日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 478
ペテロは、神の取り扱いと精錬を経験することで完全にされた。彼はこう言った。「わたしは、いつでも神様の望むことを叶えるべきで、わたしのすることの全てが神様の心を満足させることだけを望む。たとえ罰せられても裁かれても、喜んでそうする」と。ペテロは自分の全てを神に差し出し、その働きや言…
世界においては、地震が災いの始まりとなる。まず最初に、わたしはこの世界、つまり地を変え、次に疫病と飢餓が続く。これがわたしの計画であり、これらがわたしの段階であり、わたしはあらゆるものを動員してわたしに仕えさせ、わたしの経営計画を全うする。こうして、わたしが直接関与することもなく、宇宙世界全体が滅ぼされるだろう。わたしが最初に肉となり十字架にかけられたとき、地は激しく揺れたが、終わりの時にもそれと同じことが起こる。わたしが肉から霊的領域に入った瞬間に、地震が起こり始める。そのため、長子たちが災害に遭うことは絶対になく、一方長子以外の人々は災害の中に取り残されて苦しむことになる。それゆえ人間の観点からすれば、誰もが長子になることを望む。人々の予感によれば、それは祝福を享受するためではなく、災難の苦しみから逃れるためだ。これは赤い大きな竜の企みである。だが、わたしは赤い大きな竜を逃がしはしない。竜にはわたしの厳しい罰を受けさせ、その後立ち上がらせてわたしに奉仕させ(これはわたしの子らと民を完全にすることを意味する)、永遠に自分自身の策略に欺かれ、永遠にわたしの裁きを受け、永遠にわたしの炎で焼かれるようにする。これが、効力者たちにわたしを讃美させるということの本当の意味である(すなわち彼らを用いてわたしの偉大な力を示すのだ)。赤い大きな竜はわたしの国に忍び入ることを許さず、わたしを讃美する権利も与えはしない(竜はそれに値せず、将来も決して値しないからだ)。竜にはただ永久に、わたしに奉仕させるだけだ。ただわたしの前にひれ伏されるのだ。(滅ぼされる者たちは、地獄にいる者たちよりまだましである。滅びは単なる一時的な重い罰だが、地獄にいる者たちは永遠に厳しい罰を受けることになる。このためわたしは、「ひれ伏す」という言葉を使うのだ。これらの人々はわたしの家に忍び込み、多くの恵みを享受し、わたしに関する認識をいくらか持っているので、厳しい罰を与える。わたしの家の外にいる者たちについては、無知な者は苦しまないと言うこともできる。)人々の観念では、滅びる者のほうが地獄にいる者より悲惨だと考えられるが、逆に地獄にいる者たちは永遠に厳しい罰を受けなければならず、滅ぼされる者たちは永久に無に帰するのだ。
『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第百八章」(『言葉』第1巻)より
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ペテロは、神の取り扱いと精錬を経験することで完全にされた。彼はこう言った。「わたしは、いつでも神様の望むことを叶えるべきで、わたしのすることの全てが神様の心を満足させることだけを望む。たとえ罰せられても裁かれても、喜んでそうする」と。ペテロは自分の全てを神に差し出し、その働きや言…
神の国の時代が始まるや否や、神は自身の言葉を放ち始めた。未来において、これらの言葉が徐々に成就していくだろう。そしてそのときには、人はいのちへと成長するだろう。人の堕落した性質を明らかにするために神が言葉を用いることは、より現実的であり、そしてより必要である。そして神は、人の信仰…
あなたは受肉の神を認め、言葉の肉における出現を認めると言うが、神の背後でなんらかの事柄、神の要求に反することを行い、心の中では神を恐れていない。これが神を認めるということか。あなたは神が言うことは認めるが、自分ができることを実行せず、神の道にも従わない。これが神を認めるというこ…
万物の長である全能神は、玉座から王としての権力を振るう。神は宇宙と万物を支配し、全地でまさに私たちを導いている。私たちはどの瞬間にも神に近づき、静かに神の前に出て、一瞬の時も逃すことなく、いつでも教訓を学ばねばならない。私たちの周りの環境から、人々、出来事、事物までを含むすべての…