日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 526

人間は肉の中に生きるが、それは人間の地獄の中で生きるということであり、神の裁きと刑罰無くして、人間はサタン同様に不浄である。どうして人間が聖いことがあろうか。ペテロは、神の刑罰と裁きは人間の最高の守りであり、最も素晴らしい恵みであると考えていた。人間が目ざめて肉とサタンを憎むことが出来るのは、神の刑罰と裁きによるほか無い。人間は、神の厳しい鍛錬により、サタンの影響から解放され、狭い人間の世界から解放され、神のいる光の中で生きることが出来る。刑罰や裁きよりも優れた救いは無い。ペテロはこう祈った。「神よ、あなたがわたしを罰し、裁かれる限り、わたしはあなたがわたしを見捨てていないことを知るでしょう。あなたがわたしに喜びや平和を与えられず、わたしを苦難の中で生活させ、無数の罰を科せられたとしても、あなたがわたしを見捨てない限り、わたしの心は安らぐでしょう。現在、あなたの刑罰と裁きはわたしにとって最高の守りであり、かつ最も素晴らしい祝福となっています。あなたがわたしに与えられる恵みが、わたしを守っています。現在あなたがわたしに与えられる恵みは、あなたの義なるご性質を表すものであり、刑罰と裁きです。さらに、それは試練であり、またそれ以上に、それは苦難の生活です。」ペテロは肉の喜びを捨て去り、一層深い愛と一層強い守りを求めることが出来た。なぜなら、ペテロは神の刑罰と裁きから極めて大きな恵みを得たからである。人の人生において、自身が清められ、性質の変化を実現することを望み、有意義な人生を行動で示し、被造物としての自分の本分を尽くすことを望むのであれば、その人は神の刑罰と裁きを受け容れる必要があり、神の鍛錬と打ちのめしが自分から無くなるのを防ぎ、サタンによる操りと影響から逃れて神の光の中で生きるようにする必要がある。神の刑罰と裁きは光で有り、人間の救いの光であり、人間にとって、それ以上の恵みと守りは無いということを知る必要がある。人間はサタンの影響下で生活し、肉の中に存在する。人間が清められず、神の守りを受けないのであれば、人間は一層堕落するであろう。人間が神を愛する事を望むのであれば、人間は清められ、救われる必要がある。ペテロは祈って言った。「神よ、あなたがわたしを親切に扱われる時、わたしは喜び、安らぎを感じます。あなたがわたしに刑罰を与えられる時、わたしはそれにも増して喜びと安らぎを感じます。わたしは弱く、無数の苦難を受け、多くの涙と悲しみがありますが、この悲しみは、わたしの不従順さと弱さが原因であることを、あなたは知っておられます。わたしが泣くのは、自分があなたの望みを満たせないからであり、わたしが悲しみと後悔を感じるのは、自分があなたの条件に満たないからですが、わたしは進んでその領域に到達しようとし、あなたにご満足いただくために出来ること全て喜んで行います。あなたの刑罰により、わたしに守りがもたらされ、わたしに最高の救いが授けられました。あなたの裁きにより、あなたの寛容さが覆い隠されます。あなたの刑罰と裁きが無ければ、わたしはあなたの憐れみと慈愛を授かることは出来ないでしょう。現在、わたしはあなたの愛が天やあらゆる物事を超越することを、格段に明瞭に理解しています。あなたの愛は憐れみと慈愛だけではなく、それ以上に、刑罰と裁きです。あなたの刑罰と裁きにより、わたしは多くの物事を与えられました。あなたの刑罰と裁き無くして、清められる者も、創造主の愛を経験出来る者もひとりとして居ないでしょう。わたしは数百回の試練と苦難を受け、死に瀕した事さえありましたが、そうした苦難により、わたしはあなたを真に知り、最高の救いを得ることが出来ました。あなたの刑罰と裁き、そして鍛錬がわたしから無くなるとしたら、わたしは闇のサタンの領域で暮らすことになるでしょう。人間の肉には、どのような利益があるでしょうか。あなたの刑罰と裁きがわたしから無くなるとしたら、それはあなたの御霊がわたしを見捨て、あなたがわたしと共に居ないようなものでしょう。そうであるとしたら、どうすればわたしは生き続けることが出来ましょうか。あなたがわたしに病を与えられ、わたしの自由を奪われても、わたしは行き続けることが出来ますが、あなたの刑罰や裁きが無くなったならば、わたしは決して行き続けることが出来ないでしょう。わたしにあなたの刑罰と裁きが無かったとしたら、わたしには言葉に出来ないほど深いあなたの愛を、わたしは失うでしょう。あなたの愛無くして、わたしはサタンの領域下で生活し、あなたの栄光の御顔を見ることは出来ないでしょう。あなたは、わたしがどうして生き続けられると言うのでしょうか。そのような闇や生活は、わたしには耐えられないでしょう。わたしがあなたと共にあることは、あなたに会うことのようですので、どうしてわたしがあなたから去ることが出来ましょうか。わたしはあなたに対し、たとえそれが短い宥めの御言葉であったとしても、わたしの最大の安らぎを奪わないよう懇願し、希います。わたしは従前あなたの愛を授かり、今はあなたから離れることが出来ません。あなたは、どうしてわたしがあなたを愛せないというのでしょうか。わたしは、あなたの愛のために、何度も悲しい涙を流しましたが、そうした生活は一層有意義であり、一層わたしを豊かにし、一層わたしを変化させ、被造物が持つべき真理をわたしが一層得られるようにすることが出来ると、常に感じて来ました。」

『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」(『言葉』第1巻)より

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