日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 459
刈り込み、取り扱い、裁き、そして刑罰を経験した人の働きには逸脱がずっと少なく、その働きの表現はずっと正確である。働きにおいて自分のありのままの特質に依存している人はかなり重大な間違いを犯す。まだ完全にされていない人の働きには、その人自身のありのままの特質が過剰に表され、それが聖…
当時のユダヤ人はみな旧約聖書を読んでいて、男の子が飼い葉桶の中で生まれるというイザヤの預言を知っていた。それにもかかわらず、なぜ彼らはイエスを迫害したのか。彼らの反抗的本性と聖霊の働きに対する無知のためではないだろうか。当時、パリサイ人は、イエスの働きは預言された幼児について彼らが知っていることとは違っていると信じていた。今日の人が神を受け入れないのは、肉となった神の働きが聖書と一致しないからである。彼らの神に対する反抗の本質はまったく同じものではないだろうか。あなたは聖霊のすべての働きを疑いなく受け入れることができるか。もしそれが聖霊の働きなら、それは正しい「流れ」である。あなたは何を受け入れるべきか選別するよりも、むしろそれをほんのわずかな疑念も抱かずに受け入れるべきだ。神に対する見識を深め、それで疑念を抱くようなことがあれば、それは本当に無用な行為ではないだろうか。あなたがするべきなのは、聖霊の働きである限り、聖書からさらに実証を求めたりせず、いかなるものも受け入れることである。あなたが神を信じるのは神に従うということだから、神を調べるべきではない。わたしがあなたの神であることを示すためにわたしに関するさらなる証を探し出すべきではなく、むしろわたしがあなたのためになるかどうかを見定めるべきである。それが鍵である。たとえ聖書の中に疑うべくもない証拠を見つけたとしても、それによってあなたが完全にわたしの前に来られることにはならない。あなたはわたしの前ではなく、聖書の制約の中で生きているのである。聖書はあなたがわたしを知る助けにはならないし、わたしに対するあなたの愛を深めることもできない。聖書は男の子が生まれると預言したが、人は神の働きを知らなかったため、その預言が誰に実現するかは誰にも分からなかった。そのため、パリサイ人はイエスに逆らうことになった。わたしの働きは人の利益のうちにあることを知っている者もいるが、それでも彼らはイエスとわたしがお互い両立しない二つのまったく別の存在であると信じ続けている。当時、イエスは弟子たちに恵みの時代の一連の説教しか語らなかった。たとえば実行のしかた、集い方、祈る際の求め方、他の人々の扱い方などである。イエスが実行した働きは恵みの時代の働きであり、弟子たちやイエスに従う人々がどのように実行すべきかについてしか釈義しなかった。恵みの時代の働きをしただけで、終わりの日の働きは何もしなかった。ヤーウェは律法の時代に旧約の律法を定めたが、なぜその時恵みの時代の働きを行わなかったのか。なぜ恵みの時代の働きを前もって明らかにしなかったのか。そうすれば人が受け入れるための役に立ったのではないだろうか。ヤーウェは男の子が生まれて、指導者になると預言しただけで、恵みの時代の働きを前もって実行はしなかった。各時代の神の働きには明確な境界がある。神は現在の時代の働きだけを行い、次の段階の働きを前もって行うことは決してない。このようにしてのみ、神の各時代の代表的な働きは前面に引き出される。イエスは終わりの日のしるし、いかに忍耐するか、いかにして救われるか、いかに悔い改め、告白するか、また、いかに十字架を負い、苦しみに耐えるかについてしか語らず、終わりの日に人はどのように進入すべきか、どのように追求すれば神の心を満足させるかについては語らなかった。したがって、終わりの日の神の働きについて聖書の中に答えを捜し求めるのは誤った考えに基づく行為ではないだろうか。手に聖書を携えているだけでなにを見分けることができるのか。聖書の解釈者であれ、説教者であれ、誰が今日の働きを予知することができようか。
『神の出現と働き』「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」(『言葉』第1巻)より
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神の働きを知ることは単純なことではない。あなたは、基準と目標をもって探究しなければいけない。あなたは、どのようにして真理の道を求めるか、何を基準にしてそれが真理の道かどうかを推し量るか、そして、それが神の業であるかどうか、ということを知らなければならない。真理の道を探求する上での…
終わりの日が来て、世界中の国々は混乱状態である。政治的無秩序、飢饉、疫病、洪水、干ばつが至る所で出現している。人間界には大惨事があり、天も災害を地上にもたらした。これらは終わりの日の兆候である。しかし、人々にとっては世界は陽気ですばらしく、ますますそうなっていくように見える。人…
大半の人の神に対する信仰の実質は、宗教的な信仰である。彼らは神を愛することができず、ロボットのように神に付き従うことしかできない。心から神を切望することも、慕い求めることもできないのである。このような人は黙って神に付き従っているに過ぎない。神を信じる人は多いものの、神を愛する人は…