな変化が人の中で生じ得る。現在、それらの言葉を受け入れた人たちに生じる変化は、恵みの時代にしるしや不思議を受け入れた人たちに生じた変化よりもはるかに大きい。と言うのも、恵みの時代において、悪霊は按手と祈りによって人から追い出…
神に関する認識がない者は、決して神に完全に従うことができない。そのような人は不服従の子である。彼らは野心が強過ぎ、過剰な反抗心が中にあるので、神と自分との間に距離を置き、自ら進んで神の吟味を受け入れようとしない。このような人は、容易に完全にされることができない。神の言葉をどう飲…