日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 541
将来の奉仕の道において、あなたはどうすれば神の旨を満たせるだろうか。重要な点は、いのちへの入りを追い求めること、性質の変化を追い求めること、そして真理へのより深い入りを追い求めることであり、それが完全にされ、神に得られる道である。あなたがたはみな、神からの任務を受け取る人だが、そ…
多くの人が神に反抗し、聖霊の働きを邪魔するのは、彼らが様々な、多岐にわたる神の働きを認識しないからであり、さらに、彼らがごく僅かな知識と教義しか持ち合わせておらず、それで聖霊の働きを判断するためではないのか。そのような人たちは、経験は上辺だけのものなのに、本性が放漫かつ甘やかされており、聖霊の働きを軽視し、聖霊の懲らしめを無視し、さらには自分の取るに足らない古い論拠を用いて聖霊の働きを「確認」する。また彼らはもったいぶって、自分たちの知識と博識を全面的に確信し、世界中を駆け回ることができると思い込んでいる。そのような人たちは聖霊に軽蔑されて拒絶されるのではないのか、そして新しい時代には排除されるのではないか。神の前に来て公然と神に反抗する人々は、狭量で偏狭な人々で、単に自分たちがいかに賢いかを見せびらかそうとしているだけではないのか。彼らは、聖書についての僅かな知識だけで天下の「学界」にまたがり、人に教える上辺だけの教義でもって、聖霊の働きを覆し、自分たちの思考過程を中心に転回させようと試み、目先のことしか見えないのに、一目で6000年に及ぶ神の働きを見極めようとするのである。この人たちは理性と呼べるようなものをもちあわせているのだろうか。実際、神についてよく知っている人ほど、神の働きを評価するのに時間をかける。さらに、彼らは今日の神の働きについて知っていることを僅かしか語らないが、判断することは急がない。神に対して認識がない人ほど、傲慢で自信過剰で、気まぐれに神の存在そのものを言いふらすが、彼らは理論を語っているだけで、実際の証拠は提供しない。このような人は少しも価値のない人である。聖霊の働きを冗談事と捉える人たちはあさはかである。聖霊の新たな働きに出会うとき、慎重にせずベラベラ言いふらして、早まった判断を下し、本能にまかせて聖霊の働きの正しさを否定し、さらには聖霊の働きを侮辱し冒涜する人たち、つまりそんな無礼な人たちは聖霊の働きに対して無知であると言えるのではないか。さらに、そのような人たちは、傲慢で、生まれつき高慢で、そして手に負えない人間ではなかろうか。このような人はいつか聖霊の新しい働きを受け入れる日が来ても、神は彼らを寛容には扱わないだろう。そういう人たちは、神のために働く人たちを見下すだけでなく、神自身をも冒涜しているのである。そのような無謀な人たちは、この世でも後の世でも赦されることがないし、永久に地獄で滅びるだろう。このように無礼でいい加減な人たちは、神を信じているふりをしているだけで、そうすればするほど、行政命令に触れやすくなる。生まれつき放逸で、一度も誰かに従ったことがない、傲慢な人間はすべて、このような道を歩いているのではないか。彼らは、常に新しくて古くならない神に来る日も来る日も反抗しているではないか。
『神の出現と働き』「神の三階の働きを認識することは、神を認識する道である」(『言葉』第1巻)より
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将来の奉仕の道において、あなたはどうすれば神の旨を満たせるだろうか。重要な点は、いのちへの入りを追い求めること、性質の変化を追い求めること、そして真理へのより深い入りを追い求めることであり、それが完全にされ、神に得られる道である。あなたがたはみな、神からの任務を受け取る人だが、そ…
この世界にわたしの権威を振るい、わたしの働きを完全に実行する。わたしの働きの内のことはすべてこの世界に反映される。人類はけっして、地上で、わたしの天国での動きを把握できなかったし、また、わたしの霊の働きの軌跡を完全に理解することができなかった。人類の大多数は霊の実際の状態を理解す…
今、神は一種の人々の集団、つまり神と協力することに努め、神の働きに従うことができ、神が語る言葉は真実だと信じ、神の要求を実践できる人から成る集団を獲得することを望んでいる。このような人は、心の中に真の認識を有している者たちであり、完全にされることができ、必ずや完全への道を歩め…
人間のあいだでなされる神の働きは、人間から切り離すことができない。なぜなら、人間はこの働きの対象であり、神によって造られたもののうち、神を証しすることができる唯一の被造物だからである。人間の生活と人間のあらゆる活動は、神から切り離すことができず、すべて神の手によって支配されており…