日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 78
パリサイ人によるイエスへの非難 マルコによる福音書 3:21-22 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊ども…
多くの人は、ほんとうにわたしを愛したいと願うが、彼らの心が自分のものではないために、自身を制御できない。多くの人は、わたしの与える試練の中で、ほんとうにわたしを愛している。しかし、わたしが本当に存在することを把握できず、わたしの実在ではなく、単に空虚の中でわたしを愛しているに過ぎない。多くの人は、わたしの前に心を差し出した後、もはや顧みない。そして、彼らの心は機会があり次第、サタンに掠め取られる。その後、彼らはわたしを離れる。多くの人は、わたしが言葉を与えるとき、ほんとうにわたしを愛する。しかし、霊でわたしの言葉を愛するのではなく、公共物ででもあるかのように気安く用いて、気が向けばいつでも元の場所に投げ戻すのだ。人間は苦痛の中でわたしを求め、試練の中にあって、わたしを探す。平和の時にはわたしを楽しみ、危険になると、わたしを否定する。忙しい時にはわたしを忘れ、暇な時には、わたしに対しておざなりな態度をとる。しかし、けっして誰も生涯を通じてわたしを愛しはしない。人間がわたしの前で熱心であればいいと思う。わたしに何かよこせとは言わない。ただ、すべての人がわたしを真剣に受け止め、わたしを欺くのではなく、誠意を人間の内に取り戻せるようにしたいのだ。わたしの啓きや照らし、努力はすべての人を貫く。しかし、人間のあらゆる行動の真相が人々を貫き、わたしに対する欺きが貫く。人間には母の胎にいるときから欺きの種が備わっていたものででもあるかのようだ。生まれながら欺きの特別の技術をもっているかのようなのだ。そのうえ、人間はけっしてそのことを漏らさない。誰一人、そうした欺きの技術の源を見通した者はいない。その結果、人間はそれと気付かずに欺きの中で生き、自身を許しているかのようで、それが、自分で意図的にわたしを騙そうとしているのではなく、神の計らいででもあるかのように振る舞う。これこそが、人間がわたしを欺く原因なのではないか。これは人間の狡猾なしわざではないのか。わたしはけっして人間の巧みな言葉に惑わされたことはない。わたしはずっと以前に人間の本質を見抜いていたのだから。人間の血にどれほどの不純物が含まれているか、どれほどサタンの毒がその髄に潜んでいるか、誰が知っているのか。人間は日々にそれに慣れ、サタンのしわざに無感覚になり、「健康的な生き方」を見つけることには何の関心もない。
『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十一章」(『言葉』第1巻)より
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パリサイ人によるイエスへの非難 マルコによる福音書 3:21-22 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊ども…
諸国はひどい混乱に陥っている。神の鞭が地上で役割を果たし始めたからである。地上の状況の中に神の働きを見ることができる。「水は轟き、山々は倒れ、大河はばらばらになり」と神が言うとき、これは地上における鞭の最初の働きであり、その結果、「地のすべての家は引き裂かれ、地のすべての国は散り…
人々の外面的性質を取り扱うことも神の働きの一部である。例えば、人々の外面の異常な人間性、あるいはライフスタイルや個人的習慣、生活様式や慣習、ならびに外面的実践や熱心さなどを、神は取り扱う。しかし、神が人々に真理を実践し、性質を変えるよう要求する時、主に取り扱われるのは彼らの心の中…
五番目は何でしょうか。これは一人ひとりの日常生活と密接に関係するものです。それと人間生活との関係はあまりに密接で、それなしでは、この物質世界で人間の身体が生きてゆくことはできないほどです。それは気流です。「気流」は、おそらくすべての人が理解する言葉です。では、気流とは何ですか。空…