日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 562

2021年10月24日

神の言葉を本当に理解することは、決して単純なことではありません。「自分は神の言葉の文字通りの意味を解釈できて、その解釈はみんなにいいと言われて賛成してもらえる。だから、わたしは神の言葉を理解していることになる」と考えてはいけません。それは神の言葉を理解することと同じではありません。神が発する言葉の内側から何らかの光を得て、神の言葉の真の意味を感じ取ったなら、また神の言葉の裏にある意図と、それらが最終的に成し遂げる効果を表現できるなら、そのすべてについてはっきり認識したところで、あなたは神の言葉についてある程度の理解を得たと見なされます。ゆえに、神の言葉を理解することはそこまで簡単ではないのです。神の言葉の文字通りの意味を美辞麗句で説明できるからといって、神の言葉を理解していることにはなりません。それらの文字通りの意味をどれだけ説明できたとしても、あなたの説明はやはり人間の想像と考え方を基にしています。何の役にも立たないのです。どうすれば神の言葉を理解できるでしょうか。鍵となるのは、その中から真理を求めることです。そうすることでのみ、あなたは神が言うことを本当に理解できます。神は語るたび、大まかなことしか語らないということは決してありません。神が発する一つひとつの文章には、神の言葉の中で必ずやさらに明かされる詳細が含まれており、それらは異なる形で表現されるでしょう。神による真理の表現の仕方を人間が推し測ることはできません。神が発する言葉は極めて深遠であり、人間の考え方では推し測れません。人は努力さえすれば、真理の各側面の意味をすべて突き止められます。そのようにすれば、それらを経験する中で、聖霊があなたを啓くにつれて残りの詳細が完全に埋まり、それによってそうした具体的な状態を理解するようになります。その一部分は、神の言葉を認識すること、およびそれらを読んで具体的な内容を求めることです。別の一部分は、神の言葉を経験すること、そして聖霊の啓きを得ることを通じ、その言葉の意味を理解することです。神の言葉に関する真の理解は、おもにこれら二つの手段によって得られます。あなたが神の言葉を文字通りに理解するのであれば、あるいは自分の考えや想像というレンズを通じて理解するのであれば、どれほど雄弁に解釈できようとも、神の言葉に関するあなたの理解は現実ではありません。それらの意味を文脈から切り離し、誤って解釈することさえありますが、そうすることはさらに厄介です。ゆえに、真理というのはおもに、神の言葉を知ることを通じ、聖霊からの啓きを受け取ることで得られるのです。神の言葉の文字通りの意味を理解している、あるいはそれらを説明できるとしても、真理を得たとは見なせません。神の言葉の文字通りの意味を説明すればいいのであれば、聖霊による啓きの意味は何でしょうか。その場合、一定の教育を受けていればそれでいいのであり、教育を受けていない人はみなとても困ったことになるでしょう。神の働きは、人間の頭脳で理解できるものではありません。神の言葉を真に理解することは、おもに聖霊からの啓きを得ることに依存しています。それが真理を得る過程なのです。

『終わりの日のキリスト講話集』「どのようにして人間の本性を知ればよいか」(『言葉』第3巻)より

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