日々の神の御言葉: 終着点と結末 | 抜粋 592
2020年10月7日
人が地上で真の生活を達成すると、サタンの全勢力は縛られ、人は地上で楽に生きることになるだろう。物事は今日ほど複雑ではなくなるだろう。人間関係、社会関係、複雑な家族関係など…それらは厄介で、本当に苦しい。ここでの人の一生はとてもみじめである。人が一旦征服されると、彼の心と精神は変わるだろう。彼は神を畏れ敬う心を持ち、神を愛する心を持つだろう。全宇宙で神を愛することを求めるすべての人たちが征服され、つまりサタンが敗北し、サタン――暗闇の全勢力――が縛られると、地上での人の生活は困難でなくなり、地上で自由に生きることができるだろう。もし人の生活に肉的関係がなく、肉の複雑さがないなら、どれほど楽なことだろう。人の肉的関係はあまりにも複雑で、人にとってそのようなものを持つことは、彼がサタンの影響からまだ解放されていないことの証拠である。もしあなたが兄弟姉妹と同じ関係を持っていたら、もしあなたが家族と同じ関係を持っていたら、あなたは何の心配もしないだろうし、誰かを心配する必要もないだろう。これ以上のことはないだろうし、そうであれば人はその苦しみの半分から解放されるだろう。地上で普通の人間の生活をする人は、天使のようになる。依然として肉体を持っているけれども、人は天使のようになる。これは最後の約束で、人に与えられる最後の約束である。今日、人は刑罰や裁きを受けるが、あなたはそのような人の体験は無意味だと思うのか。刑罰や裁きの理由が全くなくなるだろうか。以前、人に刑罰を与え、裁くことは人を地獄に落とすことだと言われてきた。それは人の運命や将来を取り上げることを意味する。これは一つのこと、つまり人を清めるためである。神は人間から自身の手を洗ってから、人を故意に地獄に落すのではない。人の中にある反抗心に対処し、最終的に人の中にあるものが清められ、神に対して真の認識を持ち、人が聖人のようになるためである。もしこれがなされるなら、すべてが成就するだろう。実際、人の中にある対処されるはずのこれらのものが対処され、人が目覚ましい証しをするなら、サタンが打ち負かされ、たとえ人の中に本来あるものがまだ完全に清められず、少しは残っていても、一旦サタンが敗北すると、もはや困難をもたらすことはなく、その時人は完全に清められるであろう。人はそのような生活は体験したことがないが、サタンが打ち負かされると、すべてが解決し、人の中にある些細なことはすべて解決される。主な問題が解決されると、他の全ての問題も解決する。神が今回地上で人となり、神が人の間で自ら働きをする時、神がする全てのことはサタンを打ち負かすためである。そして、神は人を征服し、あなたがたを完全にすることで、サタンを敗北させるのである。あなたがたが目覚ましい証しをするとき、これもまた、サタンの敗北のしるしとなろう。サタンを打ち負かすために、人は最初に征服され、最終的に完全にされる。しかし、実質的にこれはサタンの敗北と同時に、全人類へのこのむなしい苦悩の海からの救いでもある。この働きが全世界で実行されるのか、中国で実行されるのかは別として、それはすべてサタンを負かすことであり、人が安息の地に入るよう全人類に救いをもたらすためである。神が普通の肉体を持ったことは正にサタンを負かすためだ。肉体の神の働きは神を愛する天の下にいる全ての人たちに救いをもたらすためであり、全人類を征服するためであり、さらには、サタンを負かすためである。神の経営の働きの中心は、全人類に救いをもたらすためのサタンの敗北と切り離せない。この働きの多くにおいて、あなたがたに証しをするように常に言うのはなぜだろうか。そしてその証しは誰に向けられるのか。サタンに向けられてはいないか。この証しは神のためになされ、神の働きがその効果を達成したことを証しするためのものである。証しをすることはサタンを負かす働きと関係している。もしサタンとの戦いがなかったら、人は証しをするよう要求されないだろう。サタンは敗北しなければならないので、人を救うと同時に、神はサタンの前で人が神に証しをするよう要求される。それは神が人を救い、サタンと戦いをするために用いられる。であるから、人は救いの対象でもあり、サタンを打ち負かすための道具でもある。そのため、人は神の経営全体の働きの核心におり、サタンは崩壊の対象、つまり敵にしかすぎない。あなたは自分は何もしていないと感じるかもしれないが、あなたの性質が変わることで、証しが生まれている。そしてこの証しは人に対してではなく、サタンに向けられている。人はそのような証しを楽しむのに適していない。神によってなされた働きを人はどのように理解することができるだろうか。神の戦いの対象はサタンであり、一方、人は救いの対象でしかない。人は堕落したサタンの性質を持っており、この働きを理解することはできない。これはサタンが堕落しているからである。それは人の中に生まれつきあるのではないが、サタンによって仕向けられる。今日、神の主な働きはサタンを負かすことである。つまり、それにより人を完全に征服し、その結果、人がサタンの前で、最終的な神の証しになるためである。このように、全てのことが成就されるだろう。多くの場合、あなたの肉眼では、何もなされなかったように見えるが、実際、働きはすでに完成されているのである。人はすべての仕事の完成が目に見えることを要求するが、それがあなたに見えなくても、わたしは働きを完成させたのである。というのはサタンが服従したということは、サタンが完全に敗北したということで、神の知恵、力、権威のすべてがサタンに勝利したという意味である。これこそまさに現れるべき証しであって、人に明白な表現はなく肉眼には見えなくても、サタンはすでに打ち負かされたのである。この働きのすべてがサタンに対抗しており、サタンとの戦いの故に実行される。そして、人は成功したと思わない多くの事があるが、神の目にはずいぶん前に成功しているのである。これはすべての神の働きの内なる真実の一つである。
『神の出現と働き』「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」(『言葉』第1巻)より
神はサタンを打ち負かし人を救うために肉となった
神が肉体として地上にいる間、人々の間で神の業を行なう。全ての業にはたった一つの目的がある。それは悪魔サタンを打ち負かすこと。神は人を征服することでサタンを打ち負かす。また人々を完全な存在にすることでサタンを打ち負かす。世界に鳴り響くような証しとするならば、これもサタンの敗北のしるし。神はサタンを打ち負かし人を救うために肉となった。
悪魔のサタンを打ち負かすためには、まず人を征服し完全なものにする。本質的にサタンを打ち負かすと同時に神は人を苦悩の世界から救う。この業を為すのが中国でも全宇宙でも、すべてサタンを打ち負かし人々を救うために、人々が安息の地へ入ることができるように神は人類を救おうとする。神はサタンを打ち負かし人を救うために肉となった。
神が普通の肉体に宿たのはサタンを打ち負かすためである。この受肉の神の業は天の下で神を愛する全ての者を救うこと。それは全人類を征服するためであり、さらには、サタンを打ち負かすためである。神の救いの全ての業の中核は、全人類に救いをもたらすためのサタンの敗北と切り離せない。神はサタンを打ち負かし人を救うために肉となった。神はサタンを打ち負かし人を救うために肉となった。全人類を救うため。神は全人類を救うため。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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