日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 407
経験からわかることだが、最も重要な課題の一つは神の前で心を静めることであり、それは人々の霊的生活といのちの成長に関する課題である。神の前で心が静まっている場合にのみ、真理の追求と性質の変化の追求は実を結ぶ。なぜなら、あなたは重荷を背負って神の前に出て、自分には至らない点が数多くあ…
多くの人は、ほんとうにわたしを愛したいと願うが、彼らの心が自分のものではないために、自身を制御できない。多くの人は、わたしの与える試練の中で、ほんとうにわたしを愛している。しかし、わたしが本当に存在することを把握できず、わたしの実在ではなく、単に空虚の中でわたしを愛しているに過ぎない。多くの人は、わたしの前に心を差し出した後、もはや顧みない。そして、彼らの心は機会があり次第、サタンに掠め取られる。その後、彼らはわたしを離れる。多くの人は、わたしが言葉を与えるとき、ほんとうにわたしを愛する。しかし、霊でわたしの言葉を愛するのではなく、公共物ででもあるかのように気安く用いて、気が向けばいつでも元の場所に投げ戻すのだ。人間は苦痛の中でわたしを求め、試練の中にあって、わたしを探す。平和の時にはわたしを楽しみ、危険になると、わたしを否定する。忙しい時にはわたしを忘れ、暇な時には、わたしに対しておざなりな態度をとる。しかし、けっして誰も生涯を通じてわたしを愛しはしない。人間がわたしの前で熱心であればいいと思う。わたしに何かよこせとは言わない。ただ、すべての人がわたしを真剣に受け止め、わたしを欺くのではなく、誠意を人間の内に取り戻せるようにしたいのだ。わたしの啓きや照らし、努力はすべての人を貫く。しかし、人間のあらゆる行動の真相が人々を貫き、わたしに対する欺きが貫く。人間には母の胎にいるときから欺きの種が備わっていたものででもあるかのようだ。生まれながら欺きの特別の技術をもっているかのようなのだ。そのうえ、人間はけっしてそのことを漏らさない。誰一人、そうした欺きの技術の源を見通した者はいない。その結果、人間はそれと気付かずに欺きの中で生き、自身を許しているかのようで、それが、自分で意図的にわたしを騙そうとしているのではなく、神の計らいででもあるかのように振る舞う。これこそが、人間がわたしを欺く原因なのではないか。これは人間の狡猾なしわざではないのか。わたしはけっして人間の巧みな言葉に惑わされたことはない。わたしはずっと以前に人間の本質を見抜いていたのだから。人間の血にどれほどの不純物が含まれているか、どれほどサタンの毒がその髄に潜んでいるか、誰が知っているのか。人間は日々にそれに慣れ、サタンのしわざに無感覚になり、「健康的な生き方」を見つけることには何の関心もない。
『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十一章」(『言葉』第1巻)より
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経験からわかることだが、最も重要な課題の一つは神の前で心を静めることであり、それは人々の霊的生活といのちの成長に関する課題である。神の前で心が静まっている場合にのみ、真理の追求と性質の変化の追求は実を結ぶ。なぜなら、あなたは重荷を背負って神の前に出て、自分には至らない点が数多くあ…
わたしはあなたがたに何度も警告し、あなたがたを征服するための真理を数多く与えてきた。現在、あなたがたはみな、以前よりもはるかに豊かであると感じ、人間のあるべき姿の原則を多数理解し、誠実な人がもつべき常識を多数備えるようになってきた。そのすべてが、あなたがたが長年かけて得てきた収穫…
神は自身の働きを行なうとき、何らかの構築や運動にとりかかるためでなく、自身の職分を全うするためにやって来る。毎回神が肉となるのは、働きの一段階を遂行し、新しい時代を始めるためだけである。今や神の国の時代が到来し、同じく神の国への訓練が始まった。この段階の働きは人間の働きでも、人間…
神の言葉を受け入れれば受け入れるほど、人はより啓かれ、神を認識することの追求においてますます飢えと渇きを感じるようになる。神の言葉を受け入れる人だけが、より豊かで深遠な経験をすることができる。そしてそのような人は、いのちが胡麻の花のように成長し続けられる唯一の者たちである。いのち…