日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 137
自分の唯一の主として神を受け入れることが、救いを得る第一歩である 神の権威に関する真理は、全ての者が真剣に取り扱い、心で経験して理解すべき真理である。なぜなら、こうした真理は全ての者の人生、過去、現在、そして未来と関係があり、また人生において全ての人間が通らなければならない重要…
人の頭脳内の働きは人にはあまりにも容易に達成できる。たとえば、宗教界の牧師や指導者は自分の才能や立場に依存して働く。長い間彼らに従う人は、その才能に感化され、その存在の一部に影響を受ける。彼らは人の才能、能力、知識に重点を置き、超自然的なものや多くの深遠で非現実的な教義に注目する(もちろん、これらの深遠な教義は達成不可能である)。彼らは人の性質の変化に注目せず、むしろ人が説教し働くようになるような訓練に注目し、人の知識を向上させ豊富な宗教的教義を充実させようとする。人の性質がどのくらい変化するかや、人がどのくらい真理を理解しているかには注目しない。彼らは人の本質には関心を持たず、ましてや人の通常の状態、異常な状態を知ろうとはしない。彼らは人の観念に反論せず、観念を明らかにもしないし、ましてや人の欠点や堕落を刈り込んだりはしない。彼らに従う人のほとんどは自分の才能をもって奉仕し、彼らが放つのは宗教的な観念と神学的な理論だけであり、それは現実とは離れており、人にいのちを与えることはまったくできない。実際、彼らの働きの本質は才能を育むこと、何もない人を、後に働いて他者を導くことになる有能な神学校卒業生に育てることである。六千年に及ぶ神の働きにおいて、あなたは何か規律を見つけ出すことができるのか。人が行う働きの中にはたくさんの規則や制限があり、人間の脳はあまりに教条主義的である。ゆえに、人が表すことはその人の経験の範囲内にある理解と認識であり、これから離れては人は何も表すことができない。人の経験あるいは認識は、生まれながらの才能や本能から生じるものではなく、神の導きと神の直接的牧養により生じる。人はこの牧養を受け入れる能力を持っているだけで、神性とは何であるかを直接表すことのできる能力は持っていない。人は源になることはできず、源から水を受ける器になれるだけである。これが人間の本能、人間として持つべき能力である。神の言葉を受け入れる能力を失い、人間の本能を失った人はもっとも貴重なものも失い、被造物である人としての本分を失う。神の言葉または神の働きについての認識や経験がない人は、その本分、つまり、被造物として行うべき本分を失い、被造物としての尊厳を失う。肉において表されようと、霊に直接表されようと、神性が何であるかを表すのは神の本能であり、これが神の職分である。人は自分自身の経験や認識(つまり自分は何であるかということ)を神の働きの間かその後に表す。これは人の本能であり本分であり、人が達成すべきことである。人の表現は神が表すものに遠く及ばないし、人の表すものは多くの規則に縛られているが、人は果たすべき本分を果たすべきであり、しなければならないことをしなければならない。自己の本分を果たすために人間的に可能なすべてを人はしなければならず、このことをほんの少しでさえもためらってはならない。
『神の出現と働き』「神の働きと人の働き」(『言葉』第1巻)より
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自分の唯一の主として神を受け入れることが、救いを得る第一歩である 神の権威に関する真理は、全ての者が真剣に取り扱い、心で経験して理解すべき真理である。なぜなら、こうした真理は全ての者の人生、過去、現在、そして未来と関係があり、また人生において全ての人間が通らなければならない重要…
神と人を同等なものとして語ることはできない。神の本質と神の働きは人にとって最も深遠で理解しがたい。神が人の世でみずから働きを行わず、言葉を話さなかったら、人は決して神の意志を理解することはできないし、全生涯を神に捧げてきた人々でさえ、神の承認を得ることはできない。神の働きがなけれ…
地上に来た時、神はこの世のものではなく、この世を楽しむために肉となったのではない。働きが神の性質を明らかにし、最も意義のあるものとなるのは、神が生まれた場所である。それが聖なる地であれ穢れた地であれ、神がどこで働こうと神は聖い。この世界のあらゆるものは神に創られた。ただ全てがサタ…
確かにペテロもキリストに従い始めてから、天然の表現があったが、本性から言えば、最初から彼は喜んで聖霊に従い、キリストを追い求めた人であった。彼の聖霊への服従は純粋なものであり、彼は富や名声を追い求めず、真理に従うことが動機だった。ペテロは三度キリストを否定し、主イエスを試したが、…