日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 17

2021年12月3日

人間の運命は、神への人間の姿勢で決まる

神は生きている神であり、人間が様々な状況において様々にふるまうように、様々なふるまいに対する神の態度も異なります。なぜなら神は操り人形でも、中身のない空気でもないからです。神の態度を知るようになることは、人類にとって意義があることです。神の態度を知ることにより、いかにして神の性質を少しずつ知り、神の心を理解できるようになるかを、人は学ぶべきです。神の心を少しずつ理解するようになると、神を畏れ悪を避けることは、成し遂げるのが困難なことだとは感じなくなります。さらに、本当に神を理解するなら、神について結論を導くようなことはしなくなります。ひとたび神について結論を出さなくなれば、めったに神に背くことはなく、無意識のうちに神に導かれ、神に関する認識を得て、心は神への畏れで満たされます。そうなると、自分が習得した教義や字句、理論で神を定義しなくなります。そのかわりに、万事において神の心意を常に求めることで、無意識のうちに神の心に従う人となるのです。

神の働きは、人間が目で見ることも触れることもできませんが、神に関しては、各人のあらゆる行動と神への態度は、神には感知できるだけでなく、見ることもできます。これはすべての人が認識し、はっきり理解しなければならないことです。「神はわたしがここで何をしているか知っているだろうか。神はわたしが今何を考えているか知っているのだろうか。知っているかもしれないし、知らないかもしれない」などといつも自問している人がいるかもしれません。あなたがこのような観点で、神に付き従い、神を信仰しながらも、神の働きや存在を疑っているのであれば、遅かれ早かれ神の怒りに触れる日が訪れます。なぜなら、あなたはすでに危険な崖の縁をよろめき歩いているからです。長年にわたり神を信仰してきたものの、真理現実を得ておらず、神の心も理解していない人をわたしは見てきました。このような人はいのちと霊的背丈においてまったく進歩せず、極めて浅薄な教義に従うだけです。これは、神の言葉をいのちとして捉えず、神の存在を直視して受け入れたことがないからです。こうした人を見て、神が喜びに満たされると思いますか。そんな人が神に慰めを与えますか。ですから、人間の運命を決めるのは人間がどのように神を信仰するかです。人がどのように神を求め、どのように神と関わり合っていくかに関しては、最も重要なのは人の姿勢です。神を頭の後ろにただよっている空気のように無視してはなりません。あなたが信仰する神を常に生きている神、実在する神と考えなさい。神は何もせず第三の天にいるのではなく、常に人間一人ひとりの心や、各人が何をしているか、些細な発言や行動のひとつひとつ、神に対して人がどのようにふるまい、どのような姿勢を取るかを見ています。あなたが自らを神に捧げるつもりであろうとなかろうと、あなたのあらゆるふるまい、心の奥深くにある考えや思いのすべてが神の前にさらされ、神に見られています。あなたのふるまい、行動、神への態度ゆえに、神があなたについて持つ意見と神のあなたへの態度は、常に変化しています。一部の人に助言します。あたかも神があなたを溺愛しなければならず、神があなたのそばを決して離れられず、神のあなたへの態度は固定していて永遠に変わらないかのように、神の手の中にいる乳児のようになってはいけません。そして、空想はやめなさい。人間一人ひとりの扱いにおいて、神は義であり、人間の征服と救いの働きへの神の取り組みは真摯です。これが神による経営です。神は人間一人ひとりを、愛玩動物のようにではなく、真剣に扱います。神の人間への愛は過保護や甘やかしではなく、人間への神の憐れみと寛容は、大目にみたり無頓着であったりすることでもありません。むしろ、神の人間への愛は、大切にし、憐れみ、いのちを敬うことです。神の憐れみと寛容は、神の人間への期待を伝えており、人類が生き残るために必要なものです。神は生きており、実在します。神の人間に対する態度には原則があり、それは教条的な規則ではなく、変化することがあります。人類への心意は、時間や状況が変わるにつれ、また各人の態度に従って、徐々に変化しています。したがって、あなたは心の中で絶対的な明瞭さをもって、神の本質は変化せず、神の性質は様々な時に様々な状況で表出することを理解すべきです。あなたはこれが深刻な問題であると考えず、自分の観念を用いて、神がどのように物事を行うべきかを想像するかもしれません。しかし、あなたの観点とは正反対のものが真実である場合もあり、自分の観念で神を推し量ろうとすることで、あなたはすでに神の怒りを買っています。これは、神はあなたが考えるように動くのではなく、またこの問題も神はあなたが言うようには扱わないからです。ゆえに、あなたは身の回りのあらゆることへの取り組みにおいて注意深く慎重であり、すべてにおいて、神を畏れ悪を避ける神の道をいかに歩むべきかを学ぶことを忘れてはなりません。神の心と態度に関する事柄を確実に理解するように努め、このような事柄についてあなたに伝えることのできる啓かれた人を見つけて、熱心に求めなければなりません。自分が信じる神を操り人形のようなものと捉えて、任意に判断を下したり、神について勝手に結論を導き出したりせず、相応しい敬いの念をもって神を扱わないことのないようにしなさい。あなたに救いをもたらし、あなたの結末を決めているあいだに、神はあなたに憐れみか、寛容か、裁きと刑罰を授けるかもしれません。いずれにせよ、あなたへの神の態度は一定ではありません。神の態度は、あなたの神への態度や、あなたの神に関する認識により決まります。あなたが神について理解、認識していることのつかの間の側面で神を永久的に定義してはいけません。死んだ神でなく、生きている神を信じなさい。このことを忘れてはなりません。わたしはここで、あなたがたの現在の状態と背丈に応じて、あなたがたが知るべき真実をいくつか話しましたが、あなたがたの情熱を奪わないように、いまはこれ以上の要求をしません。そうしなければ、あなたがたの心は過度に荒涼として、神に対して過度に落胆するかもしれないからです。そうならずに、心にある神への愛と神を敬う態度で、あなたがたが今後の道を歩くことを望みます。神をいかに信じるべきかに関する問題で混乱してはいけません。それを現存する最重要の問題のひとつとして扱いなさい。その問題を心に留め、実行に移し、実生活と関連させなさい。口先だけで聞こえのいいことを言ってはなりません。なぜなら、これは生死にかかわる問題であり、あなたの運命を決める問題だからです。冗談や子どもの遊びとして扱ってはなりません。今日これらのことを話し合って、あなたがたの心の収穫はどれくらいありますか。今日の話について、何か質問はありますか。

今日の話題はやや新しく、あなたがたの観点や、普段追求し、注目していることから離れたものですが、ある期間あなたがたで話し合えば、今日わたしがここで話した内容をすべて一様に理解できるようになります。これらの話題はどれもとても新しく、これまであなたがたが考えたことのなかったことですから、あなたがたの負担とならないことを望んでいます。今日、わたしがこのような話をしているのは、あなたがたを怖がらせるためでも、あなたがたを取り扱うためでもなく、事実の真相をあなたがたが認識するのを助けることがわたしの目的です。神と人間の間には隔たりがあるため、人間は神を信じているものの、神を理解することも神の態度を知ることもありませんでした。人間はまた、神の態度についてあまり熱心な関心を寄せたこともありません。むしろ、人間は盲目的に信仰し、進んできたのであり、神を知り理解することについては不注意でした。したがって、あなたがたのためにこれらの問題を明らかにし、あなたがたが信仰するこの神が、どのような神で、何を考えていて、様々な人を取り扱うときにどのような態度を取るのか、あなたがたは神の要求を満たすことからどれくらい離れていて、あなたがたの行動と神が要求する基準にはどの程度の差があるかを理解するのを助けずにはいられないと感じるのです。これらのことをあなたがたに知らせる目的は、自己評価のための指標を与えることと、歩んでいる道がどのような収穫に繋がっていて、その道では何が得られていないか、まったく関わっていない領域は何かをあなたがたに理解させることです。あなたがたが互いに話し合うとき、通常は一般的な二、三の事項について話をしますが、その範囲は狭く、内容は浅薄です。神の心意とあなたがたが話し合うことの間、さらにはあなたがたの議論と神の要求の範囲や基準の間には、隔たりがあります。そのようなまま進んでも、時間とともに、神の道から益々外れて行きます。あなたがたは現在の神の言葉を取り上げて、それを崇拝の対象に変えたり、儀式や規則とみなしたりしています。していることはそれだけです。事実、あなたがたの心には神の場所がなく、神はあなたがたの心を得ていません。神を知ることは極めて困難だ、という人がいますが、それは事実です。確かに困難です。人が自分の本分を尽くして外面的に物をやり遂げるようにできていて、まじめに働くなら、神を信じるのは簡単だと人は思います。なぜなら、それらはすべて人間の能力の範囲内だからです。しかし、神の心意や人間への神の態度の話になると、誰にとっても物事は遥かに困難になります。それは、人間が真理を理解していることと、現実に入ることが関与するからです。ですから、ある程度困難なのは当然です。しかし、ひとたび最初の扉を通過して入り始めたなら、次第に容易になります。

『神を知ることについて』「神の性質と神の働きが達成する成果をいかにして知るか」(『言葉』第2巻)より

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