日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 171

聖霊から特別な指示と導きを与えられている人を除けば、自立して生きられる人間は一人もいない。なぜなら人間には、神に用いられている人々の働きと牧養が必要だからである。そのため神は各時代に様々な人を起こし、神の働きのために教会を牧養するという仕事に没頭させる。つまり神の働きは、神が好ましく思い、神が認める人々を通じてなされなければならないのである。聖霊が働きを行なうには、そうした人々の中にある、用いるのに相応しい部分を使う必要があり、彼らは聖霊によって完全にされることで、神に用いられるのに適した者となる。人間はあまりにも理解力に欠けているため、神が用いる人々によって牧養されなければならない。それは神がモーセを用いたのと同じことである。当時、神は用いるのに適した多くのものをモーセの中に見出し、それを用いてその段階の働きを行なった。この段階において、神は人を用いるとともに、その人のうち、聖霊が働きに利用できる部分を活用する。また、聖霊はその人を指導すると同時に、用いることのできない残りの部分を完全にする。

 神によって用いられる人が行なう働きは、キリストや聖霊の働きに協力するためのものである。その人は人間の中で神によって起こされた者であり、神の選民を残らず率いるために存在しており、また人間による協力の働きを行なうよう神に起こされた者でもある。このような、人間による協力の働きを行なえる人を用いることで、人間に対する神の要求と、聖霊が人間の中で行なわねばならない働きが、その人を通じてさらに多く実現される。別の言い方をすれば、神がその人を用いる目的は、神に従う者全員が神の旨をよりよく理解し、神の要求をより多く達成できるようにすることなのだ。人々は神の言葉や神の旨を直接理解することができないので、神はそうした働きを行なわせるために用いる人を起こしたのである。神に用いられるこの人は、神が人々を導く際の媒体とも、神と人との意思疎通を図る「翻訳者」とも言える。そのためこうした人は、神の家で働く者たちや神の使徒である者たちとは異なる。こうした人も彼らと同様、神に奉仕する人だと言えるものの、その働きの本質と神に用いられる背景において、他の働き手や使徒とは大きく異なる。その働きの本質と神に用いられる背景について言えば、神に用いられる人は神によって起こされ、神の働きのために神によって用意され、神自身の働きに協力する。その人に代わってその仕事を行なえる者は決していないだろう。それが、神性の働きとともに欠くことのできない人間の協力である。一方、他の働き手や使徒が行なう働きは、教会に関するその時々の取り決めについて、その多くの側面を伝えて実行するもの、さもなければ教会生活を維持するためのちょっとした単純ないのちの施しの働きである。そうした働き手や使徒は神に任命されるのではなく、ましてや聖霊に用いられる者と呼ぶことはできない。彼らは教会の中から選ばれ、一定期間の訓練を受けて養成された後、適した者が残され、適していない者は元いた場所に帰される。こうした人々は教会の中から選ばれるため、中にはリーダーになるとその本性を現わす者もおり、様々な悪事を働いて最終的に淘汰される者すらいる。一方、神に用いられる人は神によって用意された人であり、ある種の素質を備え、人間性を持ち合わせている。その人はあらかじめ聖霊によって用意され、完全にされており、ひとえに聖霊によって導かれ、特にその働きについては聖霊から指示と命令を受ける。その結果、神の選民を導く道から逸れることは一切ない。なぜなら神は自らの働きに必ずや責任をもち、常に自らの働きを行なっているからである。

『神の出現と働き』「神が人間を用いることについて」(『言葉』第1巻)より

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