日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 123
成長:第二の節目 人間は、生まれた家庭により異なる様々な環境で育ち、自分の両親から様々な教えを受ける。これにより、ある者が成長して大人になるまでの条件が決定され、成長は個人の人生における第二の重要な節目となる。この節目においても、人間には選択の余地が無いことは言うまでも無い。こ…
神が律法の時代の働きを行なった後に旧約聖書は作られたのだが、人々が聖書を読み始めたのはそのときだった。イエスは到来後に恵みの時代の働きを行ない、彼の使徒たちが新約聖書を記した。このようにして旧約聖書と新約聖書は作られ、今日に至るまで、神を信じるすべての人が聖書を読んできた。聖書は歴史書である。もちろん、そこには預言者の預言もいくつか載っている。そして、そうした預言は歴史などではまったくない。聖書はいくつかの部分から成っており、預言だけではなく、ヤーウェの働きだけでもなく、パウロの手紙だけでもない。聖書には幾つの部分があるかを知っていなければいけない。旧約聖書には創世記や出エジプト記などが含まれ、預言者たちが書いた預言書もある。最後に、旧約はマラキ書で終わる。旧約は、ヤーウェによって導かれた律法の時代の働きを記録している。創世記からマラキ書まで、それは律法の時代の働き全体の総合的な記録である。つまり、旧約は律法の時代にヤーウェによって導かれた人々が経験したことを残らず記録しているのである。旧約の律法の時代、ヤーウェによって起こされた大勢の預言者が神の預言をした。彼らはさまざまな部族や民族に指示を与え、ヤーウェが行なうであろう働きを預言した。これら起こされた人はみな、ヤーウェから預言の霊を与えられていた。彼らはヤーウェからのビジョンを見、その声を聞くことができたので、ヤーウェに啓示を受けて預言を書いた。彼らの行なった働きはヤーウェの声の代弁、ヤーウェの預言の代弁であり、当時のヤーウェの働きは、単に霊を用いて人々を導くことだった。ヤーウェは受肉せず、人々は神の顔をまったく見なかった。そこで、ヤーウェは大勢の預言者を起こして、自分の働きを行なわせ、預言者たちに神託を与え、彼らはそれをイスラエルのすべての部族や氏族に伝えた。彼らの働きは預言を語ることであり、彼らの一部はヤーウェからの指示を記述して他の人々に見せた。ヤーウェはこれらの人々を起こして預言を語らせ、将来の働きや、当時まだなされていなかった働きについて預言させた。それにより、人々はヤーウェの知恵と素晴らしさを目の当たりにすることができた。これらの預言書は、聖書の他の書とは大きく異なっていた。それらは預言の霊を与えられた人、ヤーウェからビジョンや声を得た人によって語られ、あるいは記された言葉である。預言書を除き、旧約の他のすべては、ヤーウェが自身の働きを終えた後に人々が作成した記録から成っている。これらの書は、創世記や出エジプト記がイザヤ書やダニエル書と比較できないのと同様、ヤーウェの起こした預言者による預言の代わりにはなれない。それらの預言は働きが実行される以前に語られたものであり、一方、他の書は働きが完了してから書かれたものであって、それが人々にできることだった。当時の預言者はヤーウェの啓示を受けて預言を伝えた。彼らは多くの言葉を語り、恵みの時代の物事や、終わりの日における世界の滅亡を預言した。それはつまり、ヤーウェが行なおうと計画していた働きである。残りの書はどれも、ヤーウェがイスラエルで行なった働きについての記録である。だから、聖書を読む際には、ヤーウェがイスラエルで行なったことについておもに読んでいることになる。旧約聖書はおもに、イスラエル人を導くヤーウェの働きの記録であり、モーセを用いてイスラエル人をパロの虜囚から解放し、エジプトから脱出させ、荒野に連れていき、その後、カナンに入った。それ以降の記述はみな、彼らのカナンでの生活である。これ以外はどれも、イスラエル全土におけるヤーウェの働きの記録から成っている。旧約に記録されていることはみな、イスラエルにおけるヤーウェの働きであり、それはヤーウェがアダムとエバを創造した場所で行なった働きである。ノアの後、神が正式に地上の人々を導き始めた時から、旧約に記録されていることはすべてイスラエルでの働きである。では、なぜイスラエルの外では何の働きも記録されていないのだろうか。なぜなら、イスラエルの地が人類の生まれた地だったからである。最初のころ、イスラエルの他に国はなく、ヤーウェが他の場所で働くことはなかった。このように、旧約聖書に記されていることは純粋に、当時のイスラエルにおける神の働きなのである。預言者たち、イザヤ、ダニエル、エレミヤ、エゼキエルの話した言葉……彼らの言葉は、地上における神の他の働きを預言するもので、ヤーウェ神自身の働きを預言していた。これはみな神から出たもので、聖霊の働きであり、これらの預言書を除いて、他のすべてはヤーウェによる当時の働きに関する、人々の経験の記録である。
創造の働きは、人類が存在する以前に行なわれた。しかし、創世記は人間が存在するようになってから書かれたものであり、モーセが律法の時代に著した書である。そのことは、あなたがたのあいだで今日起きている事柄に似ている。そういったことが起きたあと、あなたがたは将来人々に見せるために、そして将来の人々のために書き記すが、記録したものは過去に起きたことで、歴史以上のものではない。旧約に記録されている事柄はイスラエルにおけるヤーウェの働きであり、新約に記録されているのは恵みの時代におけるイエスの働きである。これらの文書は神が二つの異なる時代に行なった働きを記録している。旧約は律法の時代における神の働きを記録しており、ゆえに歴史的な書物であり、一方の新約は恵みの時代の働きの産物である。新しい働きが始まると、新約も時代遅れになった。そういうわけで、新約もまた歴史的な書物である。もちろん、新約は旧約ほど系統だったものではないし、それほど多くを記録していない。ヤーウェが語った多くの言葉は旧約聖書に残らず記録されているが、イエスの言葉はその一部しか四福音書に記録されていない。もちろん、イエスもまた多くの働きを行なったが、それは詳細に記録されなかった。新約に記録されたものが少ないのは、イエスが行なった働きの量による。イエスが地上における三年半のあいだに行なった働き、そして使徒たちの働きは、ヤーウェのそれよりはるかに少ない。だから、新約は旧約より書が少ないのである。
『神の出現と働き』「聖書について(1)」(『言葉』第1巻)より
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