日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 335
あなたがたの終着点と運命は、あなたがたにとって極めて重要であり、由々しき懸念である。十分注意して行動しなかったならば、それは終着点が無くなり、運命の破滅に等しいとあなたがたは考えている。しかし、努力が自分の終着点のためだけであるならば、それは空しい努力であることにあなたがたはこ…
これで裁きとは何か、真理とは何かを理解できたか。もし理解できたなら、あなたが裁きに従うよう熱心に勧める。さもなければ、神に賞賛されることも、神にその国に連れて行ってもらうことも決してないのだ。裁きは受け入れるが清められることのない者、すなわち裁きの働きの最中に逃げ出すような者は、永遠に神に嫌われ拒絶される。彼らの罪は、パリサイ人の罪よりも、ずっと多く、ずっと重い。なぜなら、彼らは神を裏切り、神に背いたからだ。仕えさえするに値しないそんな人間は、さらに過酷で終わることのない懲罰を受ける。言葉で忠誠を誓いながら裏切るような者を、神は見逃さない。そのような者は報いとして、霊、魂、そして体に懲罰を受けることになる。これは、神の義なる性質を明示しているのではないだろうか。それこそ、まさに神の裁きと人の明示の目的ではないのか。神は、裁きの時にあらゆる邪悪な行いをした者全てを、邪悪な霊が生きる場所に置き、彼らの肉体を霊の意志により破壊されるようにする。彼らの肉体は、死臭を放つ。それが彼らにふさわしい報いなのだ。神は、不忠実な偽の信者、偽の使徒、偽の働き人の罪をひとつ残らず彼らの記録に書き留め、その時が来れば、霊が彼らの肉体をそっくり霊により思うままに汚されるよう、神は彼らを不潔な霊の渦中に放り込む。その結果、彼らは二度と肉体をもつことはなく、二度と光を見ることはない。一度は神に仕えたが、最後まで忠実であり続けられなかった偽善者は、神により悪人として数えられるので、彼らは悪人とぐるになり、烏合の衆となる。最終的に、神は彼らを滅ぼす。神は、キリストに一度も忠実でなかった者や神のために何の努力もしたことのない者を排除し、顧みることはなく、時代が変わる時に彼らをひとり残らず滅ぼす。彼らは、もはや地上に存在せず、神の国へ入れてもらうことなど無論ない。神に対して誠実であったことはないが、強引に神により取り扱いを受けた者は、神の民のために奉仕する者として数えられる。そうした者たちのごく一部だけが生き延び、大多数は奉仕をする資格さえない者たちと共に消えゆくだろう。最後に神は、神と同じ心を持つ全ての者、神の民と子ら、そして祭司として定められた者たちを、自分の国に迎え入れる。これが、神の働きを通して生まれる神による結晶だ。神が定めた種別のどれにも属せない者については、異邦人として数えられる。彼らの結末がどうなるか、もちろん想像できるだろう。わたしは既に、あなたがたに言うべきことを全て言った。あなたがたがどの道を選ぶのか、それはあなたがたの決断次第だ。あなたがたは次のことを理解しなければならない。神の働きは、神についていけない者のために待ってくれることはなく、神の義なる性質は、誰にも哀れみをかけない。
『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」(『言葉』第1巻)より
裁きと真理が何であるか。あなたは解かりますか?もし解かっているのなら、神は裁きに従うよう勧める。そうしなければ神から称賛され、神の国に入る機会を失うだろう。忠誠を誓いながら裏切る者を神は容赦しない。霊と魂・肉体において罰するだろう。これは神の義の現れ、人を裁き露わにする神の目的ではないか。
裁きを受け入れるだけで清められない者、裁きの業から逃げる者は永遠に神から拒絶される。彼らの罪はパリサイ人よりひどい。神を裏切り反抗する者だから。仕えるに値しない人は未来永劫厳しい罰を受けるだろう。忠誠を誓いながら裏切る者を神は容赦しない。霊と魂・肉体において罰するだろう。これは神の義の現れ、人を裁き露わにする神の目的ではないか。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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あなたがたの終着点と運命は、あなたがたにとって極めて重要であり、由々しき懸念である。十分注意して行動しなかったならば、それは終着点が無くなり、運命の破滅に等しいとあなたがたは考えている。しかし、努力が自分の終着点のためだけであるならば、それは空しい努力であることにあなたがたはこ…
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