日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 319

2020年7月19日

あなた方はみな神の前で報いを受け、神の目に喜ばしく映る対象となれれば嬉しいだろう。それは、人が神を信じるようになった後、誰もが望むことである。人は一途に更なる高みを目指し、他の人に劣ることを喜ばないからである。人はみなこのようである。正にこのような理由から、あなた方の多くは、いつも天にいる神に取り入ろうとするが、実際には神に対する忠誠心と誠実さは、自らへの忠誠心と誠実さよりもはるかに小さいのである。なぜわたしはこのようなことを言うのか。わたしはあなた方の神への忠誠を全く認めておらず、更にあなた方の心の中にある神の存在を否定しているからだ。つまり、あなた方が崇拝する神、あなた方が敬慕する漠然とした神は、まったく存在しない。わたしがこれを断言できるのは、あなた方が真の神からあまりにも遠く離れているからである。あなた方の忠誠心は、あなた方の心の中にある偶像に対するものであり、わたしのこととなると、あなた方の目に映る神は偉大でも小さな存在でもなく、言葉でしかわたしを認めていない。あなた方が神からあまりにも遠く離れているとわたしが言うのは、あなた方が非常に真の神から遠ざかっており、漠然とした神がすぐ近くにいるようだからである。「偉大ではない」というのは、あなた方が今日信じている神は、偉大な能力を持っている訳でもないただの人間、大して高尚ではない人間という意味である。「小さな存在ではない」というのは、この人は風や雨を召喚したりすることはできないが、神の霊を呼んで、人を全く困惑させるような、天と地を揺るがすほどの働きをすることができるということを意味する。一見、あなた方はこの地上のキリストに非常に従順であるように見えるが、実質的には彼に対する信仰を持っておらず、愛してもいない。つまり、あなた方が本当に信じているのは、あなた方の感情の中の曖昧な神であり、あなた方が本当に愛しているのはあなた方が一日中慕っているが、直接会ったことのない神である。このキリストに関しては、あなた方の信仰はほんのわずかに過ぎず、彼に対してあなた方は愛など持っていない。信仰とは信じることと信頼を意味する。愛とは、崇め、称賛し、決して離れないことである。しかし、今日のキリストに対するあなた方の信仰と愛は、これにはほど遠い。信仰に関しては、あなた方はどのように彼に対して信仰を持つのか。愛に関しては、どのように彼を愛するのか。彼の性質を全く知らず、まして彼の実質など知らないのに、どうやって彼を信じられるのか。あなた方の彼に対する信仰の現実性はどこにあるのか。あなた方はどうやって彼を愛しているのか。あなた方の彼に対する愛の現実性はどこにあるのか。

多くの人が躊躇せずわたしに従い、ここ数年間、あなた方は多くの疲労を被った。わたしはあなた方一人ひとりの生まれ持った性格と習慣を徹底的に把握できた。あなた方とやりとりするのは非常に困難であった。残念なのは、わたしはあなた方について多くの情報を得たが、あなた方はわたしを少しも理解していないことだ。あなた方が混乱している状態で人に騙された、と人々が言うのは当然だ。確かに、あなた方はわたしの性質を全く理解しておらず、ましてやわたしの考えなど理解出来ていない。あなた方のわたしに対する誤解は、さらに追い打ちをかけるものであり、わたしへの信仰は混乱状態に陥ったままである。わたしに信仰を抱いているという言葉と反対に、あなた方はわたしの機嫌をとり、わたしにへつらっていると言う方が正しい。あなた方の動機は非常にシンプルである。「自分に報いてくれれば、その人物に従う。大災害から守ってくれれば、神でも誰でも信じよう。これは私にとってはどうでもよいことである。」あなた方の中にはこのような人が多くいる。この状況は非常に深刻である。いつの日か、キリストの実質を見極めているからこそキリストへの信仰を持っているという人が何人いるかをテストしたなら、わたしの期待に答えるものは一人もいないであろう。次の質問を考えてみてはどうだろうか。あなた方が信仰している神は、わたしとは大いに異なっている。それでは、神に対するあなた方の信仰の本質は何か。あなた方があなた方のいわゆる神を信じるほど、あなた方はわたしから離れていくのである。それでは、この問題の本質とはなにか。あなた方は誰もこの問題を考えていないとわたしは確信しているが、その重大さを考慮したことはあるか。そのような信仰を続けていると、どうなるかを考えたことはあるか。

『神の出現と働き』「どのように地上の神を知るか」(『言葉』第1巻)より

あなたはキリストに真の信仰と愛をもっているか

一見キリストに従順なようでも、あなた方は彼を信じず、愛してもいない。あなた方が信じているのは感情が生み出した漠然とした神であり、あなた方が愛しているのは昼夜慕いながらも、これまで一度も会ったことのない神。信仰とは、信用し信頼することを意味し、愛とは、心からの崇敬と敬愛をもち、決して離れぬことを意味する。しかし、今日のキリストに対するあなた方の信仰と愛は、その意味からは程遠く。まったくかけ離れたものである。

あなた方の信仰は微小で、キリストへの愛は取るに足らない。彼の性質や本質を知らずに、どうして彼を信じ、愛することができようか。彼(キリスト)への信仰の現実はどこにあるのか。あなた方は本当に彼を愛しているか。あなた方は本当に彼を愛しているか信仰とは、信用し信頼することを意味し、愛とは、心からの崇敬と敬愛をもち、決して離れぬことを意味する。しかし、今日のキリストに対するあなた方の信仰と愛は、その意味からは程遠く。まったくかけ離れたものである。あなた方は彼をどのように信仰するのか。そして彼をどのように愛するのか。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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