日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 320
わたしは他人に対して疑いを持っていない人を高く評価し、真理を容易に受け入れる人を好んでいる。わたしはこれらの2つの種類の人間を大切にする。わたしの目には誠実な者たちだからだ。あなたが非常に偽りに満ちているならば、あなたはすべての事柄およびすべての人に関して疑いを持つ、器の小さい心…
神が裁きと刑罰の働きを行うのは、それによって人が神を知り、神を証すためである。人の堕落した性質を神が裁くことがなければ、人が犯すことのできない神の義なる性質を、人が知ることはできず、神に関する古い認識を捨てて新しい認識を得ることもない。神が証すため、そして自身の経営(救い)のために、神はそのすべてを明らかにし、そうすることで人は、神が公に顕われることにより、神の認識に到達することができ、その性質においても変えられ、人が力強い証し人となれるようにした。神のさまざまな働きを通して、人の性質が変化する。そうした変化なしには、人は神への証人とはなれず、神の心にかなうこともできない。人の性質が変化するということは、人がサタンの束縛から自由になり、闇の影響を脱し、真に神の働きの雛形や見本となることを意味しており、真に神の証人となり、神の心に沿うものとなったことを意味する。今日、肉となった神が地上での働きをするためにやって来た。神は、人が神の認識に到達し、神に従い、神への証しとなることを要求する。神の実際の働きと普通の働きを知り、人の考えには沿わない神の言葉と働きすべてに従い、人を救う神のすべての働きと、人を征服する神のすべての行いに対して証しとなることを要求する。神を証すものは神の認識を持たなければならない。そのような証しだけが正確であり、本物であり、そのような証しだけがサタンを恥じ入らせることができる。神は、裁きと刑罰を経験し、取り扱われ、刈り込まれることを経験し、それによって神を知ることになる者を、自身の証人として用いる。神はサタンにより堕落させられた者を自身の証人として用い、また、その性質が変わり、それにより神の祝福を得る者を、自身の証人として用いる。神は人の口先だけの賞賛を必要とせず、サタンのやからで救いを得ていない者たちによる賞賛も証しも必要としない。神を知る者だけが、神への証しとなる資格がある。性質を変えられた者だけが、神への証しとなることができる。神は人が意図的に自身の名を辱めることを許すことはない。
『神の出現と働き』「神を知る者だけが神に証しをすることができる」(『言葉』第1巻)より
Ⅰ
神の様々な働きは人の性質を変える。変化なくして証し出来ず、神の心にも適わない。性質が変化した人はサタンと闇から解かれて、神の働きの模範となる。神の心に適う、神の証し人。神の証し人は神を認識しなければならない。この証しだけが本物で、サタンを恥じ入らせる。刈り込みと取扱いと裁きを通し、神を知った人々を神は用いて、神を証しさせる。神は堕落した者や、自分の性質を変えて、神に祝福された者たちに神を証しさせる。
Ⅱ
今日、受肉した神が業を為すため、地に来た。神が人に求めるのは神を知り、従い、証しすること。正常で実際的な働きを知り、人の意に反する働きと言葉に従い、また人を救い征服するための神の業を証しすること。神の証し人は神を認識しなければならない。この証しだけが本物で、サタンを恥じ入らせる。刈り込みと取扱いと裁きを通し、神を知った人々を神は用いて、神を証しさせる。神は堕落した者や、自分の性質を変えて、神に祝福された者たちに神を証しさせる。
Ⅲ
神は口先の賛美や、サタンのようなものからの賛美や証しはいらない。神を知る者だけが本当に証し出来る。証しにふさわしいのは変えられた者だけだ。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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わたしは他人に対して疑いを持っていない人を高く評価し、真理を容易に受け入れる人を好んでいる。わたしはこれらの2つの種類の人間を大切にする。わたしの目には誠実な者たちだからだ。あなたが非常に偽りに満ちているならば、あなたはすべての事柄およびすべての人に関して疑いを持つ、器の小さい心…
サタンの「特別」な身分のために、サタンが様々な側面において表示する内容に対して、多くの人々が強い関心を寄せるようになる。なかには、サタンは奇跡を起こすことや、人間には不可能なことができるのであるから、サタンにも神と同様に権威がある、と信じている愚かな人々もいる。そうしたわけで…
人は今日の働きも将来の働きも多少理解できるが、自らの終着点を理解していない。被造物として、人はその本分を果たすべきである。つまり、人は何をする場合にも神に従うべきで、わたしがあなたがたに示す方向がどのようであれ、その方向に進むべきである。あなたは自分のための取り計らいの方法を知ら…
人が神を信じるために最も基本的なことは、その人が誠実な心を持ち、完全に自分を捧げ、また本当に従うことである。人にとって最も困難なことは、真実なる信仰を得ることと引き換えに、自らの全人生を捧げることだが、それができれば、人は完全なる真理を得ることができ、被造物としての本分を尽く…