日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋41

日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋41

101 |2020年5月31日

サタンがヨブを初めて誘惑する(ヨブの家畜が盗まれ、ヨブの子供たちに災いが降りかかる)

a.神が語った言葉

(ヨブ記 1: 8)ヤーウェはサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。

(ヨブ記 1: 12)ヤーウェはサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンはヤーウェの前から出て行った。

b.サタンの返答

(ヨブ記 1: 9-11)サタンはヤーウェに答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。

ヨブの信仰を完全なものとするため、神はサタンがヨブを誘惑することを許す

ヨブ記 1: 8は、聖書の中でのヤーウェ神とサタンのやりとりが記録されている最初の箇所である。そこで神は何と言っただろうか。聖書は次のように言っている。「ヤーウェはサタンに言われた、『あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか』。」。これが、神がサタンに語ったヨブの評価である。ヨブは完全で正しい人、神を畏れ悪を避ける人だと神は言った。このやりとりの前、神は、ヨブを試みるためにサタンを用いることを決意し、ヨブをサタンの手に渡すことを決意した。ある意味では、神がヨブをサタンに渡したことで、神のヨブに対する見方と評価が正しく、何も間違えていなかったことが証明される。それにより、ヨブの証しを通してサタンが辱められる。そしてまたそれは、ヨブの神に対する信仰と神への畏れを完全なものとする。それゆえ神は、サタンが神の前に現れた時、曖昧な表現は使わず、単刀直入にこう聞いた。「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。この神の質問には次のような意味がある。神はサタンがあらゆるところを巡っているのを知っており、神のしもべであるヨブをしばしば偵察していることも知っていた。サタンはしばしばヨブを誘惑し、攻撃し、何とかヨブを崩壊させようとした。ヨブの神への信仰と神に対する畏れは堅固なものではないと証明しようとしたのである。サタンはヨブを虐げる機会をうかがって、ヨブに神を捨てさせ、神の手からヨブを奪おうと考えた。しかし神はヨブの心を見、ヨブが完全で正しく、神を畏れ悪を避けることを知った。サタンに対する質問を通して、神はヨブが完全で正しい人であり、神を畏れ悪を避け、神を捨ててサタンに従うことは決してないことを伝えたのである。ヨブに対する神の賞賛の言葉を聞いたサタンは、屈辱から怒りを感じ、その怒りは大きくなり、何としてもヨブを奪いたいと思った。サタンは完全で正しく、神を畏れ悪を避けることのできる人間などいないと信じていたからである。そしてまたサタンは人間の完全さと正しさを嫌っていたので、神を畏れ悪を避ける人を憎んでもいた。ヨブ記 1: 9-11には以下のように書かれている。「サタンはヤーウェに答えて言った、『ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう』。」神はサタンの悪意に満ちた性質をよく知っており、ヨブを虐げようと企んでいたことも良く知っていた。そのため神は、サタンに改めてヨブが完全で正しく、神を畏れ悪を避ける人間であることを伝えることで、サタンが神と調和してその真の姿をヨブの前に現し、ヨブを試すようにすることを望んだのである。つまり、神はあえてヨブが完全で正しく、神を畏れ悪を避ける人であると強調し、そうすることで、ヨブの完全で正しく、神を畏れ悪を避ける生き方を憎み、深く怒るサタンを用いてヨブを試したのである。ヨブが完全で正しく、神を畏れ悪を避ける事実を通して、結果的にサタンが恥じ入り、完全に辱められ、打ち倒されるためである。そうすることで、サタンはヨブが完全で正しく、神を畏れ悪を避ける人であることを疑ったり非難したりすることはなくなるだろう。そのような訳で、神の試練とサタンの誘惑は避けることは困難だったのである。神の試練とサタンの誘惑に耐えることのできる者はヨブ以外にいなかった。このやりとりの後、サタンはヨブを誘惑する許可を得、サタンの最初の攻撃が始まった。この時はヨブの財産に対して攻撃が行なわれた。次の聖句に書かれたヨブの財産に関する非難の言葉からそのことが分かる。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。…あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです」。この言葉に対して、神はサタンがヨブの全財産を取り上げることを許している。これこそが神がサタンと語った目的であった。しかしその時、神はサタンにひとつのことを要求した。「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」(ヨブ記 1: 12)これが、ヨブへの誘惑をサタンに許可し、ヨブをサタンの手に渡した際に神が出した条件だった。そしてこれが、神によって定められたサタンへの制限だった。つまり神は、ヨブに危害をくわえてはならないと命令したのである。なぜなら、神はヨブが完全で正しいことを知っており、ヨブが神の前で完全で正しい人でいられることを疑っておらず、試練に耐えられると信じていたからである。それゆえ、神はサタンにヨブを誘惑することを許すと同時に、制限を与えたのである。サタンはヨブの全財産を取り上げることを許されたが、ヨブに指1本触れることはなかったのである。これは何を意味するだろうか。それは、神はその時ヨブを完全にサタンに渡したわけではないということである。サタンはヨブを試みるためにどのような手段も使うことができたが、ヨブ自身に危害を加えることはできず、髪の毛に触れることすらできなかった。それは、人間の全ては神によって制御されており、人間が生きるか死ぬかは神によって決められることで、サタンにそれを決める権利はなかったからである。神がサタンにヨブを試す許可を与えた後、サタンは即座にヨブへの誘惑を開始した。サタンはあらゆる方法でヨブを試み、間もなくヨブは神に与えられたたくさんの羊や牛などの財産を失った。このようにして、神の試練がヨブに注がれた。

聖書を読めば、どうしてヨブに試練が降りかかったかが理解できるが、試みに会っているヨブ自身は、はたして何が起こっていたか理解していただろうか。人間に過ぎないヨブが、自分に降りかかった試練の背景にあるものを知るはずもない。しかし、神を畏れ、完全で正しいヨブには、神からの試練だと認識することができた。霊的領域で起きていたことや、試みの背後にある神の意図はヨブには分からなかったが、何が起ころうとも、完全で正しくあり続け、神を畏れ悪を避けて生きるべきだということをヨブは知っていた。このような出来事の中でのヨブの態度と反応を、神ははっきりと見ていた。神は何を見ていたのだろうか。神は、神を畏れるヨブの心を見ていた。というのは、ヨブの心は初めの時から試練を受けた時までずっと、神に対して開かれており、神に委ねられており、自身の完全さと正しさを手放すことはなく、神を畏れ悪を避ける生き方を変えなかった。神にとってこれ以上嬉しいことはなかったのである。

『言葉は肉において現れる』より引用

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