日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 182
神の働きは人間の働きと違うのであり、またそれ以上に、神の表現が人間の表現と同じであるなどどうしてあり得ようか。神には神自身に特有の性質があり、人には尽くすべき本分がある。神の性質は神の働きに表われ、人の本分は人の経験において具現化し、人が追求することに表われる。したがって、なされ…
当時のユダヤ人はみな旧約聖書を読んでいて、男の子が飼い葉桶の中で生まれるというイザヤの預言を知っていた。それにもかかわらず、なぜ彼らはイエスを迫害したのか。彼らの反抗的本性と聖霊の働きに対する無知のためではないだろうか。当時、パリサイ人は、イエスの働きは預言された幼児について彼らが知っていることとは違っていると信じていた。今日の人が神を受け入れないのは、肉となった神の働きが聖書と一致しないからである。彼らの神に対する反抗の本質はまったく同じものではないだろうか。あなたは聖霊のすべての働きを疑いなく受け入れることができるか。もしそれが聖霊の働きなら、それは正しい「流れ」である。あなたは何を受け入れるべきか選別するよりも、むしろそれをほんのわずかな疑念も抱かずに受け入れるべきだ。神に対する見識を深め、それで疑念を抱くようなことがあれば、それは本当に無用な行為ではないだろうか。あなたがするべきなのは、聖霊の働きである限り、聖書からさらに実証を求めたりせず、いかなるものも受け入れることである。あなたが神を信じるのは神に従うということだから、神を調べるべきではない。わたしがあなたの神であることを示すためにわたしに関するさらなる証を探し出すべきではなく、むしろわたしがあなたのためになるかどうかを見定めるべきである。それが鍵である。たとえ聖書の中に疑うべくもない証拠を見つけたとしても、それによってあなたが完全にわたしの前に来られることにはならない。あなたはわたしの前ではなく、聖書の制約の中で生きているのである。聖書はあなたがわたしを知る助けにはならないし、わたしに対するあなたの愛を深めることもできない。聖書は男の子が生まれると預言したが、人は神の働きを知らなかったため、その預言が誰に実現するかは誰にも分からなかった。そのため、パリサイ人はイエスに逆らうことになった。わたしの働きは人の利益のうちにあることを知っている者もいるが、それでも彼らはイエスとわたしがお互い両立しない二つのまったく別の存在であると信じ続けている。当時、イエスは弟子たちに恵みの時代の一連の説教しか語らなかった。たとえば実行のしかた、集い方、祈る際の求め方、他の人々の扱い方などである。イエスが実行した働きは恵みの時代の働きであり、弟子たちやイエスに従う人々がどのように実行すべきかについてしか釈義しなかった。恵みの時代の働きをしただけで、終わりの日の働きは何もしなかった。ヤーウェは律法の時代に旧約の律法を定めたが、なぜその時恵みの時代の働きを行わなかったのか。なぜ恵みの時代の働きを前もって明らかにしなかったのか。そうすれば人が受け入れるための役に立ったのではないだろうか。ヤーウェは男の子が生まれて、指導者になると預言しただけで、恵みの時代の働きを前もって実行はしなかった。各時代の神の働きには明確な境界がある。神は現在の時代の働きだけを行い、次の段階の働きを前もって行うことは決してない。このようにしてのみ、神の各時代の代表的な働きは前面に引き出される。イエスは終わりの日のしるし、いかに忍耐するか、いかにして救われるか、いかに悔い改め、告白するか、また、いかに十字架を負い、苦しみに耐えるかについてしか語らず、終わりの日に人はどのように進入すべきか、どのように追求すれば神の心を満足させるかについては語らなかった。したがって、終わりの日の神の働きについて聖書の中に答えを捜し求めるのは誤った考えに基づく行為ではないだろうか。手に聖書を携えているだけでなにを見分けることができるのか。聖書の解釈者であれ、説教者であれ、誰が今日の働きを予知することができようか。
『神の出現と働き』「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」(『言葉』第1巻)より
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人が今まで成し遂げてきたこと、つまり現在の人の霊的身丈、認識、愛、忠誠、従順、そして識見は、言葉の裁きによって得られた成果である。あなたが忠誠心をもち、今日まで立ち続けていられるのは、言葉によって成し遂げられたことである。受肉した神の働きが途方もなく素晴らしいことを、人は今や理…
全能神よ!栄光ある体が公に出現し、聖なる霊体が現れ出る。彼こそが完全なる神自身なのだ。この世も肉も変えられる。山上における彼の変容は神の本体である。彼は頭に金の冠を戴き、その衣は真っ白で、胸に金の帯を締めている。世界のすべては彼の足台である。目は燃える炎のようで、口からは鋭い諸刃…
創造主の義なる性質は現実的で生き生きとしている 神がニネベの人々に対して心を変えたとき、神の憐れみと寛容は見せかけでしたか。もちろん、見せかけではありません。それでは、神がこの一つの状況に対処しながら、その性質の二側面の一方から他方へと推移したことは何を示していますか。神の性質は…