日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 451
現在の流れにおいては、神を真に愛するすべての人に、神によって完全にされる機会がある。若かろうと年老いていようと、心の中で神への従順を抱き、神を畏れる限り、そのような人は神によって完全にされることが可能である。神は人の様々な役割に応じてその人たちを完全にする。自分の全力を振るい、神…
神が裁きと刑罰の働きを行うのは、それによって人が神を知り、神を証すためである。人の堕落した性質を神が裁くことがなければ、人が犯すことのできない神の義なる性質を、人が知ることはできず、神に関する古い認識を捨てて新しい認識を得ることもない。神が証すため、そして自身の経営(救い)のために、神はそのすべてを明らかにし、そうすることで人は、神が公に顕われることにより、神の認識に到達することができ、その性質においても変えられ、人が力強い証し人となれるようにした。神のさまざまな働きを通して、人の性質が変化する。そうした変化なしには、人は神への証人とはなれず、神の心にかなうこともできない。人の性質が変化するということは、人がサタンの束縛から自由になり、闇の影響を脱し、真に神の働きの雛形や見本となることを意味しており、真に神の証人となり、神の心に沿うものとなったことを意味する。今日、肉となった神が地上での働きをするためにやって来た。神は、人が神の認識に到達し、神に従い、神への証しとなることを要求する。神の実際の働きと普通の働きを知り、人の考えには沿わない神の言葉と働きすべてに従い、人を救う神のすべての働きと、人を征服する神のすべての行いに対して証しとなることを要求する。神を証すものは神の認識を持たなければならない。そのような証しだけが正確であり、本物であり、そのような証しだけがサタンを恥じ入らせることができる。神は、裁きと刑罰を経験し、取り扱われ、刈り込まれることを経験し、それによって神を知ることになる者を、自身の証人として用いる。神はサタンにより堕落させられた者を自身の証人として用い、また、その性質が変わり、それにより神の祝福を得る者を、自身の証人として用いる。神は人の口先だけの賞賛を必要とせず、サタンのやからで救いを得ていない者たちによる賞賛も証しも必要としない。神を知る者だけが、神への証しとなる資格がある。性質を変えられた者だけが、神への証しとなることができる。神は人が意図的に自身の名を辱めることを許すことはない。
『神の出現と働き』「神を知る者だけが神に証しをすることができる」(『言葉』第1巻)より
Ⅰ
神の様々な働きは人の性質を変える。変化なくして証し出来ず、神の心にも適わない。性質が変化した人はサタンと闇から解かれて、神の働きの模範となる。神の心に適う、神の証し人。神の証し人は神を認識しなければならない。この証しだけが本物で、サタンを恥じ入らせる。刈り込みと取扱いと裁きを通し、神を知った人々を神は用いて、神を証しさせる。神は堕落した者や、自分の性質を変えて、神に祝福された者たちに神を証しさせる。
Ⅱ
今日、受肉した神が業を為すため、地に来た。神が人に求めるのは神を知り、従い、証しすること。正常で実際的な働きを知り、人の意に反する働きと言葉に従い、また人を救い征服するための神の業を証しすること。神の証し人は神を認識しなければならない。この証しだけが本物で、サタンを恥じ入らせる。刈り込みと取扱いと裁きを通し、神を知った人々を神は用いて、神を証しさせる。神は堕落した者や、自分の性質を変えて、神に祝福された者たちに神を証しさせる。
Ⅲ
神は口先の賛美や、サタンのようなものからの賛美や証しはいらない。神を知る者だけが本当に証し出来る。証しにふさわしいのは変えられた者だけだ。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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現在の流れにおいては、神を真に愛するすべての人に、神によって完全にされる機会がある。若かろうと年老いていようと、心の中で神への従順を抱き、神を畏れる限り、そのような人は神によって完全にされることが可能である。神は人の様々な役割に応じてその人たちを完全にする。自分の全力を振るい、神…
聖書にあることがみな、神が自ら語った言葉の記録というわけではない。聖書はただ、神の働きのうち以前の二段階を記載しているに過ぎない。その一部は預言者たちによる預言の記録で、別の一部は各時代で神に用いられた人々の経験と認識である。人間の経験には人間の意見や認識が紛れ込んでいるが、それ…
神が律法の時代の働きを行なった後に旧約聖書は作られたのだが、人々が聖書を読み始めたのはそのときだった。イエスは到来後に恵みの時代の働きを行ない、彼の使徒たちが新約聖書を記した。このようにして旧約聖書と新約聖書は作られ、今日に至るまで、神を信じるすべての人が聖書を読んできた。…
自分の中で神がいのちになるやいなや、人々は神から離れることができなくなる。これこそが神の業ではないのか。これ以上の証しはない。神はある段階まで働いた。神は人々に、奉仕せよ、刑罰を受けよ、あるいは死ねと言ったが、人々はひるんでおらず、彼らが神に征服されたことは明らかである。真理を持…