日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 526
人間は肉の中に生きるが、それは人間の地獄の中で生きるということであり、神の裁きと刑罰無くして、人間はサタン同様に不浄である。どうして人間が聖いことがあろうか。ペテロは、神の刑罰と裁きは人間の最高の守りであり、最も素晴らしい恵みであると考えていた。人間が目ざめて肉とサタンを憎…
本物の被造物は創造主が誰か、人間はなぜ創造されたか、被造物としてどう責任を果たすか、万物の創造主をどう礼拝するかを知り、創造主の心、望み、要求を理解し、把握し、知り、大切に扱わなければならない。そして創造主の道、つまり神を畏れ、悪を避ける道に従って行わなければならない。
神を畏れるとは、どのようなことか。またいかにして悪を避けるか。
「神を畏れる」とは、得体の知れない恐れや恐怖でも、回避することでも距離をおくことでもなく、偶像化でも迷信でもない。「神を畏れる」とは、敬慕、尊敬、信頼、理解、思いやり、服従、奉献、愛情であり、無条件かつ不平を言わない礼拝、報い、帰服である。神に関する真の認識なくしては、人類に真の敬慕、真の信頼、真の理解、真の思いやりと服従は存在せず、単に不安や恐れ、疑い、誤解、回避、逃避があるのみである。神に関する真の認識なくしては、人類に真の奉献や報いはあり得ない。神に関する真の認識なくしては、人類に真の礼拝や帰服はあり得ず、盲目的な偶像化と迷信があるのみである。神に関する真の認識なくしては、人類は神の道に従って行動することも、神を畏れることも、悪を避けることもとうてい出来ない。反対に、人間のあらゆる活動や行為は神に対する不従順や反抗、中傷的なそしりや批判、そして真理や神の言葉の真の意味に反する悪行に満ちる。
人類は真に神を信じてはじめて、どのように神に従うか、どう委ねるかが真に理解できる。真に神に信頼し、委ねてはじめて、人類は真の理解と把握を得る。神に関する真の理解は、神に対する真の思いやりが伴う。神に対する真の思いやりがあってはじめて、人類は真に服従の念を持つことができる。神に対する真の服従があってはじめて、人類は真に奉献することができる。神に対する真の奉献があってはじめて、人類は真に無条件で不満の無い報いを行うことができる。真の信頼と依存、真の理解と思いやり、真の服従、真の奉献と報いがあってはじめて、人類は神の性質と本質を真に知り、創造主の身分を知ることができる。創造主を真に知ってはじめて、人類は真の礼拝と帰服に自ら目覚めることができる。創造主に対する真の礼拝と帰服があってはじめて、人類はその悪行を避けること、つまり悪を避けることが本当にできるようになる。
これらのことが「神を畏れ、悪を避ける」ことの全過程であり、またこれらが神を畏れ、悪を避けるということの内容の全体であり、神を畏れ、悪を避けるために避けて通れぬ道である。
「神を畏れ、悪を避け」と神を知ることには、不可分の綿密な関連性があり、またその関連性は自明である。ある者が悪を避けたいならば、その者はまず神を真に畏れなければならない。神を真に畏れることを望む者は、まず神に関する真の認識を得なければならない。神に関する真の認識を得たいのであれば、まず神の言葉を体験し、神の言葉の現実に入り、神の懲らしめと鍛錬、刑罰と裁きを経験しなければならない。神の言葉を経験したいと望むのであれば、まず神の言葉と向き合い、神と向き合い、そして人、出来事、物事が係わるあらゆる環境で神の言葉を体験する機会を神に請い求めなければならない。神や神の言葉と向き合うことを望むのであれば、まず単純かつ誠実な心と、真理を受け入れる心の準備をし、苦しみを耐える意志、悪を避ける決意と勇気、本物の被造物になりたいという志を持つ必要がある……。このようにして、一歩ずつ前進すれば、神にますます近づき、心はますます純粋さを増し、自分の人生や生きる価値が、神に関わる知識とともに一層有意義で晴れやかなものとなってゆく。やがて、創造主はあなたにとって不可解なものでなく、隠された存在でもないと感じることができ、かつて創造主があなたの前から隠れていたことは一切無く、決してあなたから遠く離れた存在でもないと感じることができ、また、あなたが長い間待ちわびて思いを馳せるだけで決してあなたの感情が届くことはないというような存在ではなく、実際にあなたの左右にあって、あなたを守り、いのちに備えを与え、あなたの運命を決める者であると感じることができるであろう。彼は遠く離れた地平線の彼方に存在するのではなく、また雲の上に隠れている存在でもない。彼は、あなたのすぐ側にあり、あなたのすべてを支配し、あなたにあるすべてであり、あなたにある唯一の存在である。こうした神は、あなたが彼を心から愛すること、すがりつくこと、寄り添うこと、敬うことを許し、彼を失うことを恐れることを許し、あなたが彼を放棄することを望まず、彼に従わないことを望まず、彼を避けること、彼から遠ざかることを望まないようになることを許す。もはやあなたの望みは、彼を思い、彼に従い、彼が与えるすべてに報い、彼の支配に帰服することのみである。そしてあなたは彼に道を示され、授かり、見守られ、顧みられることを拒まなくなり、彼が命じること、定めることを拒まなくなる。あなたは、彼の右か左にすぐそばで歩み、自分にとって唯一のいのち、唯一の主、唯一の神として彼を受け入れることを望むのみである。
『神を知ることについて』「神の性質と神の働きが達成する成果をいかにして知るか」(『言葉』第2巻)より
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