日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 131
全宇宙、そしてその上の世界において最も偉大である神は、肉体の姿を用いて自分自身を完全に説明することができるだろうか。神がその肉体をまとうのは、自身の働きの一段階を行なうためである。その肉体の姿には特に何の重要性もなければ、時代の推移とも無関係であり、神の性質とも関係がない。なぜイ…
いのちが進歩するに従って、常に新たに進入しなければならず、段階ごとに深まる新たな、そして更に高い識見を持たなければならない。これが、全ての人間が進入するべき点である。交わり、説教を聞き、神の言葉を読み、何かに対処したりすることで、あなたは新たな識見を得、新たな啓示を受ける。古い規則に沿って、古い時代に生きているのではない。常に新たな光の中を生き、神の言葉から迷い出ることはない。正しい道に入るとは、このような事である。表面的に代価を払っても無意味である。日々、神の言葉は更に高い領域に入り、新しい事が日々現れる。人は日々新たな進入が必要である。神は語るとともに、語ったことを全て成就させる。付いて行けなければ遅れてしまう。祈りは深いものにならなければならず、神の言葉をもっと飲食しなければならない。受ける啓示を深め、否定的なものを減らさなければならない。判断力を強化し、物事の識見を得られるようにし、霊にあるものを理解することで外的な物事に対する識見を得、どんな問題に関してもその核となる部分を把握できなければならない。このようなものを備えていないのであれば、どうして教会を率いていくことができるだろうか。文字や教義ばかりを語り、現実も実践方法も伴わないのであれば、しばらくの間しか続けられないであろう。信者になったばかりの人に語るのであれば、辛うじて受け入れられるかもしれないが、しばらくすれば、その信者も多少自分でも経験するようになり、そうなれば、あなたはもうその信者に施すことは出来なくなる。そうなれば、どうして神に用いられるに相応しい者でいるのか。新たな啓示なくして、あなたは働くことができない。新たな啓示のない者は、どのように経験すべきかを知らない者で、そのような者が新しい認識を得ることも新しい経験をする事も決してないのである。そして、いのちを施すことに関しては全く機能できず、神に用いられるに相応しくあることができない。このような者は役に立たず、浪費家でしかない。実際このような者は、働きにおいて全く機能を果たすことができず、何の役にも立たない。機能を果たさないばかりか、教会に無用な負担を多くかける。このような「立派な老人たち」を周りの人たちがこれ以上見なくて良いように、急いで教会を離れる様、忠告する。彼らのような人間は、新しい働きを理解しないばかりか、どこまでも自分の観念に満ちている。教会で何の役割も果たしていない。むしろ、損害を与えて否定的なものをいたるところに蔓延させ、教会にあらゆる過ちと妨害をもたらす程になり、物事の識別ができない人々を混乱と無秩序に巻き込むほどである。これらの生きた悪魔、邪悪な霊は直ちに教会を去り、教会を駄目にしないようにすべきである。あなたは今日の働きを恐れてはいないかもしれないが、明日の義なる懲罰は恐くないのか。教会には多くの居候も、神の正常な働きを妨害する狼も多くいる。このような者は全て悪魔が送った悪霊であり、悪意のない羊たちを貪り食おうとする凶暴な狼である。名ばかりは人間と呼ばれるそれらは追放されないと、教会の寄生虫となり、献金を貪り食う蛾となるであろう。このように卑劣で無知で、さもしく、酷く不快な蛆虫は、いつの日か罰せられるのである。
『神の出現と働き』「真心で神に従う者は、必ずや神のものとされる」(『言葉』第1巻)より
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全宇宙、そしてその上の世界において最も偉大である神は、肉体の姿を用いて自分自身を完全に説明することができるだろうか。神がその肉体をまとうのは、自身の働きの一段階を行なうためである。その肉体の姿には特に何の重要性もなければ、時代の推移とも無関係であり、神の性質とも関係がない。なぜイ…
神は人を創造した後、すぐに人と関わって人に話しかけ、その神の性質は人間に現され始めた。つまり、神が最初に人と関わったときから、神は自身を人間に対し開かれた存在とし、自身の本質、自身の持っているものと自身が何であるかを絶えず示した。端的に言うと、当時の人々、あるいは今日の人々がそれ…
神がヨブをサタンに渡したことは神の業の目的とどう関連するか 大半の人々がヨブは完全で正しい人で、神を畏れ悪を避けたと知っているが、だからと言って神の意図をより深く理解できる訳ではない。人々はヨブの人間性とヨブが追い求めた姿勢を羨む一方で、次のような疑問を持つ。「ヨブは完全で正し…
聖霊が人の中で働く第一歩は、まず何より人間の心を人々や出来事や物事から引き離して神の言葉へ導き入れ、神の言葉には疑いの余地が一切なく完全に真実であることを、人が心の中で信じるようにすることである。神を信じているのであれば、神の言葉を信じなければならない。長年にわたり神を信じてき…