日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 146
マタイによる福音書第四章8-11節 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を…
ペテロは何年にもわたりイエスに従い、他の人にはない多くのことをイエスに見た。一年間イエスに従った後、ペテロはイエスに十二使徒の中から選ばれた(もちろん、これをイエスは声高に言ったのではなく、他の人はこのことにまったく気づいていなかった)。生活において、ペテロはイエスのすることすべてを基準にして自己を評価した。イエスの説教は特にペテロの心に刻まれた。ペテロはイエスに徹底的に献身して忠実であり、決してイエスに対する不平不満を口にしなかった。そのため、彼はイエスが行く先々で忠実な同伴者になった。ペテロはイエスの教え、イエスの穏やかな言葉、食べ物、着る物、宿、旅の仕方を観察した。ペテロはあらゆる点でイエスを見習った。ペテロは決して独善的になることなく、時代遅れのことをすべて投げ捨てて、言動においてイエスの例に従った。天地万物は全能者の手の中にあるとペテロが感じたのはその頃で、そのため、彼は個人的な選択をしなかった。ペテロはまた、イエスという存在のすべてを吸収し、それを見本とした。生活を通して、イエスが行動において独善的ではなく、自慢するどころか、人を愛によって動かすことが見て取れた。さまざまなことがイエスという存在を示し、そのためペテロはあらゆることにおいてイエスを見習ったのである。この経験により、ペテロはますますイエスの素晴らしさを感じ、次のように言った。「わたしは全宇宙で全能者を探し求め、天地万物のふしぎを見た。それゆえわたしは全能者の素晴らしさを深く実感した。しかし、これまでわたしは心に純粋な愛を抱いたことはなかったし、全能者の素晴らしさをこの目で見たこともなかった。今日、わたしは全能者から好意的に見られ、ついに神の素晴らしさを感じた。人類が神を愛するようになるのは、神が万物を創造したからだけではないことが、ようやくわかった。日常生活の中で、わたしは神の無限の素晴らしさを見つけた。それがどうして現在見えることだけに限られるだろうか」。時が経つにつれて、その素晴らしさの多くがペテロからも表出した。彼はイエスにとても従順になり、もちろん、かなりの挫折にも苦しんだ。イエスが説教のためにペテロをさまざまな場所に連れて行くと、ペテロはいつも謙虚にイエスの説教に耳を傾けた。長年イエスに従っているからといって、決して高慢にならなかった。イエスがペテロに、自分がこの世に来た理由は十字架につけられてその働きを終えることだと語った後、ペテロはしばしば心に苦悩を感じ、一人でそっと泣いた。しかし、あの「不運な」日がやって来た。イエスが捕えられた後、ペテロは自分の釣舟に乗って一人で泣き、このために多くの祈りを唱えた。だが心の中では、これは父なる神の旨であり、誰にも変えられないとわかっていた。彼はその愛ゆえに、苦悩したまま目に涙をたたえていた。もちろん、これは人間の弱点だった。そのため、イエスが十字架に釘で打ち付けられると知った時、ペテロはイエスに尋ねたのである。「あなたが去られた後、わたしたちのもとに戻ってきて、わたしたちを見守ってくださいますか。わたしたちは、またあなたにお会いできるでしょうか」。この言葉は非常に未熟で、人間的観念に満ちていたが、イエスはペテロの苦しみの辛さがわかっていたので、愛ゆえにペテロの弱さを思いやった。「ペテロ、わたしはあなたを愛してきた。それがわかっているか。あなたの言うことには何の道理もないが、わたしが復活した後に四十日間人々の前に現れることを、父は約束した。わたしの霊が何度もあなたがた全員に恵みを与えることを信じないのか」。これにペテロは少し安心したが、まだ何かがひとつ欠けていると感じた。そこで、復活後、イエスは初めにペテロの前に公然と現れた。しかし、ペテロが自分の観念に固執し続けないように、ペテロがイエスのために用意した豪華な食事を拒絶し、あっという間に姿を消した。その瞬間から、ペテロはついに主イエスをより深く理解し、さらに愛するようになった。復活後、イエスはしばしばペテロの前に現れた。四十日経って昇天した後も、イエスはペテロの前にさらに三度現れた。イエスの出現は毎回必ず聖霊の働きがまもなく完了し、新しい働きが開始される時だった。
ペテロは全生涯を通して漁師として生計を立てたが、それ以上に説教するために生きた。晩年には、ペテロの第一と第二の手紙を書き、当時のフィラデルフィア教会に数通の手紙を書いた。当時の人々は彼に深く感動した。自分の資格を利用して人々に説教するのではなく、ペテロは人々に相応しいいのちを施した。一生を通じて彼はイエスが去る前に与えた教えを決して忘れず、その教えに鼓舞され続けた。イエスに従っている間、ペテロは主の愛に死をもって報い、あらゆることにおいてイエスの手本に見習うことを決意した。イエスもこれに同意し、そのためペテロが五十三歳になった時に(イエスが去った後、二十年以上経ってから)、ペテロの望みをかなえるためにイエスは彼の前に現れた。それから七年間、ペテロは自己を知ることに日々を費やした。その七年間が終わろうとしていたある日、彼は逆さ十字の刑を受け、その数奇な生涯は幕を閉じた。
『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、ペテロの一生」(『言葉』第1巻)より
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