日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 1」抜粋25

162 |2020年5月28日

神は動物の毛皮を使ってアダムとエバのために着る物を作られる

 (創世記 3: 20-21)さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。ヤーウェ神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

 この「ヤーウェ神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた」という部分では、アダムとエバと共にいた神は彼らにとってどのような役割をしたのだろうか。人間が2人しかいないこの世界で、神は自身をどのような役割を持つ者として現しただろうか。神としての役割であっただろうか。香港の兄弟姉妹よ、答えてくれないか。(親としての役割) 。韓国の兄弟姉妹よ、神はこの時にどのような役割の者として現れたと思うか。(家族の長) 。台湾の兄弟姉妹よ、どう思うか。(アダムとエバの家族の一人、つまり家族の一員としての役割)。 あなたがたの中には、神はアダムとエバの家族の一員として現れると言う人もいれば、神は家族の長として現れると言う人もあり、また、親として現れると言う人もいる。これらの答えは全て適切だ。だが、わたしが言おうとしていることは何か。神はこの2人の人間を創り、2人を自身の友として扱った。2人の唯一の家族として、神は彼らの生活を見守り、基本的な必要において面倒を見たのである。ここでは、神はアダムとエバの親として現れている。その間、人は神がどれだけ高尚であるか見ることをせず、神の至高、その奥義、そして特に怒りや威厳を見ることをしなかった。人が見るのは神の謙遜、慈愛、人間への思い、神の責任及び配慮である。神の態度やアダムとエバの扱い方は、人間の親が自分の子どもに対して心配するものと同種である。人間の親が自分の息子や娘を愛し、世話をし、面倒を見るのに似ている――現実的で、見ることができ、触れて感知することができる。自身を高く、威厳のある者として位置付けるのではなく、神は人間のために動物の皮で衣服を作ったのである。その毛皮のコートが、裸の身体を覆うためだったか、寒さから守るためだったかは問題ではない。要するに、人間の体を覆うための衣服は神が自分の手で作ったということだ。人間が想像するような、神の考えだけで衣服を作ったり、奇跡的な方法で作ったりしたのではなく、むしろ神にはできない、神がするべきないと人が考えるような方法で作ったのである。そのような簡単なことを敢えて言うまでもないと思う人もいるかもしれない。しかし神に従ってはいたが、神についてぼんやりとしたイメージしか持っていなかった人たちにとっては、この箇所を見ることで神の真実さ、魅力、忠実さ、謙遜をはっきり見ることができるようになる。そして自分が位の高い、力ある存在と考えるどうしようもなく高慢な人たちに、神の真実さや謙遜の前に自分を恥じ入らせ、自惚れていたその頭を下げさせる。ここで現されている神の真実さや謙遜を通して、神の魅力を知るようになる。人の心の中の大きく、愛すべきであり、全能である神が小さく、醜い、吹けば飛ぶようなものになってしまっている。この聖句を読み、ストーリーを聞くとき、このようなことをした神をあなたは見下すだろうか。そういう人もいるかもしれない。しかしある人にとっては全く逆で、神を真実で愛すべきとして捉え、その真実さと愛すべき性質に心動かされるだろう。本当の神の側面をより知っていくことで、神の愛、神が自分の心の中にいてもらえることの重要性、そして神がどんなときも共にいてもらえることに、より深い理解を得るようになる。

 ここで、わたしたちの話を現在とつなげてみるべきだろう。もし神が最初に自身が創造した人間に対しこれらの様々な小さなこと、人間が全く考えたり予想したりしないようなものですら人間に対して行うことができるのなら、神は今日の人々に対してもそのようなことをすることは可能だろうか。「可能だ」と言う人もいるだろう。それはなぜだろうか。それは神の本質は偽物ではなく、神の魅力が偽物ではないからである。神の本質は真に存在しており、他者によって付け加えられるものではなく、また時間、場所、時代によって変わるものでも決してないからである。神の真実さや魅力は、人間が注目に値するとも重要とも思わないことをする中に、そして神がするとは思えないようなとても小さなことのなかに真に現されるのである。神は偉ぶってはいない。神の性質や本質のなかには、誇張、偽装、高ぶり、あるいは高慢さは存在しない。神は決して誇らず、かえって人間を愛し、配慮し、世話をしてくれ、忠実さと誠実さをもって自身が創造した人間を導く。人々がこのことをどれだけ感謝し、感じ、また理解できるかにかかわらず、神は間違いなくそうしている。神がそのような実質を持っていると知ることは、人々の神への愛に影響をもたらすだろうか。彼らの神への畏れに影響するだろうか。あなたが神の本当の側面を理解する時、あなたが神とさらに親しくなり、神の人間への愛と配慮にさらに深い感謝を持つことができるようになり、それと同時に神に心を捧げ、そして神に対しての疑いもいぶかりも持たなくなることをわたしは願っている。神はその誠実さ、忠実さ、そして愛をもって、人間のために全てのことを静かに行っている。しかし神は自身の行うこと全てに対して不安を持ったり後悔したりすることは一切なく、また人間から何らかの形でのお返しを必要とすることもなく、人間から何かを得ようとする意図も一切ない。神がこれまでに行ってきたこと全ての唯一の目的は、神が人間の真実な信仰と愛を受け取ることができるようになるためである。

『言葉は肉におて現れる』より引用

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