日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉:第二十二章」抜粋372

人類はわたしの暖かさを経験し、心からわたしに仕えた。そして彼らは心からわたしに従順で、わたしの前でわたしのためにすべてを行った。しかし今日の人々はどういうわけかこのような状態にうまく達することができず、飢えた狼に襲われたかのように心の中で嘆くしかない。彼らはどうすることもできずにただわたしを見て、助けを求め、止むことなくわたしに向かって泣き叫ぶだけであるが、結局その苦境から逃れることはできない。わたしは人々がかつてわたしの親切に対し、愛をもってその恩に報いるとわたしの前で約束をし、わたしの前で天と地を指して誓ったことを思い出す。彼らはわたしの前で悲しそうに泣き、その泣き声は悲痛で聞くに耐えないものであった。わたしは人類にその決意を見込んでしばしば助けを与えた。幾度となく人々はわたしに従うために忘れがたいほどの恭しい態度でわたしの前に来た。幾度となく彼らは揺るぎない忠誠心をもってわたしを愛し、彼らの偽りのない感情は称賛に値するものであった。数えきれないほど度々、彼らはまさにその命を犠牲にするくらいにわたしを愛し、我が身以上にわたしを愛し、彼らの誠実さを見て、わたしは彼らの愛を受け入れた。数えきれないほど何度も、彼らはわたしの前でその身を捧げ、わたしのために死を前にしても意に介さなかった。わたしは彼らの懸念を取り除き、彼らの表情を注意深く見た。わたしが彼らを自分の宝物のように愛した時が数えきれないほどあったし、わたし自身の敵のように彼らを憎んだ時も数えきれないほどあった。わたしはこのようであるから、人はわたしの心の中に何があるか決して推測することはできない。人々が悲しんでいる時、わたしは近くに来て彼らを慰め、彼らが弱い時はわたしが来て協力する。彼らが迷った時は方向を示してやる。彼らが泣いている時には涙を拭き取ってやる。しかし、わたしが悲しんでいる時、誰が心からわたしを慰めることができるだろう。わたしがひどく心配している時、誰がわたしの気持ちを察してくれるのだろう。わたしが悲嘆に暮れている時、誰がわたしの心の傷を癒すことができるだろう。わたしが誰かを必要とする時、誰が進んでわたしと協力して行動することを申し出てくれるだろう。人々のわたしに対するかつての態度は今や失われ、決して戻らないということなのだろうか。なぜ彼らの記憶にはかつての事がほんのわずかでも残されていないのだろう。人々がこれらのことをすべて忘れてしまったのはなぜだろう。これらすべては、人類がその敵によって堕落させられたからではないだろうか。

『言葉は肉において現れる』より引用

神の意志を気づかえるのは誰

人はかつてわたしの温かさを経験し、誠実にわたしに仕えていた。彼らは真に従順で、わたしのために何でもした。しかし今の人々はそれができず、みな心の中で泣いている。わたしを見て、助けを求めるが、苦境から逃れられずにいる。

昔の人々は誓いを立て、心からの愛をもって、わたしの優しさに報いると、天と地にかけて誓った。彼らはわたしの前で悲しみの涙を流し、その声は痛々しく、聞いていられなかった。わたしは彼らの決意に応えて、助けを与えるのだ。

人々が悲しんでいれば、わたしは彼らを慰める。弱っていれば、わたしが彼らを助け。道に迷っていれば、わたしが道を示し。泣いていれば、わたしがその涙を拭う。しかしわたしが悲しんでいるとき、誰が慰めてくれようか。わたしが苦悩に沈んでいるとき、誰がその思いを気遣ってくれようか。

人は幾度となくわたしに従い、その愛らしさは忘れ難かった。彼らはわたしへの愛に忠実で、その真心は称賛すべきものだった。彼らは幾度となくわたしを愛し、自分の命さえ犠牲にした。そのひたむきさゆえに、わたしは彼らの愛を受け入れた。

彼らは幾度となくその身を捧げ、わたしのために、静かに死に臨んでいった。わたしは彼らの悩みを和らげ、じっとその顔を見つめた。わたしは幾度となく彼らを愛した。自分の大事な宝物のように、そして幾度となく彼らを憎んだ。自分自身の敵のように、それでも人がわたしの心の中を見抜くことはできないのだ。

人々が悲しんでいれば、わたしは彼らを慰める。弱っていれば、わたしが彼らを助け。道に迷っていれば、わたしが道を示し。泣いていれば、わたしがその涙を拭う。しかしわたしが悲しんでいるとき、誰が慰めてくれようか。わたしが苦悩に沈んでいるとき、誰がその思いを気遣ってくれようか。

わたしが悲しんでいるとき、誰がわたしの心の傷を癒やしてくれようか。わたしが誰かを必要としているとき、誰がわたしとともに行動してくれようか。人のかつてのわたしに対する態度はすでに消え去り、二度と戻らないのか。なぜ彼らの中には、記憶のかけらも残っていないのか。人々は敵に堕落させられて、そうしたことを皆忘れてしまった。

人々が悲しんでいれば、わたしは彼らを慰める。弱っていれば、わたしが彼らを助け。道に迷っていれば、わたしが道を示し。泣いていれば、わたしがその涙を拭う。しかしわたしが悲しんでいるとき、誰が慰めてくれようか。わたしが苦悩に沈んでいるとき、誰がその思いを気遣ってくれようか。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
連絡先
Line経由で連絡する

関連記事

日々の神の御言葉「すべては神の言葉が達成する」抜粋35

神は主に自身の言葉を話すために地上に来た。あなたが関りをもつのは神の言葉である。あなたが知るのは神の言葉である。あなたが聞くのは神の言葉である。あなたが従うのは神の言葉である。あなたが経験するのは神の言葉である。そしてこの肉となった神は、人を完全にするのに、主として言葉を用いる。…

日々の神の御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」抜粋9

人の間で行う神の働きは人に隠されておらず、神を崇拝するすべての人に認識されるべきである。神は、人の間で人を救う三つの段階の働きを行ったのだから、人は、これらの三つの段階の働きの中で表現されている神が持つもの、また神であるものを認識すべきである。これは人がすべきことである。神が人か…

日々の神の御言葉「神に対するあなたの認識はどのようなものか」抜粋205

あなたたちはわたしの働きに対してあなたたちのすべてを提供するべきである。あなたたちはわたしのためになる働きをするべきである。わたしはあなたたちにとってあいまいなことすべてについてあなたたちに話し、あなたたちに欠けているすべてをわたしから獲得できるようにしたい。たとえあなたたち…

日々の神の御言葉「本物の人とは何を意味するのか」抜粋348

人を経営する(救う)ことはわたしの仕事であり、わたしが人を征服するのは尚の事、わたしが世界を創造したときに決められていた。人々は、終わりの日にわたしが彼らを完全に征服することを知らず、わたしがサタンを打ち負かす証拠は、不従順な人間たちを征服するためのものだということにも気づい…