日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 30
(創世記 9:11-13)「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりな…
人の頭脳内の働きは人にはあまりにも容易に達成できる。たとえば、宗教界の牧師や指導者は自分の才能や立場に依存して働く。長い間彼らに従う人は、その才能に感化され、その存在の一部に影響を受ける。彼らは人の才能、能力、知識に重点を置き、超自然的なものや多くの深遠で非現実的な教義に注目する(もちろん、これらの深遠な教義は達成不可能である)。彼らは人の性質の変化に注目せず、むしろ人が説教し働くようになるような訓練に注目し、人の知識を向上させ豊富な宗教的教義を充実させようとする。人の性質がどのくらい変化するかや、人がどのくらい真理を理解しているかには注目しない。彼らは人の本質には関心を持たず、ましてや人の通常の状態、異常な状態を知ろうとはしない。彼らは人の観念に反論せず、観念を明らかにもしないし、ましてや人の欠点や堕落を刈り込んだりはしない。彼らに従う人のほとんどは自分の才能をもって奉仕し、彼らが放つのは宗教的な観念と神学的な理論だけであり、それは現実とは離れており、人にいのちを与えることはまったくできない。実際、彼らの働きの本質は才能を育むこと、何もない人を、後に働いて他者を導くことになる有能な神学校卒業生に育てることである。六千年に及ぶ神の働きにおいて、あなたは何か規律を見つけ出すことができるのか。人が行う働きの中にはたくさんの規則や制限があり、人間の脳はあまりに教条主義的である。ゆえに、人が表すことはその人の経験の範囲内にある理解と認識であり、これから離れては人は何も表すことができない。人の経験あるいは認識は、生まれながらの才能や本能から生じるものではなく、神の導きと神の直接的牧養により生じる。人はこの牧養を受け入れる能力を持っているだけで、神性とは何であるかを直接表すことのできる能力は持っていない。人は源になることはできず、源から水を受ける器になれるだけである。これが人間の本能、人間として持つべき能力である。神の言葉を受け入れる能力を失い、人間の本能を失った人はもっとも貴重なものも失い、被造物である人としての本分を失う。神の言葉または神の働きについての認識や経験がない人は、その本分、つまり、被造物として行うべき本分を失い、被造物としての尊厳を失う。肉において表されようと、霊に直接表されようと、神性が何であるかを表すのは神の本能であり、これが神の職分である。人は自分自身の経験や認識(つまり自分は何であるかということ)を神の働きの間かその後に表す。これは人の本能であり本分であり、人が達成すべきことである。人の表現は神が表すものに遠く及ばないし、人の表すものは多くの規則に縛られているが、人は果たすべき本分を果たすべきであり、しなければならないことをしなければならない。自己の本分を果たすために人間的に可能なすべてを人はしなければならず、このことをほんの少しでさえもためらってはならない。
『神の出現と働き』「神の働きと人の働き」(『言葉』第1巻)より
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創世記 19:1-11 そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、わ…
神が人間の結末を決定する方法とその基準 なんらかの意見をまとめたり結論を出したりする前に、まず神のあなたへの態度と神が何を考えているのかを理解するべきです。その後に自分自身の考えが正しいか否かを判断すればよいのです。誰かの結末を決定するのに、神は時間を評価の単位として用いたり、…
どの時代においても、神は自身の働きを繰り返さない。終わりの日が到来したので、神は終わりの日に行なう働きを行ない、終わりの日における自身の性質を余すところなく現わす。終わりの日と言うとき、それは別の時代を指しており、その際イエスは、あなたがたは必ずや災害に見舞われ、地震、飢饉…