日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 427

2020年9月18日

真理の実践は、人間のいのちが成長し得る道である。真理を実践しないのであれば、あなたがたに残るのは理論に過ぎず、実際のいのちはない。真理は人間の霊的背丈の象徴であり、あなたが真理を実践するかどうかは、真の霊的背丈を有しているかどうかと関係している。真理を実践しなかったり、正しく行動しなかったり、感情に左右されて自分の肉に気を取られたりした場合、あなたは戒めの遵守からかけ離れている。これは最も深遠な教えである。すべての時代には、人々が入って理解しなければならない真理が多数ある。しかしそれぞれの時代には、それらの真理に付随する異なる戒めもある。人々が実践する真理は特定の時代と関連しており、彼らが守る戒めも同じである。各時代には、実践すべき固有の真理と、守るべき固有の戒めがある。しかし、神が公布した様々な戒め次第で、つまり様々な時代次第で、人間による真理の実践の目的と効果は大いに異なる。戒めは真理に役立つものであり、真理は戒めを維持するために存在すると言える。真理しか存在しなければ、神の働きには語るべき変化がないだろう。しかし、戒めを参照することで、人間は聖霊による働きが進展する程度を突き止め、神が働きを行なう時代を知ることができる。宗教においては、律法の時代に人々が実践していた真理を実践できる人が多数いる。しかし、そうした人は新時代の戒めを心得ておらず、それを守ることもできない。彼らはいまだに古い道を守り、原始時代の人間のまま留まっている。彼らは新たな働きの手段が身についていないので、新時代の戒めが見えない。そうしたわけで、そのような人には神の働きがないのである。それはあたかも、中身のない卵の殻だけがあるようなものだ。つまり、中に雛が宿っていないならば、そこに霊はない。より正確に言えば、そこにはいのちがないのである。そうした人たちは新時代に入っておらず、何歩も遅れてしまった。したがって、より古い時代の真理があっても、新しい時代の戒めがなければ無益である。あなたがたの多くは今日の真理を実践しているものの、その戒めを守っていない。あなたがたは何も得ず、実践する真理は価値も意味もなく、神はあなたがたを讃えないだろう。真理の実践は、聖霊による現在の働き方の範囲内で、今日の実践の神の声に反応する形で行なわれる必要がある。そうしなければ一切が無効であり、ざるで水を汲もうとするようなものである。それはまた、新時代の戒めを公布する実際の意義でもある。戒めに従うというのであれば、少なくとも肉において現われる実際の神を混乱することなく知るべきである。つまり、人々は戒めに従う原則を理解すべきなのだ。戒めに従うということは、でたらめに従ったり、勝手に従ったりするのではなく、根拠、目的、原則に基づいて従うことを意味する。まずは、あなたのビジョンを明確にしなければならない。あなたが現在における聖霊の働きについて徹底的に認識し、今日の働き方に入っていくのであれば、あなたは戒めの遵守を自然とはっきり理解できるだろう。あなたが新時代の戒めの真髄を見通し、それを守れる日が来るのであれば、その時あなたは完全にされる。それが真理を実践し、戒めを守ることの実際的な意義である。あなたが真理を実践できるかどうかは、新時代の戒めの真髄をどのように知覚するかによって決まる。聖霊の働きが絶えず人間の前に現われ、神は人間に対してますます多くのことを要求するだろう。それゆえ、人間が実際に実践する真理はより多く、より偉大なものになり、戒めの遵守による効果は一層深くなるだろう。したがって、あなたがたは真理の実践と戒めの遵守を同時に行なう必要がある。誰一人、この問題を無視してはならない。この新時代において、新たな真理と新たな戒めを同時に開始させようではないか。

『神の出現と働き』「戒めを守ること、真理を実践すること」(『言葉』第1巻)より

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